◆06 ピクニックとランチボックス

 この惑星に来てからもう二週間が過ぎようとしている。怪我もトラブルもなく、退屈たいくつもせずに日々を暮らしていけるのはクロエのおかげだろう。あれから彼女は惑星のいろいろな場所を案内してくれた。

 広大な砂漠や土砂が層状に隆起りゅうきした丘陵きゅうりょう地帯。前時代に使われていたらしい超大型戦艦のスクラップに、穴だらけの小惑星たちが転がる岩の平野――どれも好奇心をくすぐるものばかりだった。


 クロエの棲み洞穴ほらあなに置かれたソファーで俺はゆったりと背伸びをした。うしろには壁から船首が飛びでた廃船があり、そのなかでクロエがものを整理している。

 いまの時刻は昼あたり。腹も空きはじめている。しかしクロエは昼食どころか、朝食さえとっていなかった。


 このごろ俺はクロエの不思議さ、いや『不自然さ』に気付きはじめた。

 まず食事をほとんどとらない。保管してあった食糧しょくりょうもじつは異様に少なく、それでも彼女には数週間の量で、しかもぜんぶ『嗜好品しこうひんとしてしか食べない』のだ。なので食糧しょくりょうは俺の胃にはいるばかりだ。

 またもうひとつは惑星の案内中におきた出来事だった。ある谷の道で大きな落石が行く手をふさぎ、谷が通れなくなっていた。これからさきに行くには回り道をするしかない。だがクロエは「また明日に来ればなんとかなるよ」と何食わぬ顔で言い、そして翌日、谷に来ると岩は消えていて楽に通れるようになっていた。


 どう考えてもおかしなことだ。けど仮説はすぐに出る。

 もしも彼女が、本当に『この惑星ほしせい』だったなら……。


 にわかには信じられない。が、やはりこれに行きつわけで、俺は息を吐きながら背もたれに身体をあずけた。



 昼食の食糧缶しょくりょうかんを俺だけ食べ、しばらくしたあとクロエが廃船から出てきた。彼女は工具箱らしきものを抱えている。


「なんだよそれ?」


「ふふっ」

 俺の前にきたクロエは箱を置く。ごきげんな顔で箱のロックをはずし、ふたを開けた。


「わたしの宝箱なの。見て」

 なかは小物でいっぱいだった。女性らしく(箱に入る小さい)ぬいぐるみはもちろん、ドライバーやボルトに、金細工のペン、丸みを帯びた色ガラスの欠片かけらなどなど……。ひと目見ても同じような物はない。こういう存在をたぶん、『子供のおもちゃ箱みたい』とか言うんだろう。

 クロエは箱のなかを両手であさりだす。まわりの小物が飛び出すのをかまわず、彼女はふたつの小箱を取り出した。

 それがなにか、すぐにわかった。


「ランチボックス?」

 緑と青の、カラフルな色味をしたふたつの弁当箱ランチボックスだ。汚れや傷もなく、新品のまま捨てられたのだろう。

 クロエは言った。


「これに食糧しょくりょうを入れてさ、もっと遠くに行かない? 私ね夢だったの。住人と一緒に外で食べるのが」


「……ふーん。まあいいけど」

 俺はそんな返事で提案ていあんを受け入れた。内心、うきうきした気分もありながら。

 青のランチボックスをもらう。箱には白い鳥が葉っぱをくわえて飛ぶ絵が描かれていた。クロエがもつ緑のほうは花の絵。キク系の花が一輪、黄色い花弁をいっぱいに広げている。


「花柄だね」


「そう、これ『花』って言うのよね」クロエは絵に指をれた。

「この惑星ほしに花はないから、この絵がすき。いつか植物も生えてほしいな。もちろん鳥もね」


「クロエ。鳥は生えて・・・こないよ」


 俺の言葉も耳に入らないらしく、クロエは花柄がついたランチボックスを見つめている。その横顔に、俺はなぜか目をうばわれている。

 見ていたくて、でももどかしいそんな気持ち。ほっとするような、けれどざわつく矛盾むじゅんした気持ちを。俺がいま感じているこれは何だ。


 ……一瞬、脳裏のうりにあの売女が叫んでいた出来合いの言葉がよぎった。

 愛だとか恋とか、ほざくそんな大人の戯言ざれごと、俺は嫌いだ。


「あれ、ユーリどうしたの? そんな目して。行きたくないの」


「……うまれつきだってば。行くよ」


「えー、ほんとうにそれだけ?」


 うたがうクロエをよそに、俺は黙々と出かける準備をすすめた。




 そこは広大な窪地くぼちのぞめる場所だった。浅い傾斜けいしゃがクレーターに似たくぼみをつくりだしている。毒ガスがかぜにのって流れてくることを心配したが、クロエが言うに「ここは大丈夫」なのだそう。


「もっと低いところがあるからね」

 答えたあと、クロエは遠くを指さす。そこには地面とおなじ色をした巨大な奇岩がひとつ、そびえ立っていた。


 奇岩は横に伸びた橋のような部分があり、今いる地点から渡るのにちょうど良かった。進むなか、はるか下にある地面が高さを感じさせる。渡り終えると大きな縦穴が開いていて、彼女に手招きされるまま俺は足を踏み入れた。

 ……驚いた。内部はがらんどう・・・・・だ。入り口以外にも大小の穴が壁の上やら下やらにあって、まるで窓のように陽がおりている。

 足場も壁に沿うかたちで奥までつづいていた。少しせまくて、もろそうだけど。


「クロエここは?」


「わたしの惑星ほしおへそ・・・。地下の空洞とつながる入り口をおおっている岩なの」


 彼女から聞くに、この惑星は空洞が多いらしい。無秩序むちつじょに廃棄物を捨てたことでできた惑星だからそうなるのもうなずける。言わずもがな惑星のいちばん低い場所は入り組んだ地下空洞なわけで、廃液や腐食する毒ガスなど比重ひじゅうが大きいものは最後にそこへ行きつくのだそうだ。


 クロエに付いて足場を進む。ひと足ごとに足音が壁に何度も反響し、楽器のなかにいるようで面白い。足場が枝分かれしている左のほうは行きどまりで、空中にとび出た格好になっているため、足場の下がどうなってるかよくわかる。光が当たらない場所はずっと暗くて、終わりが見えそうにない。


「あのさクロエ。廃液とかは溜まり続けるけど、あふれてきたりはしないの」


「ううん、まだ地下の空間に余裕はあるから。それに廃液が混ざって乾燥するとね、きっときれいな結晶が生えてくる。この身体じゃ見られないけどね」


 振りかえった彼女は目をつむる。

「いまの身体は仮のすがた。いつかはまた惑星とひとつになるの。だからユーリ、それまでよろしくね」


 クロエは、優しく頬笑んでいた。



 きた道をもどり、窪地くぼちのそばで夕食をとることになった。地べたに腰をすえて俺たちは弁当箱を手にする。中身は携帯食けいたいしょくをつめただけ。でも箱があるだけでなんとなくそれらしい。

 空は赤紫色の夕焼けに染まっていた。透明感があるすずしげな夕方だ。よく知る夕焼けとは違うのに心は落ちついた。


 あらためて思う。

「……不思議だよ。この惑星で息ができることも、生きていられるのも、話し相手がいるのも。頭ではわかるけどさ」


「ふふっ、そうなのかもね」クロエは続けた。

「でも私はここにいるし、あなたと同じ夕焼けを見ている。……きっとねユーリ、これは奇跡なのよ」


「ひとが生きられる大地と、空気があって、そしてあなたが来た。そんな偶然のなかに私たちはいる。この何気ない、いまが奇跡だと思うの」


「ああ、俺もだよ」

 俺たちはいろんな出来事がかさなって、めぐり合ってここにいるんだ。そしてクロエがいるから俺は生きていられる。この瞬間も、そしてきっとこれからも。

 いつの間にか夕焼けはよりあざやかに広がって、惑星の空を彩っていた。



 弁当を食べ終えたとき、彼女がもつ花柄のランチボックスに目がとまった。

 ……そうだ。

「クロエ、考えがあるんだ」俺は花柄を指さす。

「まだ本物の花を見たことがないんだよね。じゃあさ、俺が花を見せてやるよ」


「えっ、お花を?」


 驚いた顔のクロエはなんだか面白い。俺は自信をもって言った。

「そう。いつかきみ・・に花を渡す。種を探して育てるのも良いし、廃棄にきた船からもらうこともきるだろ。ほかの惑星から持って帰ることだって。そうだ、あとで花畑をつくるのも楽しいかも」


「ほんと!? 嬉しい。ありがとうユーリ」


 笑顔をうかべたクロエに、俺は頬をかく。いつも素直になれないけど、今回はまあできたほうだろう。ちいさな、だけど大切な約束をしたつもりだった。



 赤紫の夕焼けもかげり夜が近づいてくる。いつもの洞穴ほらあなは遠いので、今夜はクロエが中継地ちゅうけいちにつかう別の場所で休む予定だった。


 しかし、異変は急にやってきた。

 厚い雲が空をおおいはじめ、そのなかを稲光いなびかりが駆け抜けたのだ。


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 ――少年と女性はピクニックに出かけました。おたがいの弁当箱には鳥と、花の絵が描かれていました。

 女性と一緒にいることが、少年にはとても大切なことのように思えたのです――

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