Round 3 (2/2)
自分の目が覚めたことに気が付くのに、数秒かかった。
寝るのが早かったから夜中に目が覚めてしまったのだろうか。
あまり良く覚えていないが、いい夢を見ていたな、と思いながら、目に入ってくる情報に意識を向ける。
何か、黒光りするものがあった。
焦点を移すと、遠くの街頭の明かりでぼんやりと浮かび上がった、見覚えのある少女の顔があった。その唇が、かすかに動いた。何と言ったのかは、読み取れなかった。
あれ、なんか既視感のある景色だな、と思う。前にも見たことがある。
再び目の前にある黒いものに目を向ける。
拳銃だった。
何か考える前に、本能のところが働いて、寝転がったまま上体を横に振った。
一瞬遅れて、破裂音と共に土と落ち葉が舞った。
今度はどこにも痛みはなかった。
慌てて立ち上がるも、既に彼女の手の中の拳銃はこちらをしっかりと向いていた。
反射的にあとずさり、藤棚の柱に背がぶつかる。
「ちょっと待って」
とっさに両手をあげて、そういっていた。
「どういうこと?」
こういうことが絶対ないと思っていたといえば、嘘になる。正直、最初のうちはいつ背中から撃たれるんじゃないかとびくびくしてた。でも、今になってこうなるというのは、しっくりこない。
「せめてどういうことか教えてくれよ。俺を殺して殺し屋稼業に戻りたいのか?」
こちらに向けた銃口の先はぴくりとも動かさず、数秒おいたのち、彼女はぽつりと口を開いた。
「そういうわけじゃない」
その声音に、思ったほど殺気がこもっていなかったので、ほんの少し心が落ち着く。
「もう私にはあそこに戻ることは出来ない」
風向きのせいか、気温のせいか。遠くの列車の音がやけに響いていた。
口をはさんではいけないような気がしたので、相槌も何もしなかった。
「正直に言うわ。私は逃げ切れると思ってあそこまで逃げてきた。死ぬリスクが、とかいってはいたけれど、頑張れば撒けるんじゃないかと思ってた」
遠くの駅のアナウンスが、うっすらと聞こえた。
「けどね、そう甘くはなかった。今日来た追手。そいつと少し話したの。いろいろ言ってたけど、私が思っている以上に、私達は狙われてる。そいつが言うには、虎の子なはずの腕の立つ連中も駆り出されてる。真偽はともかくとして、あの場所があっさり見つかった以上、上がかなり本気になってるのは確実」
うつむきがちだった顔が、こちらを向く。街灯のせいで逆光になっているので、表情までは分からなかった。
「あそこに長くいた私だからわかる、こうなったら、逃げ切るのはまず無理。外国に高跳びでもしない限り、どこに逃げたところで、時間稼ぎにしかならないし、私達にそんな金はない。それに、腕の立つ連中なんてのはほとんどサイコパスみたいなものよ。生死不問、なんて命令が出ていたら、追いつかれた日にはどんな目に合うのか、考えたくもない。貴方だって例外なじゃいわ。あいつらは、殺して言いとなったらどこのだれかなんて関係なく、喜び勇んでやってくる」
彼女は一気に吐き出すように言った後、拳銃を構え直す。
「貴方には感謝してるわ。昨日も今日も、実は楽しかった。本来ならこんな仕事をしてる私は、そうそう縁がない生活だったわ。ちょっとだけ、私は殺し屋なんかじゃなくて、表で暮らす普通の女の子なんじゃないかって、思えるくらいには楽しかったわ。あったかもしれない、けどありえないと思っていた普通の生活を、垣間見れた。貴方と一緒なら、そんな生活が送れるのかもって、夢見たりもした」
「なら、」
「だからこそ、よ。私はここで終わりにしたいの。こっから先はバッドエンドが保証された消化試合。いくらあがいたところで、ろくな最期は待ってないでしょうね。だから、ここで、楽しいうちに、終わりにしたい。よく言うじゃない。終わり良ければ全て良しって」
「無理心中でもするつもりか?」
「その言葉は悲劇気取りな感じがして好きじゃないんだけどね。こうするのは申し訳ないとは思ってるわ。けど、ここで貴方が一人で放り出されても、ろくな結果が待ってないわよ。あっさりつかまって、嬲り殺しに会うのが関の山。だったら、ここで一緒に幕引きにしましょうよ。ハッピーエンドで終わらせられるうちに」
再び、夜の静けさが戻る。実際は一分ほどだろうが、体感にはもっと長く感じられた。
「言いたいことは分かるよ。俺も命の尊さを何も考えずに妄信してるわけじゃないし、生きてれば何とかなるなんて楽観的なことを言うつもりもない。一瞬で死ぬか、死ねないような拷問を受けるか選ばせてやるって言われたら、死ぬ方を選ぶと思う」
彼女の拳銃は、いまだに俺の眉間を向いて動かない。
「けど、本当にもうあきらめなきゃいけないような状況か?」
逆光で浮かび上がった彼女の影が、少しだけ動いたような気がした。
「いきなり安全だと思ってたところが襲われて、思いもよらないことを突きつけられて、焦ってるのかもしれない。夕方だって、君はとてもじゃないけど冷静じゃなかった。だから君の言うことが分からないわけじゃない。けど、いま現に、俺たちはここにいて、君が持ってる拳銃以外には命の危険はない。いつかは詰みの状況になるのかもしれないけど、今はまだ王手をかけられた状況じゃない」
彼女が言葉を挟もうとしたけれど、無視して続けた。
「だから、まだ足掻いてもいいじゃないか。本当にどうしようもなくなって、逃げようのない状態で王手をかけられたら、幕引きにすればいい。本当にこっから先は悲劇しかないってところになったら、終わりにすればいい」
直に追手と向き合って、直に話を聞いた彼女と、それを人づてに、しかもざっくりとだけ聞いた俺とでは、感じる切迫度合いが違うのだろう。
それもわかっている。それでも、続ける。
「昨日と今日は楽しかったんだろ?殺し屋稼業を忘れられるくらいには、楽しかったんだろ?憧れていたような普通の生活を垣間見れたんだろう?だったら本当に大手がかかるまで、それを追い求めればいいじゃないか」
彼女が大きく息を吐いた、ように見えた。逆光なのでシルエットだけだが、何となくそう感じた。
撃たれるかな、と思いつつ、目の前の拳銃にゆっくりと手を伸ばす。
ぴくり、と彼女の人差し指が震えたが、銃身を握っても結局引き金が引かれることはなかった。
引っ張ると、特に抵抗もなく、拳銃を彼女の手から引き抜けた。
思いのほか、重かった。
数秒おいて、彼女の手がだらんと垂れ下がる。
ろくにない銃の知識を総動員して、安全装置らしきものをかける。本当にかかっているか不安だったので、それらしきボタンを押して弾倉を取り出し、スライドを引いて銃身の中にあった弾丸も取り出す。弾丸を弾倉に押し込むと、かちゃりと入った。弾倉をポケットに入れ、空になった拳銃をどうするか迷った挙句、腰の後ろにさした。
「俺はしばらく起きて見張りでもしておくから、寝てていいよ。どうせ寝てないんだろ。いったん寝て、頭を落ち着けたほうがいい」
彼女はなぜか左手を腰のあたりで泳がせて、結局何もせずに地べたに座り込んだ。
ぐるっとベンチを回り込んで正面に回り、腰掛ける。
目は冴えていて、眠気は全くなかった。
空っぽの拳銃を眺めまわしたり、街明かりを眺めたりして、ふとベンチの後ろを振り返るといつの間にか彼女は寝ていた。
静かに、拳銃と弾倉を別々に彼女の脇に置いて、ベンチに戻る。
そのあとは、ただぼーっとしていた。少しは考え事もしたりはしたが、ほとんどはただ晴れ切った夜空を見上げていた。
うとうとと舟を漕ぐぐうになり、さらに短い時間ではあるが意識が落ちるようになってきたころ、後ろから肩をたたかれた。
彼女だった。
「変わるわ」
短くそれだけ言って、隣に腰掛ける。
正直もう眠かったので、すぐに地べたの寝床に戻り、横になる。羊を数える間もなく、眠りに落ちた。今度は夢は見なかった、と思う。
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