Round 2 (4/4)


 分かっていることは三つ。

 一つ、誰かがエレベーターでこの階のボタンを押した。ここを用意したときにエレベーターの行き先表示にちょっとした細工をしていたので、それが役に立った形だ。まあここまでなら珍しくもないだろう。

 二つ、この階には部屋が四つあるが、うち二つは空き部屋、もう一つは今朝出かけるのを見かけた感じからして、学生か若い社会人の男。つまり今この階にいるのは私たちだけ。

 三つ、エレベーターの防犯カメラに写っていたのはどう見ても40は超えている、見覚えのある、ごついオジサン。

 ここまで来て、彼が隣の若者の部屋を漁りに来たとは思えない。そもそも、あのオジサンの仕事は空き巣でなく、私の同業者。つまり、九分九厘彼の目的地はこの部屋だ。

「ベランダの手すりにロープが結んであるはず。それを外におろして、それを伝っておりて。」

 もう靴も履き、最低限の用意は整えた。

「んなことできるか!?」

「やらなきゃ死ぬわよ。大丈夫、そこまで難しくはないわ。三階だから、落ちても運が良ければ何ともないはずよ」

 後は逃げるだけ。

「はずってなぁ。君は?」

「後からおりる。私は五秒もあれば降りられるから」

 それに、口には出さないが先に誰かが下りてくれればそのルートの安全が確保される。もしダメそうなら、多少リスクはあるものの私は正面突破をして逃げればいい。

私も自分のカバンを背負い、愛用している拳銃を取り出す。

「外は安全なのか?待ち伏せと書いたらそれこそチェックメイトじゃないのか」

 ベランダに出て、ロープを投げおろしていたソウが、思い出したように言う。

「あいつは基本的に一人で動いてる。多分大丈夫よ」

 まあだからと言って誰もいないという保証はないのだが、言わなくてもいいことは黙っておく。

「知り合いなのか?」

「知り合い、って言っていいのかすら怪しいけどね。一応顔と名前は分かるわ」

 名前といっても、コードネームのようなものだ。そして、少なくとも中堅呼ばれる程度の腕は持っていることも何となく知っている。

 彼の得物は確かナイフだったので、玄関から距離を取って、キッチンのある廊下を挟んだ部屋の入り口に陣取る。

 確か投げるタイプではなかったと思うが、確信がなかったので一応廊下と部屋の扉を遮蔽物にして様子をうかがう。

 ソウが部屋の中から見えなくなったあたりで、ドアのあたりでカチャカチャという音がし始める。この部屋の扉は防犯カメラの死角なので直接は見えないが、まあ彼の仕業で間違いないだろう。

 雨音が弱まっていたのは幸いだった。見た目のわりに、意外と器用なこともできるんだな、と思いつつ、鍵のあたりに銃弾を数発撃ちこむ。他の階までは銃声が響いているかもしれないが、気にしてはいられない。

 拳銃の弾とはいえ、安いアパートのドアくらいは貫通するはずだが、特に反応はない。こっちに撃たせるためだったのかもしれないが、元からこれで片が付くとは思っていない。

 一呼吸おいて、ドアがはじけ飛んだ。さっきの銃撃で弱っていたせいか、鍵の回りでドアが破れ、鍵だけを壁に残してきれいに開く。これだから体力バカは怖い。

 蹴りでも入れたのだろうが、開いた先にその姿はなかった。

「大体見当はついてるけど、改めて聞くよ。何の用」

「ご想像の通りだよ。あんたは上を裏切った。上にも意地だとか外聞だとかいろいろあんだろうな。ここまで聞いて分からねえとは言わせねぇぞ。俺もとっとと仕事済ませて一杯飲みてぇんだ」

 ドアの脇、角ごしに、低い男の声が続ける。

「お約束ってやつだ。これだけ言っておこう。詳しいことは知らねえが、あんたはどうやら上の逆鱗に触れたらしい。追手は俺だけじゃねえって話だ。もっと腕の立つ連中も投入されてるって噂も聞く。もう逃げても無駄だ、おとなしく出てこい。知り合いの情けだ、せめて楽に殺してやるよ」

「じゃあお約束の台詞で答えてあげるわ。断る」

 声のする方の角に銃口を向けたまま答える。

「ま、そうだよな」

「それにいつまでも離反しただけのいち殺し屋を追いかけてるほど、貴方たちも暇じゃないでしょ」

 男の調子から話し出すと長くなりそうな雰囲気を感じ、会話での時間稼ぎを試みる。

「……違いねえ、と言いたいところだが、その調子だとあんた事情が分かってないみたいだな。ひょっとして純粋に独断で出奔したのか」

「……貴方達は私が誰かとつながってると?」

 時間稼ぎのつもりが、思いもよらない方向に話が行きそうになり、少し注意が逸れた。

「ははっ、それじゃああんたは本当にどこともつながってないと。だとしたらあんたは運が悪かったな」

「どういうこと」

「……顔見知りのよしみで教えてやろう。あんたが受けてた依頼、あれの依頼主がまあいわゆるうちのお得意さんさ。あんたも不思議に思わなかったか。うちで一般人の殺しを請け負うことはめったにない。」

 身振りの拍子に肩が少し角からのぞいたが、引き金はひかなかった。

「で、お得意さんから頼むから、と言われて断り切れずに上が引き受けたのがその仕事ってわけだ。信用されてたあんたに回されたのもそのせいだろうよ」

 一息おいて、男は続ける。

「だから、上は躍起になってる。自分たちの面に泥を塗った挙句、殺すはずだったやつを匿ってるんだからな。それに、お得意様がよっぽどこだわってたっていう案件だ。離反した上に匿ってるならどっかと内通してるのを疑われるのも筋だろう。もっとも、それを疑うもっと深い理由もあるんだろうが、それは俺にはわからん。とにかく、あんたは離反するタイミングを間違えたってわけだ」

「やけに詳しいわね。ふつうそこまでの情報は与えられないはずよ」

「まあ、噂の域を出ない話だ。だが、実際に俺以外にも引張りだされてる、腕の立つ奴を俺は知ってる。あんたたち相手には明らかに戦力過剰だ。嘘だと信じるのは勝手だが、それで痛い目を見るのはあんただろうよ」

 思いがけないことを聞いて混乱していた頭を落ち着けつつ、動揺を隠すようにここで普段の私が言うだろう言葉を探して、口にする。

「それが本当だとして、私が気を変えてのこのこ出ていくと?」

「さすがにそこまで期待しちゃいねえよ。」

 これ以上は危険だと感じたので、逃げる用意を。

 そろそろソウも降りたはずなので、拳銃を玄関に向けたまま少しずつ後退する。

「なら私を殺しに来るしかないわよ。けど、貴方は本当にここで私を仕留められると思ってる?室内戦でナイフが拳銃に勝つのは珍しい話じゃないけど、今は状況が悪いわよ。貴方がそこから体を出したら、私はすぐに撃てる」

「分かってないとでも思うか」

 今度の返事は言葉だけではなかった。

 缶コーヒーくらいのサイズの筒が廊下に放り込まれる。グレネード。何かは分からないが反射的に廊下と部屋を仕切る扉を蹴って閉め、ベランダに向かって駆ける。音がしなかったのでスモークか。

 私がベランダに出たのと、部屋のドアが蹴り開けられたのはほぼ同時だった。

 蹴り開ける音がしたタイミングで後ろを見ないまま牽制で一発撃ち、そのまま拳銃を腰にしまって、半ば飛び越えるようにしてベランダの外に垂れ下がったロープをつかむ。

 両足でロープを挟み、手で上半身を支えながら一気に降りる。二階のベランダのあたりまで降りたところで、上からぬっと男の頭がのぞく。

 目の前のベランダの壁を蹴り、ロープを離して飛び降りる。ロープから離れた直後、いままでぴんと張っていたロープが重力に負けて落下を始める。

 自分から追跡経路を立ってくれるとは有り難い。

「走って!」

 ぬれた路面で何とか滑らずに着地を決め、下で待っていたソウに声をかけてから走り出す。

 どうやら途中で落ちたりはしていなかったらしく、ソウも遅れずについてきた。

 追手が階段を下りてやってくる前に、走ってできるだけ距離を稼ぐ。できるならここで撒いてしまいたい。

 先程より弱まったとはいえ雨の中。傘もささずに走っていると数分もせずにびしょぬれになる。通行人からの視線も気になるが、今はそれどころではない。

 信号待ちしている車の隙間を走り抜け、交通量が少ないのをいいことに赤信号を突っ切って、日との間を縫うように商店街を駆け抜ける。

「どこまで、逃げるのっ?」

「さあね、まあ、もうしばらくは、止まらない方が、いいかな」

 風切りザキリ音と雨音で声が聞こえにくい。

 できるだけ呼吸を乱さないように、とぎれとぎれに、声を張り上げる。

「まだ走れる?」

「もう、しばらくは。けど、あんまり、長くは、無理だ」

 まあ脇腹に穴も開いてるんだ。仕方ないか。

 後ろに追手がいるかはわからない。雨のせいでガラスなどに映る景色を見て後ろを確かめることも難しい。

「じゃあ、もうちょっと頑張ってっ」

 声からしてそこまでソウとの距離は離れていないので、ペースを緩めずに点滅する信号を駆け抜ける。

 振り向いてソウも渡れていることを確かめてから、焦って適当に走っていたせいか、今いる場所を見失っていることに気が付く。思いのほか焦っていたらしい。

今更どうしようもないので、ぐるぐると同じと事を回らないようにだけ気を付けて走り続ける。

 それでもそのまんま五分ほどだろうか。長距離走をするには早すぎるペースで走り続け、目についたちょっとした複合商業施設にたどり着いたところで立ち止まった。できるだけ人ごみに埋もれるように意識し、いったん足を休める。

 目立たないように周囲をうかがうが、特に先程の男はいないようだ。

 ほっと息を吐いてから、近くにあったベンチに腰掛ける。

「傷、大丈夫?」

「幸い。走ってる間中、いつ傷が開くのかハラハラしてたけどな」

「結果オーライってやつよ」

 背もたれにもたれかかって、全身の力を抜く。

 それからしばらく、沈黙が続いた。館内放送や流れている音楽が、布一枚かませたように、少し遠く聞こえる気がする。

 一旦落ち着いたことで、今さっき起きたことがゆっくりと頭の中に染み込んでいく。

「……どうするんだ?」

 ぽつり、とソウが言った。少しずつ、早口になっていく。

「それなりには安全なんじゃなかったのか!?しばらくはあそこで暮らせるんじゃなかったのか!?24時間もたたずに見つかってるじゃないか。本当にこれで逃げきれるのか!?」

「私だって聞きたいわよ。そう簡単には見つからないはずだった。誰にも教えちゃいないはずだった。なんなら数週間は持つと思ってた」

 思わず声を荒げそうになり、慌てて声量を抑える。

「じゃあなんで」

「知らないわよ。元からあの部屋の存在が割れてたのかもしれないし、あそこに行くのを見られてたのかもしれない。防犯カメラでも見て探したのかもしれないし、偶然みつけただけかもしれない。かもしれない、ならいくらでも思いつく。けど、それ以上は無理。私に聞かれても困る」

「じゃあこれからどうするのかかんg

「ああぁっ、さっきからもううるさいっ。いったん黙ってっ。私もそれくらいわかってる。わかってるからいったん黙って私だって考えてんのなにかいうなら自分で案を出しなさいよなんでどうしてなんだかんだ言うんじゃなくてあんまり邪魔だと置いてくって言ったでしょおいてかれたくなかったら静かにしててっ」

 抑えきれず、声を荒げてしまってから、慌てて周りに目を向ける。幸い、周りに人はあんまりいなくて、一人で歩いていた小学生くらいの子供がこちらを怯えた目で見ているだけだった。

「使える部屋は全部使いつくした。あの部屋が見つかるくらいだからホテルとかネカフェでも安心できない。転がり込める知り合いもいない。昨日色々あの部屋のための物を買ったから予算もあんまない。そもそも町中にどれだけ追手がいるかもわからない」

 膝に肘をついたまま、ぶつぶつとつぶやいて、うまく回らない頭で何とか情報を整理する。

「深夜は電車も止まるから電車の中では寝られない。コンビニは目立つ。ファストフードとかファミレスは絶対張られてる。夜の間に夜行バスで移動?いや、それもばれてたら詰み。バスの中でこんにちわしたらチェックメイト。徒歩で?ありえない。車を盗む?無理。鍵の解除の仕方なんて分かんない」

「ねえ、」

 横から声を掛けられて、目玉だけを動かしてそちらを向く。

「何。どうするの、とか、どうして、とか生産性のない質問なら後にして。今考えてるの」

「質問じゃない。提案だ。要するに、寝るところがないのが問題なんだろう。なら、もういっそその辺で寝ればよくないか?」

 ……ホームレス生活、ってわけか。いやだな。

「通行人にゴミ引っ掛けられかねないわよ。酔っ払いにゲロかけられるかも」

「公園とかなら人も少ないだろ」

「外は雨よ」

「予報だと確か、そろそろ止むはず」

「でも、この辺にそんなところあるの」

「一応心当たりはある」

「……でm

「なあ。じゃあ、他に何かあるのか?今まで聞いてた感じ、八方ふさがりって感じだろ。さっきの台詞をまんま返す感じで悪いけど、なんかいい案があるのか?あるのなら俺はそれに乗るけど、ないんならこうするしかないだろ」

 言葉を遮るようにして、静かにソウが言う

 何か言おうとするも、言葉が出なかった。

 そのまま、沈黙が場を支配する。

 しばらく黙って床を見つめていたら、少しづつ落ち着いてきた。こんなところで意地を張ってもどうしようもない、という事に、今更ながら思考が追いつく。

「……そうね」

 一旦思考を止めると、もうそれ以上は何も考える気にはならなくなる。

「そうしましょ」

 再び背もたれにもたれかかって上を見上げると、LEDが眩しくて、目を閉じる。

 目を閉じたままぼーっとしているとすぐに睡魔に襲われたが、なんとなく抵抗する気にはならなかったので睡魔に身を任せると、すぐに、意識は落ちた。

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