20201120 ㉟ 5分コン短編2回目リライトの1


(5分で読書短編『タイトル未定』)



 金曜日の夕方、すでに美沙子先輩と一緒に、近所のコンビニへ立ち寄ったら、案の定──先輩が店員さんに絡みはじめた。

「ねえねえ、君、『年確』ちゃんとしなくていいのぉ?」

「えっと、ねんかく、ですか……?」

 青い縦じまのユニフォームを着た店員さんが、困った顔で首を傾げた。若い男性の店員さんで、おそらく私たちよりも年下だろう。高校生とか。

 先輩はにやにやしながら店員さんの顔を覗き込むようにしつつ、隣に立っている私を指差した。 

「『年齢確認』の略だよ。この子、まだ18歳なんだけど、確認したほうがいいんじゃない?」

うわぁ、我が先輩ながらうぜぇ……。

「美沙子先輩、やめましょうよ」

 私は彼女をレジの前から退けるべく、軽く肩で押した。控えめに。まだ関係性が不確かな、入ったばかりのサークルの先輩なのだ。

「さあ、確認しよう。未成年の飲酒は、法律で禁止されてまぁす!」

 今日は止まらないなぁ。そんなに酔ってない感じだったけど……。ああそうか、よく見ると店員さん、けっこう可愛い顔してるな。背もわりと高い。黒髪の短髪。さわやか系。

悪いことに他のお客さんも全然いないので、絡み放題だ。

「いや、しないです」

 店員さん──名札を見ると望月くん──は、少し赤面しながら答えた。接客時と異なり、やや声を潜めて。

「僕も……たまにんで。友達と」

 私も先輩も、その言葉が何を意味するのか一瞬呑み込めなかった。が、望月くんが缶ビールや梅酒の瓶をレジでスキャンしはじめたころ、ようやく理解した。先輩が妙に色めきだった。

「あー、悪い子なんだぁ。今度店長さんに言っちゃおうかなぁ?」

 すると望月くんはぎょっとして後ろを振り返り、やはり声を潜めた。

「ちょ……やめてくださいよ」

 その場には誰もいないが、もしかしたらバックヤードに誰か控えているのかもしれない。

「うそうそ、冗談。でも意外だねー。真面目そうに見えるのに」

 それについては私も先輩に同意だった。好青年というか、いつも真面目に仕事をしている印象がある。この店には週1ペースで訪れているが、たまに見ると、常にてきぱきと接客やら掃除やら陳列やらをしている気がする。

「そうですか?」

 彼は首を傾げてはにかむ。

 ……可愛い。

「まあ、バイト中だしね」

 おそらく先輩もそう思ったのだろう。追及を止めた。少し胸きゅんダメージを受けたのかも。

「……ですね。1480円です」 

 望月くんはそう応えると、店の入り口をちらりと見て、次に私のほうを見た。

 これは、助け船が必要なやつだな。

「先輩、小銭持ってます? 私、1000円出しますよ」

「いいよ、ここは先輩が奢っちゃる」

「えー、少し私も出しますって」

 そんな面倒な押し問答を続けていると、

「いらっしゃいませ、こんばんはー!」

 望月くんが入り口に向けて声を発した。チャイムが鳴り響く。ちょっとヤンキーくさい金髪のカップルが自動ドアをくぐって来店するところだった。ちょっと怖かった。

 先輩もそれに臆したのか、それ以上の問答をやめて静かになった。

「ありがとうございましたー!」

 会計を済ませて出る際、望月くんが発した声はどこか事務的に感じられた。なんだか少し寂しい気持ちになった。

 面倒な客だと思われたかも。

「ようやく帰ったかー、マジさっさと金払って帰れよなー」

 みたいな。あの挨拶の裏で、彼はそう思っていたかもしれない。いや、勝手な想像だけどさ。

「さて、じゃあ行きますか、春美のアパート!」

「はいはい……」

 その後は私のアパートにて、先輩と2人で映画のDVDを観ながら酒を飲み、一夜を明かした。酔って早めにいびきをかいて寝落ちした先輩を横目に、『この人はモテないだろうなー』なんて失礼な評価を下すかたわらで、私は望月くんのことを考えていた。

 もし、私もこの先輩と同一視されていたら、嫌だなぁと……。


 その翌週の金曜日。大学の帰りに例のコンビニへ寄った。今日は1人。毎週金曜日はコンビニ飯で済ましていいと、自分に許可を出している。美容と健康に気を遣いたいものの、毎日自炊は本当に大変だから。

 こっちが、私の平常の週末なのだ。

 時刻はおおよそ午後5時すぎ。店に入ると、元気な挨拶が聞こえた。カウンターの下で何か作業していたのだろう、自動ドアをくぐる私の方を見ながら、モグラ叩きのモグラみたいに、ひょっこりと店員さんが顔を出した。

 いた。望月くん。

 私は一通り店内を物色し、今日の夕飯となるおにぎりを2つ手に取る。自宅でひっそり、インスタントの味噌汁と一緒に温くなったそれを食べるのは、客観的には寂しかろうが、私としてはそれなりに至福だったりする。

 おにぎりをカウンターに持っていく。他に店員さんが居たものの、対応してくれたのは望月くんだった。

 私は意を決して声をかけた。

「ごめんね、昨日。うざくて困ったでしょ、うちの先輩」

 一応、先月から毎週かよっていて常連だし、覚えてくれていることを願った。

 彼は商品をスキャンする手をゆるめ、困ったように笑った。

「あ、いえ、そんなことは」

 反応を見る限り、覚えてる様子だった。やった。

 あと、表情が可愛い。

 言っちゃえ。

「困った顔、可愛いね」

「え……」

 ちょっと勇気を出して年上の余裕を見せると、彼の顔がみるみる赤くなった。

 うわあ、なんか良い気分。

「いま、私のこともうざいって思った?」

「……いえ、そんなことは」

 すると望月くんは、すぐに事務的な口調になった。

「おにぎり、温めますか?」

「はい」

 ちょっと調子に乗りすぎたかな、と思いつつ、私はうなずいた。

 見ると、別の店員さんが彼の隣に立ち、袋づめや電子レンジの操作を手伝い始めていた。いわゆる『社員さん』とか、そういう感じだろうか。それ以上の会話はせず、私は店を後にした。

「あ、ありがとうございました!」

 その声を背中に受ける。昨日とちがって事務的には感じず、むしろ働きたての新人みたいな、緊張の色を含んだ声だと思った。

 大胆なことしちゃったかな。余計なこと言って、あれじゃ結局、私も美沙子先輩と一緒じゃない?

 店を出て、自動車事故が多いという見晴らしの悪いその駐車場を抜けたのち、私は小学生の男の子みたいに、片手に提げたビニール袋を振り子のごとく回した。先ほどの自分の行為を思い出すと、胸の奥がきゅっとなるような気恥ずかしさが込み上げたからだ。何かで発散しないと、うわーって、叫び出しそうだった。

 そんなこともあって、翌週の金曜日まであのコンビニには近づかないことにした。

 金曜日に行けば望月くんと会える。私はのんきなことに、そう信じて疑わなかった。

 なんの根拠もないのに。


 次の金曜日はサークルの活動があった。とはいってもゆるい映研サークルで、大学の小講義室をひとつ借りて、映画などをみんなで観るだけ。それでも備え付けのスクリーンを使うので、軽いルームシアターだ。

「これから飲みに行かない?」

 すでにほろ酔いの美沙子先輩から誘われたけど(校内だろうと映画鑑賞の時はビール必須らしい)、今日は適当な理由をつけて断った。悪い人じゃないけど、しばらく酒の席はご遠慮したい。

「ええー、あたし最近気になるひとできたから、相談したかったのにー」

「すみません、また今度で」

 私はいかにも用事があるように、そそくさと大学をあとにした。

 そしていつものコンビニに立ち寄った。

 ──でも、店内に望月くんの姿はなかった。今日代わりにいたのは、妙に髪の長い男性店員だった。大変失礼ながら「お前じゃないんだよなー」と舌打ちしてしまった。ごめんなさい。

 その次の週も、望月くんはいなかった。

 どうしたんだろう……?

 不安になり、例の長髪店員に尋ねてみようかと思ったけど、恥ずかしくてやめた。接客態度もダルい感じで、話しかけたくならない。望月くんとは大ちがいだ。

 コンビニのバイトは続かないって言うし、もしかして、やめちゃったのかな……?

 私は急に寂しさが込み上げた。いつものようにおにぎりを買って帰ったけど、全然おいしく感じなかった。 

 

 ところがその翌週。

「あ、いた!」

 意図せず大きな声が出てしまい、コンビニ店内にいた男の立ち読み客の視線がこちらに向いた。うわぁ、痛いぞ自分。私は顔が熱くなってくるのを自覚し、身を小さくしつつ、カウンターの向こうに立っていた望月くんに、小さく手を振った。

 慣れ慣れしいだろうかと不安になったけれど、すでに大声を出してしまっている以上、そうするしかなかった。望月くんは、はにかむように笑ってお辞儀した。少しほっとした。変な顔されたらどうしようかと思った。

「ここのところいなかったからさ、やめちゃったかと思って、心配したんだよ」

 いつものようにおにぎりをカウンターに置くと望月くんが対応してくれたので、話しかけた。いや、本当のことを言うと、望月くんの手が空くのを見計らっていた。立ち読み客の他にはお客さんがいない。ちょうどいいタイミングだった。

「いえ、中間のテスト期間だったので休ませてもらったんです」

 彼が応える。

「へえ、そうだったんだ。ほんとに真面目だね。あ、おにぎり温めて」

「はい」

 私はビニール袋の代金込みの小銭が財布に入っているかを確かめつつ、ちらりとその顔を見た。わずかに目が合った。彼はすぐに顔をそらし、流れるような動作でおにぎりをレンジに入れてスイッチを操作し、小さいビニール袋を素早く用意する。

 仕事熱心だなぁ。

「何年生なの?」

 私はレジの画面に表示された金額を、カウンター上のトレーに並べつつ尋ねた。

「3年です。高校の」

「え、受験生ってこと?」

「そうですね」

 彼はうなずきながら、受け取ったお金をレジの中に入れた。

「バイトしてて大丈夫なの? もう5月だけど、勉強は?」

「そうなんですよ。勉強しなきゃいけないんですけど、バイトもちょっとやめられなくって……」

「えー、どうして? やめさせてもらえないとか?」

 彼からお釣りを受け取りつつ、私は会話を続けた。

「まあ、理由はいろいろあるんですけど──」

 温まったおにぎりを袋にいれる作業はてきぱきしているが、その返答の歯切れは悪い。

「いろいろ?」

 もう少し詳しく聞きたかったが、それは敵わなかった。いつの間にか、先ほどまで立ち読みしていた男が後ろに控えていたのだ。

 私はコンビニから退散しアパートへ帰った。私しか存在しない、小さくて静かな部屋。

 その部屋で味噌汁をすすり、おにぎりを食べた。具の梅干しの酸っぱさが、舌にしみる。

「いろいろ、ねえ……」

 普段ならスマホで動画を観たり、友達とラインしながら食べるのだけど、今日はそうせずに、望月くんのことを考えていた。先ほど話していた、バイトを辞められない理由についてだ。

「苦学生ってやつなのかな……?」

 もしかしたら彼の家庭は貧乏で、生活が苦しいのかもしれない。

 いや、さすがに今どきそこまで貧困はしないだろうけど……大学の入学費用が足りないから、自分で稼いで足しにしている、という可能性は充分にある。昨今は奨学金を返すのも大変だって聞くし……。

 それならば、あれだけ業務に対して真面目なのもうなずける。クビになるわけにはいかないだろうし、しっかり仕事ができれば、時給が上がることもあるだろう。

 ああ、なんかもう、それで確定な気がする。

「偉いよなぁ」

 私は勝手に決めつけて納得し、つぶやいた。

「……大違いだな、私とは」

 彼は高校3年生で、私より1つ年下で、受験生。でもお金を稼がなきゃいけない理由があって、あんなにしっかり働いてる。何なら他の店員より優秀なんじゃないだろうか。

 一方で私はというと、のんきな大学1年生。裕福というほどではないけれど、親が当たり前のように学費やアパートの家賃を払ってくれているし、生活費も振り込んでくれる。私がしていることと言えば、勉強と、お遊びのサークルと、小遣い稼ぎでやってる、教授の研究室の書類整理くらい。

 『当たり前のように』と言いつつ、当たり前ではない。仮に4年後、自分が社会に出たとして、両親と同じように働き、稼いだ何百万円というお金を子供に払えるだろうか。ましてこんな、のほほんと遊んで暮らしているような娘に。

 そんな折に、ちょうど母からラインが届いた。心配性の母は、わりと頻繁に連絡をよこしてくるのだ。

 世間話ついでに『バイトしよっかな』とメッセージを送ったら『バイトするために大学入ったんじゃないでしょ』と一蹴された。

「はあ……」

 デブになるかなー、なんて思いつつも、食べてすぐベッドに寝転んだ。自分という存在が、しょうもない無価値な人間に感じられて、ため息が漏れた。


 以降も金曜日はコンビニに立ち寄ったものの、ちょうど他にお客さんがいたりして、望月くんと会話をする機会はそれほどなかった。話ができたとしても、あまり突っ込んだ内容になると、また自分の無価値感を味わうはめになるかと思い、たわいのない会話しかしなかった。

 まあ、そもそも『コンビニの店員と客』という立場なのだから、それが普通だけど。


 ところがその次の金曜日、事件が起きた。

 コンビニに寄ったら、カウンター越しに望月くんと誰かが、何やら仲良さげに話をしていた。私がその人物に気づいたのは店内に足を踏み入れてからのことだった。

 美沙子先輩だった。

「あ、春美じゃん」

 先輩は私の姿を認めるなり、明るい調子で手を振ってきた。私は反射的に、

「お、お疲れ様です」

 と会釈をしたが、数秒の間、その場で固まっていた。

 なんで、美沙子先輩がここに? 確かに今日はサークルは無かったけど……。

 先輩は笑顔で望月くんに手を振り、こちらへ歩いてくる。私の肩にポンと手を置き、

「事情はあとで説明するねっ」

 意味深にウィンクして外へ出てしまった。

「は、はあ」

 私は呆気に取られ、去っていく先輩の背中を見送ることしかできず、望月くんの顔も見ぬままに、ぐるりと遠回りをしておにぎり売り場まで歩いた。

 なんで先輩がこの店に。というか、なんでいつの間に望月くんとフレンドリーになってるの? 彼だって、私と話してる時よりも楽しそうだったんだけど。そういえば先輩、『最近気になるひとができた』とか喋ってたけど、それって……? そしてもしかして2人って……。

 美沙子先輩、モテないと思ってたのに……。

 私はのろのろとおにぎりを手に取り、レジへ持っていく。

「仲良くなったんだね」

 対応してくれた望月くんにそう尋ねた。彼はおにぎりをスキャンする手を止め、いつもの困り顔を見せた。

「えっと……まあ、はい。ちょっといろいろ相談に乗ってくれたりして」

「相談?」

 ふぅん。そういう馴れ初めか。だったら私だって──と思ったけど、こちらは週に1度、金曜日だけ。そのほかの日に先輩が何度も来ていたら、敵わないのか。

「……おにぎり、温めてね」

 私はヘコみつつ、提示された金額ぴったりの小銭をトレーの上に置いた。

 すると、望月くんがおにぎり片手に言った。

「あの……5分、かかってもいいですか?」

「は?」

 私は聞きまちがいかと思った。

「えっと、おにぎり温めるの、5分だけ待ってもらってもいいですか?」

 そのせいか、望月くんはもう一度、慎重な感じで繰り返した。

「いや、そんなに時間かからないでしょ、それ」

 いつも買ってるおにぎりだ。10秒かそこらですぐに終わる。

「違うんです、今日は、その……」

 望月くんはきょろきょろと店内を見回した。私の他に、お客さんはいない。

「え、何?」

「いつだったか、お客さん、ここで事故があった時に仲介役してましたよね」

 いきなり話が飛んだ。おにぎりはどうした?

「まあ……あったね。そういうこと」

 たしか大学に入ったばかりの頃だ。ちょうどこのコンビニの駐車場で車両同士がぶつかる軽い事故があった。たまたま私はその場に居合わせており、運転手のおじさん同士がちょっと揉めそうな雰囲気を醸していたので、すぐに警察を呼び、結果、目撃者として彼らの話し合いが終わるまで付き合う羽目になった。

「じつは僕、あの現場を見てたんです。店に忘れ物してて、取りに来た帰りで……」

「へえ。全然気づかなかった」

 私がそう言うと、彼はきまり悪そうに目を伏せた。

「だと思います。気づかれないようにしたので……」

「どういうこと?」

 首をひねり尋ねる。彼は相変わらず目を伏せ、恥ずかしそうに答えた。

「ああいうトラブルって、あまり関わりたくないんですよね。めんどくさいっていうか、時間、取られちゃうし」

「別にいいんじゃない? 学校もバイトもあって、受験勉強もしなきゃいけないんだし……」

 いまの私も、時間を取られようとしてるけどね。

「そうかもしれないですけど、そういうのを迷わずできる方がかっこいいっていうか、すごいって思います。でも僕が来年おなじ状況に立ち会っても、たぶんそういう対応はできないので」

「そんかな」

 たいしたことじゃない。

「私は望月くんの方がすごいと思うけど。私にはできないよ、受験勉強とバイトの両立なんて」

「いや、そんな……」

 望月くんは首を横に振り、ふと外に目を向ける。

「とにかく、あと5分待っててもらえませんか」

 理由を尋ねようとすると、お客さんが3人ほど店に入ってきた。そのうち1人は、缶コーヒー1本を片手に、レジへ向かって来た。

「まあ、いいや。じゃあ外で待ってるよ」

 私がそう言うと、「はい!」と、とても良い返事がかえってきた。なんなの、本当に。

 望月くんの目的はわからぬまま、私は居場所を失い、外へ出た。

「待ってろって、お願いされたんでしょ?」

 するといきなり、どこかから声をかけられた。見ると、店の陰から美沙子先輩が顔をのぞかせ、にやにやと笑っていた。帰ってなかったんだ。

「な、なんで知ってるんですか?」

 私は先輩に近づき質問で返した。

「だってあたしが焚きつけたんだもーん」

 先輩は体をくねらせ、からかうように告げた。

「どういうことですか?」

「あたしの彼氏が、ここの夜勤しててね」

「彼氏?」

 私は話が見えなくて、首をひねった。

「この前『気になるひとができた』って言ったじゃん。最近その人と付き合うことになったのよ、これが」

「へ、へえ」

 そういえばそんな話もあったような。

「で、あの望月くんって、受験生らしいじゃん? だから彼氏が、なんでバイト辞めないのか訊いたみたいなのね」

「えっ」

 ついその言葉に反応した。それ、私が聞きたかったやつ。

「その結果、あたしのジョニーデップ似で後輩に優しい彼が、これからシフトに入ることになりました。あの子の代わりにね」

「あの……なんか話が飛んでません?」

 また酔っているのかこの人は──と思った瞬間、その見晴らしの悪い駐車場に、1台の黒いセダンが停まった。

「あ、来た来た!」

 美沙子先輩が嬉しそうに跳ねた。

 セダンから降りてきたのは、なんとあの、長髪のダルい店員だった。

 当たり前だけど、全然ジョニーデップじゃない。

 ──先輩、眼科に行った方がいいですよ。

 そう言いたくなる気持ちをこらえ、私はぎゅっと口をつぐんだ。

「クウやん遅いよ。もう18時だよ!」

 彼の名前はクウやんというらしい。

「平気だろ。あと1分あるから」

 クウやんはダルそうに長髪をかき上げて言うも、

「急いで急いで!」

 せかされるまま、早歩きで店内に入っていく。

 先輩もそれに続こうとしたが、立ち止まり、ドアの手前でふり返った。

「そうそう。『気になるお客さんがいるから』──なんだってさ」

「何が、ですか?」

 私が尋ねると、先輩は店のほうを一瞥し、いたずらっぽく口元を緩めた。

「望月くんがバイトやめられなかった理由よ」

「え……」

「だから、話してみたらって、勧めたわけ」

 私が呆気に取られているうちに、先輩はさっさと店内に入ってしまった。

 整理しよう。そう考えつつも、鼓動が徐々に早くなるのを感じた。

 先輩の台詞から察するに、望月くんの言う『気になるお客さん』というのは、おそらく私のこと。そしてその私が通ってるから、彼はバイトをやめられずにいるということなのだろうか。

 それで『お客さんと店員じゃない時』っていうのが、つまり──。

 スマホを取り出してみると、時刻は18時になっていた。あれからちょうど5分経っている。胸が勝手にばくばくと脈打つ。

 顔を上げると、ガラスの自動ドアの向こうに、望月くんの姿が見えた。青と白の、制服姿じゃない。その手には、おにぎりが入っているであろう、ビニール袋が。

 目が合ったと思った瞬間、ドアが開く。

 大人の余裕は、見せられそうにない。


(了)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る