5-2

 フロート市を東西に貫く大通りから一本裏に入ったところ、雑多な建屋に挟まれた小径を塞ぐのも構わずに、カーキ色の手動車両が停車した。すぐさま助手席のアイリンが無言で車外に降り立つが、運転席のトビーはその後に続こうとはしない。

「言っておくが、俺は同行しねえぞ」

 怪訝な顔で振り返ったアイリンに、トビーは斜に構えた目つきでそう言い放った。

「言っただろう。俺は曲りなりにも奴とコンビを組まされてるんだよ。その俺がお前と一緒に乗り込むとか、間違って本部長の耳にでも入ったら面倒臭え」

「本部長には私から話をつける」

「民間人相手ならともかく、あの女は確証がない限り、身内への捜査なんて許可なんぞしねえぞ」

 トビーに鼻で笑われて、言葉を飲み込んだアイリンが唇を噛む。

「俺は『龍追い人ドラゴン・チェイサー亭』に戻る。何、ここからなら大した距離じゃねえ。なんかあったら連絡を寄越せ」

 そう言い捨てるなり、トビーは車を出してその場を走り去っていってしまった。相変わらず乱暴な運転の車を、アイリンはしばらく目で追っていたが、やがて意を決したように目の前の建物を仰ぎ見た。

 四階建てのその建物はフロート市の建築物の例に漏れず、老朽化の進んだ外壁は一面汚れやらひび割れに覆われている。入口の上に掲げられた看板がなければ、ホテルと気づく者はいないだろう。スライドドアをくぐり抜けたアイリンは、ロビーとも呼べない狭いスペースの右側、大型のモニタが張りついた壁に目を向けた。

 モニタ上では前衛的なのかチープなのか判然としない、アイリンの目には意味を成さないデザインが有機的に変化し続けている。目まぐるしく動き回る絵柄を背景に、モニタの中心に浮かび上がる「ご用のお客様はお声がけ下さい」という文字に向かって、アイリンは低い声で機械的に話しかけた。

「司法捜査官だ。ここの責任者と話がしたい」

 彼女がそう告げてからやや間を置いて、映像は中年の女性の顔に切り替わった。

「うちは司法捜査官なんぞに踏み込まれるような真似は――」

「ご託はいい。直近の客の受付映像を見せろ」

 開口一番煩わしげに口を開くその女性に、アイリンは有無を言わさぬように命じた。昨日ひと晩ホテル街で聞き込みし続けていたお陰で、彼女もこの星での捜査の流儀というものを学んでいる。それは相手の言い分に耳を貸さず、とにかく威圧的に振る舞うことだ。

 案の定その口振りに腰が引けた責任者は、渋々といった体でモニタの画面を切り替えた。代わって映し出されたのは、このモニタに向かって喋りかけるアイリンの上半身。

 もはや宿泊客の名簿を尋ねても無駄であることは、彼女にもわかっている。むしろ受付時の映像記録が控えられていたのは幸運だろう。それすらもない場合、ひとつひとつ部屋に押し入って確認する羽目となった昨夜を思い浮かべて、アイリンの形の良い眉が微かにひそめられた。

 アイリン自身の映像から始まった記録は、巻き戻しされていく内に次々と様々な人間の姿が映し出されていく。どうやらこの宿は娼婦の仕事場として常用されているらしく、その大半は男女二人組だ。

 だから目当ての人物を探し当てるのは、簡単なことであった。

「止めろ」

 停止した映像にひとりきりで映る人物の顔と、ブレスレット型端末から展開した管理本部職員のデータの間を、アイリンの黒目がちの瞳が素早く往復した。小綺麗にまとめられた赤毛を真ん中から分けて、若草色の瞳ににやけた笑みを浮かべた細面まで一致している。

 間違いない。ソリオ・プランデッキは、この宿に宿泊している。

「三○二号室のキーコードをよこせ」

 モニタ越しにもアイリンの迫力は伝わるのだろう。彼女の要求に、責任者は一も二も無く応じてきた。端末にキーコードが登録されたのを確認したアイリンは、すぐ奥のエレベーターに乗り込んで三階に向かう。

 ソリオ・プランデッキとマテルディ・ルバイク。キャリアとノンキャリアという違いはあるものの、バララト宇宙港に勤務してからの二人の経歴は似通っている。時期的に考えて、このふたりに接点が無かったはずはない。それどころかマテルディがソリオの教育係を務めていてもおかしくはなかった。

 そのソリオがつい先日、このエンデラに新任の管理官として任ぜられたという事実を、偶然と見做す者はよほどの脳天気だろう。爆発事件後にエンデラに逃げ込んだマテルディ。その後を追うようにしてエンデラに現れたソリオ。しかもその赴任は航宙省の正式な人事発令に基づくものなのだから、怪しいのは彼ひとりではない。

 むしろ事件の捜査中止を働きかけた、航宙省の関与を裏づけるものにほかならない。

 アイリンが目指す三○二号室はエレベーターを降りた廊下の右の、すぐ目の前にあった。念のためチャイムを鳴らしてはみたものの、反応は無いだろうと思っていたその矢先、扉がおもむろに開かれた。

「チャイムなんか鳴らさないで、自分で鍵を開けて――」

 そう言ってドアを開けたのは赤毛の長身の青年ではなく、若い女であった。

「誰、あんた」

 赤緑黄と極彩色に染め上げた長い髪を掻き上げて、褐色の顔に浮かぶ薄茶色の瞳から、女が警戒に満ちた視線を放つ。半透明のキャミソールに下着という出で立ちで現れるぐらいだから、彼女は初対面の人物相手にもさしたる羞恥心は持ち合わせていないらしい。

「ソリオ・プランデッキはいるか」

「ソリオなら出掛けてるよ。あんた、ソリオになんの用?」

「中を確かめさせてもらう」

 言うや否やアイリンは女を押し退けると、大股で室内に踏み入った。中には寝乱れた跡もそのままのベッドと、サイドテーブルの上には飲みかけの酒が入ったグラスが二杯。その脇にはベープのリキッド筒がいくつも転がっている。床に敷き詰められた絨毯は毛羽だって、大口を開けたスーツケースを中心に散乱した衣類。

 そのいずれもが、ひと目見ただけでも男物ばかりだとわかる。

「だからいないって言ってるだろ」

 背後から女の抗議の声を受けて、アイリンはゆっくりと振り返った。

「どこへ行った」

「関係ないだろ。ていうか、あんた誰なんだよ。まさかソリオの女とかじゃないだろうね。言っとくけど私はそういうのじゃないから、恨まれるのは勘弁だよ」

 女は裸の二の腕を抱え込むようにして、身構えるような格好を取る。そこでアイリンはようやく、ブレスレット型端末から司法捜査官の身分証明を映し出した。

 その身分証を目にして、女はかえって身体を硬くする。

「捜査官がいったい何しに来たのさ。もしかしてソリオって、なんかヤバい奴なの?」

「ある事件の容疑者について、ソリオ・プランデッキが関わっている可能性がある」

 最小限の情報だけを伝えて、今度はアイリンが女に尋ねる番であった。この部屋を借りているのはソリオのはずだが、そこに当たり前のようにいる彼女はいったい何者なのか。

「私は暴力旦那から逃げて、しばらく間借りさせてもらってるだけさ」

「暴力旦那?」

中毒者ジャンキーの旦那が住み込みの職場にまで殴り込みに来るから、寝床ぐらいは職場と別の方がいいだろうって、ソリオの方から言ったんだよ。本当だって」

 チュールリーと名乗った彼女は、このフロート市でも最も大きな娼館『ロイヤルサロン』で働く娼婦なのだという。チュールリーは言い訳じみた口調で説明したが、アイリンは彼女の身の上自体にはさして興味は無い。

 知りたいのは彼女とソリオの関係性、そしてソリオという男そのものの人物像である。果たして彼がこの星に現れた目的は何か。それとももしや彼自身、マテルディ同様に爆発事件を引き起こしかねないような危険な男なのか。

「ソリオがどんな奴かって言われてもねえ。私も、ほとんどこの部屋でしか一緒にいたことないけど」

 色とりどりに染まった、だが根元には地毛の黒が覗き始めている長い髪を掻き上げながら、チュールリーはソリオ・プランデッキと共に過ごした数日の記憶を語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る