7-4

 一本の街灯も見当たらない、辺り一面星空に覆われた夜闇の中、辛うじてワゴン車のヘッドライトが照らし出す明かりの中に浮かび上がるのは、荒れ果てた地面をどこまでも真っ直ぐに伸びゆく道路のみ。シャトル発着場があるはずの行く手には、そこだけが別世界のように煌々と光り輝いている。

 十人乗りのワゴン車には、運転手以外には自分ただひとり。最後列のシートに腰掛けながら、マテルディ・ルバイクはぼんやりと車外に視線を放っていた。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう?

 窓の外に見えるのは、澄み切った夜空に散りばめられた星々の輝き、遠くに連なって見える険しい山々の陰、その下に無限に広がる荒野。荒涼とした景色は、いずれも彼女の胸を躍らせることはない。

 マテルディの脳裏によぎるのは、銀河系随一とも称されるバララト宇宙港の壮観や、その中を行き交う多くの人々の姿、華やかな賑わい。宇宙港から主星バララトに降りれば、地表を覆うビル群の隙間を縫うように張り巡らされたパイプ・ウェイと、その中を競うように走り抜ける様々な自動操縦車両オートライド。地上を歩けば装いから趣向まで様々な店が街路の両脇に溢れて、実家に帰る道すがら、その前を眺めているだけで何時間でも費やすことが出来たものだ。

 彼女自身の立ち位置は、その華やかさの中心から外れたところにあったかもしれない。マテルディは幼い頃からおとなしく、一方で少々思い込みの強い面はあったものの、概ね目立たない存在として育ってきた。華やかな舞台に立てる分際ではないということは、彼女自身十分わきまえていたつもりだ。だから中等院を卒業後、バララト宇宙港の職員に採用されたときは、望外の幸運に戸惑いすらした。

 宇宙港で働き始めてからも、マテルディが座の中心に据えられることはなかった。ただ実直な仕事ぶり自体は評価されて、歳を重ねるごとに着実に職責も待遇も増していった。ホロヴィジョン・ムービーのような彩り豊かな青春とは無縁であっても、仕事を評価される自分には十分な価値がある。マテルディが徐々に自己肯定感を高めつつあった、その折りに現れたのが彼――ソリオ・プランデッキだった。

 色恋沙汰とは縁がなかったマテルディにも、異性に対する嗜好は人並みにある。明るい金髪が好みの彼女にとって赤毛は減点ポイントであったが、そこを除けばソリオ・プランデッキという男は、マテルディの理想をまさに体現したような存在であった。

 均整の取れた長身に、細面の中で常に笑みを絶やさぬ若草色の瞳。明るく軽妙な会話、そして誰とも分け隔てのない社交性は、当然マテルディにも等しく注がれる。人によっては軽薄と評する向きもあったが、そんな声はマテルディの耳には届かなかった。

 だからキャリアとはいえ新人である彼の教育係を担当すると決まったときは、内心舞い上がったものだ。

 必然的にふたりきりで接する機会が増えて、彼女はソリオという男をより深く知るようになる。驚かされたのは、日頃軽口ばかりの彼が、意外なほど優秀だったという点だ。既に勤続十年に達しようという彼女が教える知識を、ソリオは恐るべきスピードで吸収していった。特に宇宙港の管制システムの扱いに関しては、一年も経てば彼女を上回ってしまったのではないか。

 さすが名門ミッダルト中央科学院を上位で修了したというだけはある。しかも彼の場合は要領の良さもセットだから、マテルディもその才能に嫉妬しなかったわけではない。だがそれ以上に彼女の中でのソリオの価値は一層高まっていった。

 教育期間が終わってからも、マテルディはソリオの補佐役としてペアを組み続けることとなり、その幸運に浸りきっていた。だから彼女にはずっとわからなかったのだ。職場では常にオープンで気さくに見えるソリオが、プライベートな領域には決して彼女を近づけなかったということに。

 彼女がそのことをようやく認識出来たのは、ソリオと共にパーティーに参加したときのことだ。

 その祝宴はバララト宇宙港の開港百周年を記念したもので、参加者も主に宇宙港の職員や関係者を対象としていた。催事にはこれまで不参加だったマテルディだが、キャリアのソリオはむしろそういった場で知己を増やすことも仕事のひとつであり、付き添いという立場で顔を出したのである。

 普段着慣れぬドレスに身を包む彼女に対して、ソリオのエスコートは極めて紳士的であった。ただそれも会場にたどり着くまでのことであって、宴の場に飛び込んでからはそれどころではなかった。彼は航宙省の上司や旅客会社の重役などのお歴々との挨拶をこなさなければならず、足手まといになることを嫌ったマテルディは自ら会場の片隅に退いていた。

 おとなしく壁の花でいる間も、彼女の視線は常にソリオの姿を追っていた。会場で様々な面々と言葉を交わす彼は、職場の同僚に見せるときと大差ない笑顔を振りまいている。だが常日頃から彼を観察し続けているマテルディには、ソリオの顔に時折り見慣れない表情が覗くことに気がついていた。

 唇の端や目尻に一瞬閃くその変化は、彼女でなければわからなかったかもしれない。そこに見えたのは対象を品定めするようでも下卑た劣情のようでもあり、相手は決まって妙齢の、それも魅力的な女性に限られている。

 あんな表情を、マテルディは見たことがなかった。

 ソリオが自分の知らない表情を、見知らぬ他人に向けていることに衝撃を受けていた。彼が一瞬でも欲情を剥き出しにすることに幻滅したし、同時に自分に対しては決してそんな顔を見せたことがないという事実が、どうしようもなく屈辱的であった。

 やがてとりわけ美しい婦人と意気投合したソリオが、人目を憚るようにふたりそろって会場から抜け出していく。その様子を見つめ続けるマテルディは能面のような無表情の裏で、胸の内にどうしようもなく煮えたぎる感情の奔流を抑え込んでいた――

「なんだ、ありゃ?」

 それまでエンジン音と路面からの震動しか聞こえることのなかった耳に、運転手の戸惑い気味の声が飛び込んで、思いに耽っていたマテルディは現実に引き戻された。ここまでひと言も口をきかなかった男が、先に見える光景を訝しんでいる。それまで顔を横にして窓外ばかりに目を向けていたマテルディも、なんとはなしに胡乱な目つきで前を見た。

 運転席の窓越しに見えるのは、どうやら燃えさかる炎と、立ちこめる黒い煙だ。

 最後列の座席に座る彼女からは、詳細はわからない。だがシャトル発着場以外には何もないのが当たり前のこの荒野で、炎がゆらめく様はいささか異様であった。

 ローベンダールへと亡命するためにエンデラから密航しようとする、この状況自体が既に常軌を逸しているというのに。ここに来てさらに異常な事態に対面しなくてはならないのか。自らこの状況に陥ったことを頭では理解しても、マテルディの精神はとっくに限界を超えている。

 動き出そうにも身体が動かなかった。前列シートの背凭れに手をかけて、辛うじてその陰に隠れながら、マテルディはワゴン車の向かう先から目を逸らせない。そうしている内にも炎は見る見る迫り、やがてそれがどうやら炎上した車の残骸であるとわかってきた。

 何台かの車が、ひっくり返ったり爆発四散している。炎の周りには蹲ったり、走り回っている人影も見える。猛スピードで走っている内に衝突事故でも起こしたのか――

「なっ、やめろ!」

 唐突な運転手の叫び声と共に、強烈な衝撃音が響いた。

 同時に運転手が呻いた気もしたが、聞き分けている余裕はない。直後、マテルディの乗るワゴン車はコントロールを失い、道路から逸れて未舗装の荒野に突っ込んでいく。荒れ果てた地面からの震動に突き上げられながら、車両は徐々にスピードを落とし、やがて力尽きたように停車した。

 マテルディは声も上げられないまま、前列シートにひたすらしがみついていることしか出来なかった。停車してからもなお、全身の筋肉が緊張したまま顔も上げられない。どれほどそうしていだろうか。突然前方から窓ガラスを砕くような音がして、おそるおそる背凭れの陰から目だけを覗かせる。

 彼女の瞳に映ったのは、運転席に突き立てられた太い鉄柱を引き抜いて、窓ガラスに開いた穴から中に乗り込もうとする大男の姿であった。

 車が炎上する明かりを背後に受けて、男の顔は判然としない。だがぴくりともしない運転手を右手一本で引きずり出し、そのまま車外へと乱暴に投げ捨てるのだから、まともな気性であるはずがない。幸いにしてマテルディの存在には気がついてないようだ。

 もっともこの状況下では何が幸いなのか、恐怖と混乱の最中にある彼女にはもはや判断つかない。

 大男はそのまま運転席に巨体を埋め、しばらくするとワゴン車は再び走り出した。一瞬何かに乗り上げたような感触は、もしかすると放り出された哀れな運転手を踏みつけた可能性が脳裏をよぎって、マテルディの顔が青ざめる。

「赤毛野郎おお!! 逃げられると思うなよおおお!」

 怒声とも咆哮ともつかない大男の叫び声を耳にして、後部座席で必死に身を隠すマテルディは、彼女の中で落ちた偶像と化した男もまた鮮やかな赤毛であったことを思い返していた。

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