Round 1 (1/3)


*** Round 1 ***


「ところで貴方、名前はなんていうの?」

 自分の部屋から持ってきた拳銃のマガジンをポケットとリュック状のカバンに詰めながら、血まみれの服を着替えている少年に尋ねた。一緒に逃げるのならば名前くらいは知っておきたい。

「え、知らないのか?依頼があったなんて言うからてっきり知ってるもんだと思ってたけど」

「書いてあっただろうけど見てないわ」

 写真を見れば誰かはわかったし、あのメールを見たときはそれなりに慌てていたから。

「ソウ」

「ソウね。私のことはセイでいいわ」

 子音が同じせいか、どうも響きが似ている。

 そんなどうでもいいことを考えていたら、ポケットの携帯が震えた。

 唇に人差し指を当ててソウに静かにしているように伝え、電話に出る。

「はい」

 ワンテンポおいて、いやというほど聞いた低い男の声が返ってきた。

「終わったか」

 普段は、こちらから報告の電話をするのにどうしたのだろう。向こうから掛けてくるなんて珍しい。

 さすがに正直に話すわけにはいかないので適当にごまかす。

「ちょっと対象との接触に失敗しまして。今日中には終わらせます」

 始末したといってもよかったのだが、それで写真なりを送れと言われると困ってしまう。

「そうか、君にしては珍しいな。ああ、それと終わったら掃除担当の連中を送るから片付けなくてもいい」

「そうですか。」

 いつもだったらありがたいところだが、彼らが来て死体がなければさすがにばれるので、今日ばかりはありがた迷惑だ。

「で、なんですか?別の仕事ですか?」

 これを聞くためだけに電話してきたってことはないだろう。

「ん?まあ別の仕事もあるにはあるんだが……。まあいい、ならついでに頼もう。ちょっとした運びの仕事だよ。いつものゴミ箱にあるから回収してくれ。あて先は後でメールする」

「了解です」

 これ以上色々と突っ込まれる前にとっとと電話を切る。普段から上に愛想を振りまく方ではないので不審がられることはないだろう。

 向こうから電話がかかってきたのは誤算だったが、図らずも少し時間稼ぎができた。

 この時間はせいぜい有効に使おう。

「動けそう?」

 血の付いた服を一通り着替えて、ぱっと見傷が分からないようになったソウに尋ねる。これで動けないなんて言われたら早速見捨てることになるのだけれど、

「まあなんとか」

 そうはならないようだった。

「そ。一応これ飲んどきなさい」

 いつも持ち歩いてるポーチから錠剤を出して投げる。

 ソウはそれをキャッチして

「なに、これ」

「鎮痛剤よ。無いよりましでしょ。麻薬とかじゃないから安心して」

 麻薬の中には鎮痛剤として使われるものもあるが、これはその手のモノではない。痛みを止めようとして頭がイってしまっては本末転倒もいいところだ。あれは楽に死ぬための薬であって、生きるための薬ではない。

 ソウがそれを飲んだのを確認してから、カバンのチャックを閉める。

 せっかくなので、ここを出る前に使えそうなものを回収していく。未開封のペットボトル、非常用と思しき携行型太陽光発電機やブロック食品。ソウにも現金や通帳をあるだけ持つように言っておく。が、これではとても足りない。

 上がこれに気づくまであまり時間はないだろうし、その前に、いつも使っている倉庫兼隠れ家から必要なものを回収した方がいい。

「そろそろここを離れるわよ」

 さあ、先の見えない逃避行を始めようか。



 実は上がもう気づいて待ち伏せているのではないかと警戒していたのだが、杞憂に終わったようで、至極ありふれた廃ビルの一室、使い慣れた倉庫兼隠れ家につくまで、罠や追手の類とは遭遇しなかった。

 今更機密も何もあったものではないので、一度外に戻って、待ち伏せられていた時のために外で待たせていたソウを廃ビルの中に案内する。

「下手にその辺にある部屋に入ると床が抜けてたりするから気をつけて」

 前にこれを言わなかったら、目を離した隙に変な部屋に入って下の階まで落っこちていた同僚がいた。あの時は足首を壊すだけで済んだが、下手をしたら骨折くらいは普通にする。というか、彼がねん挫で済んだのは幸運だからではなく頑丈だからで、多分一般人は骨を折るだけで済むかも怪しいだろう。

 それを聞いて不安になったのか、ソウは律義に私の足跡のあたりを踏んで歩いている。実のところ廊下には床がそこまで劣化しているところは多分ないのだが、指摘するのも面倒なので黙っておくことにした。

 左右の部屋の窓から入る日の光だけしか光源のない、埃っぽく薄暗い廊下と、結構な数の階段を上り、目的のフロアにつく。階段から見える範囲こそほかの階と同様にうっすら埃が積もっているが、そこを抜けると一気に綺麗になる。

 埃の上には、先ほど私が通った時の足跡しかない。

「ここが君の隠れ家?」

「隠れ家なんて格好いいものじゃないわ。物置き兼、休憩所ってところね」

 ドアの取っ手にある鍵穴に鍵を差し込み、ぐるりと回す。

 この場所にたどり着くような人物が相手ならこんな鍵は時間稼ぎになるかすら怪しいのだが、なんだか鍵を閉めないのは落ち着かないのでいつも閉めている。

「はいって」

 先に部屋に入って靴を脱ぎながら、背中のほうに向かって言う。

 やや恐る恐るといった風に入ってくる気配を背中で感じつつ、先に中に入ってやるべきことに取り掛かる。

 引き出しから一丁だけある予備の拳銃を取り出し、ホルスターで逆の腰につるす。

もちろん両手拳銃なんて曲芸じみた真似をするわけではなく、取り出しやすいところがそれくらいしかなかった、というだけの話。

 ある程度買いだめていた拳銃の弾をマガジンに詰め、入りきらなかったものは適当なポーチに入れてカバンに入れる。

 この前の仕事で拾った名前も知らない小さなサブマシンガンも、目に入ったので鞄に入れておいた。弾は拳銃と同じとはいえマガジンは一つしかないのでほぼ使い捨てだが、ないよりはましだろう。

 隠しておいた現金と通帳を回収し、あれをして、これをして、それと、

「ソウ!」

「何?」

 助けてもらう側だっていう自覚があるのかないのか、暢気に人ん家の緑茶を勝手に飲んでたソウが慌てて振り返る。

「エントランスの裏のごみ箱から黄色いビニール袋に入った物をとってきて」

「一応、というかばっちり怪我人なんだけど……」

「とっととしないとおいてくわよ」

「わかったよ。ったく人使いが荒い」

 荷物を取りに行かせるついでに邪魔なのを追い払ってから、隠してあった金庫を取り出す。

 鍵を開けて金庫を開くと、中に乱雑に詰め込まれているのは少なくない量の書類。仕事のものから個人的なものまで、重要なものはとにかく詰め込んでいった結果だ。

そこに追加で、棚のクリアファイルから取り出した書類を数枚入れ、金庫の口を上にして部屋の真ん中に置く。

 先ほど部屋をあさってたら出てきたマッチを擦り、金庫に放り込む。炎はすぐに金庫の中の書類に燃え移る。そして、一瞬薄暗い部屋の中を温かいオレンジ色に染めたと思ったら、少し燃えたところですぐ消えた。

 それもそうだ。焦りすぎていたのだろうか。これできちんと燃えるわけがない。小学生でもわかる理科の話だ。

 改めて金庫の中の大量の書類とわずかな燃え滓をベランダにぶちまけ、もう一本のマッチを投げ込む。今度こそ、燃えた。ベランダの外壁がいい感じの風よけになって、消えたり飛んで行ったりすることもなさそうだ。

 ベランダはコンクリートなので引火する心配はないだろう。窓は、もう割れようがどうでもいいし、このあたりでこの程度の小さな煙が上がっていたところでそこまで目立たない。

 それでも一応消火器をわきに置きながら小さなキャンプファイヤーのような炎に魅入っていたら、ずいぶんと集中していたのか、ぼーっとしていたのか。後ろから声をかけられて初めてソウが戻っていることに気づいた。

「これであってる?」

 自分があまりにもぼーっとしていたことに驚きつつ、さも最初から気が付いていた風を装って、

「黄色い袋がそれしかなかったならそれなはずよ」

 後ろに手を伸ばしてそれを受け取る。手に掛けられたその袋には、ずしりとした重さがあった。

 炎、というのは人の心を引き付ける不思議な魅力のようなものがあるのではないか、とかとりとめもない、言い訳じみたことを考えながら、差し出された袋の中を覗き込む。

 黄色い袋、というのは、間接的に品物を受け渡しするときによく使っていた記号だ。このあたりで、黄色いごみ袋が義務化されているところはないし、黄色い袋を使う店もほとんどない。

 今回は、さっき電話で言っていた運びの荷物なはずだ。何が入ってるのかは知らないからどうせなら確認くらいしておこうというつもりだったのだが、

「あら、大当たりね」

 便利なものが入っていたので気が変わった。どのみちこれからは負われる身だ。余罪が一つや二つ増えたところで大差ないだろう。ありがたく頂戴することにした。

「ところでさ、」

 これだけで疲れたのか、ソウがまた勝手に緑茶を飲みながら、

「それ何を燃やしてんの?」

「書類。貴方は見ない方がいいわよ」

 この中には個人的な契約書とかも含まれている。これからの足取りをつかまれにくくする意味でも、手掛かりになるような情報は残したくない。

 それに、仕事の書類というのは、一般人が見るべきものではない。機密、という面もあるが、それよりも、あれを読んでしまうと、もう「表」に戻って何もなかったかのように生きていくことはできないから。この町の「裏」は、あまりにも広く浸透している。知ってしまったが最後、どこを見ていても目に入ってきてしまう。

 もうすでに、殺し屋なんて裏の深いところを、生で、当事者として見せておいて勝手な話だけど、やっぱり、できるだけ「表」の人間には「裏」に触れてほしくない。

ソウに見せることなく処分することが出来たし、必要なものも一通り回収したので、とりあえず一息つける。

 最後の炎が消えてから、部屋の隅から天然水のペットボトルを持ってきて、灰に掛けていく。

 じゅっという音がして、ところどころ紅く光っていた燃え滓が、黒く染まった。

 空のペットボトルを片手に、部屋の中に戻る。

「私にもお茶注いでもらえる?」

「はいはい」

「ありがと」

 立ったままコップ一杯のぬるいお茶を一気に飲み切ると、少し蒸し暑くなっていた体が内側から冷えていく感じがする。

 そのまんま腰を下ろして仰向けになると、無機質なコンクリートの天井にくっついた、これまた無機質なLEDがでーんと視界を占拠する。

「これからどうするの?」

 片手に空のコップを持ったまま、ソウが尋ねた。

「今から貴方を殺すんでなければ直に私の嘘もばれるからね……。そうしたら私の家とあなたの家、そしてここには真っ先に人が送られてくるだろうね。あんまりここに長居は出来ないわ」

「じゃあどこに行く?」

「そうね……。貴方、お金はいくら持ってる?通帳の中身と現金それぞれ」

「現金が二万弱、通帳の中に四万くらい」

 まあ、ここらの学生としては平均的か、やや少ないってところか。

 兎にも角にも今晩泊まるところを考えなければいけない。ここで一泊するのは論外。明日の朝にはあの世行きだろう。

 すると安いホテルといいたいところだが、このあたりにまともなビジネスホテルなんてものは一つしかなく、ほとんどのホテルはといえば主にカップルを主な客層とするものばかりである。

 そっち系のホテルはこっちの業界の上と繋がりがある可能性が高く、かといって馬鹿正直に街で唯一のビジネスホテル、なんてわかりやすい物に泊まる勇気はない。となると、

「野宿かネカフェってとこかしら」

「宿とかは」

「詳細は省くけど、危ないわね」

「……流石に野宿はやめないか?」

「冗談よ」

 まあ、この町のネカフェなら一晩いたところで何も言われないだろうし、数もあるのでホテルを使うよりはマシだ。そう簡単に場所は割れない、と思う。

「じゃあ移動する?」

 ここにいるのが落ち着かないのか、どこかそわそわしたソウがそういうが、

「まずここでゆっくりして、行く場所の目星をつけてから動く」

「ここにいて大丈夫なの?」

「貴方を見つけられずに探している、ってことにしているから、夕方あたりまでは大丈夫なはずよ。それにここを出たら次落ち着ける場所につけるのはいつになるか」

「まあ、そう言うならゆっくりするか」

 寝転がったままスマートフォンを取り出し、使えそうなネットカフェを検索する。条件は料金前払いで、立地的に裏口がありそうなところ。前払いのいい所は、急いで店を出ても金を払ってないといって警察を呼ばれることはない、という点だ。ただでさえ裏の連中に追われる状況なのに、公的機関にまで追われだしたら面倒にもほどがある。

 まあ、細々とした条件については正直行ってみないとわからない、というのが本音だが下調べして絞っておくに越したことはない。

「あ、そう、ATMに行って、口座の中の金、出せるだけ出しておいて。あんまり遅い時間に貴方の口座が動いたら私のウソがばれるから。いまならまだ問題ない。」

 調べていたらクレジットカードという単語が出てきて、それを見て思い出した。危ない危ない。4万円が使えると使えないじゃ大違いだ。

「この辺のATMってどこ?」

「何銀行?」

「○○銀行」

「それなら、来た時に通った商店街のATMコーナーにあるはずよ。商店街を歩いてればわかるわ」

「ありがと」

「あ、ついでに商店街で適当な冷凍食品買ってきてもらえる?お昼にするから」

 玄関で靴を履くソウに後ろからついでの用事をお願いする。またパシリかよ、というつぶやきが聞こえた気もしたが聞こえなかったことにしておいた。

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