子羊は狼を喰らった
ぐいんだー
第1話
死ぬと私は扉の前に立っている。玄関が真っ暗で薄っすらとドアノブが見える位で後は雪が降りしきる夜空に浮かぶ月明かりのみ。玄関の戸口を開けると灯りの頼りなしにこの廊下を歩かなければならない。家主が言うには節電と言うものらしい。
廊下の奥の方からは人工的な明かりが漏れだしている。どうもここの家主は戸締りがしっかりと出来ていない。これでは冷えてしまうだろう。漏れ出す明かりに釣られ引戸を引くと、背中まで伸びた黒色の髪をタタミと呼ばれる床材の上に無秩序にばらまかれてる。その髪の持ち主である女性がコタツに肩まで埋めてすやすやと寝ていた。彼女の横に座ると私の気配を感じて青い瞳だけをこちらを向けた。彼女は私のこんばんわの言葉を遮り悲しげに睫毛を揺らして言った。
「フィー、また来てしまったのね」
私の名前をコタツの中でもぞもぞとしながら呼ぶ姿は滑稽だがそれでも様になっているのは浮世離れした風貌によるからなのかもしれない。
「次は死なないように頑張ります」
ある日現れた女神様に「転生特典を授けよう」と言われた。言葉の意味は測りかねるが貰えるなら何でも欲しかった。何も無い私には生きれるならそれで良かった。そして手にしたのは死なない体。
「貴方のその言葉毎日朝昼晩の聞いてるんだけど態となの? しかも私が丁度ご飯作ってる時に来るじゃない」
大体死ぬとこのスノードームの世界の真ん中にある2階建ての屋根裏部屋がある子持ちの家族が住めそうな木造の家に辿り着く。
「いつも美味しいご飯、とても有難いです」
女神様の作る料理はとても美味しく見たこともないような食材や調味料を使ってご馳走を振舞ってくれる。今日の昼に食べたのはかっぷらあめんと言う魔法のポットで沸かしてお湯を注ぎ少し待つだけでもちもちとした食感でつるつると吸いながら食べるのがセオリーらしい不思議な料理だ。スープも美味しく少し具が少ないのがケチだと思うがそれでも短時間で満足の行くような料理を作るのは流石女神様だと尊敬してしまう。
「すごく手を抜いても貴方達からしたらご馳走なのよね。食事の質を向上させるために技術を与えた方が良いのかしら。でも今は戦争中だから難しいわよね……どうすれば良いのかしら」
女神様はことある事に面倒臭いと言いつつコタツでぐでーとしながら本を読んでいらっしゃる。紙の本らしいのですが表紙がまるで一流の画家が描いたような、それこそ宮廷にお抱えされる程精密で煌びやかな絵が描かれている。前に一度手に取って中を見た時私には分からない言語で書いてあった。多分女神様とか神様にしか分からない言語なんだろうけど、寸分のズレもなくツルツルとした触り心地でこれが神様が使う叡智を結集させた本だと私の様な学の無い者でも直ぐにわかった。ぺらぺらと捲った時にちょっぴり女の子がえっちな目に遭っている絵があったのはきっと私の目が汚れていたのだろう。
ふと気になったことがある。
「女神様はえっちな事ってするんですか?」
「……」
私の問いを聞こえていないのかそれとも無視してるのかずっと本を読み耽っている。もしかしたら聞こえていなかったのかもしれないしもう1回言ってみればお話してくれるかもしれない。
「あの、女神様はえっちなこと」
「な、何!? どうしてそんな質問するのよ! 今頭抱えて悩んでるっていうのに私は貴方の先生じゃありません! それとえっちなことは貴方にはまだ早いわ!」
顔を真っ赤にさせ怒ってしまった女神様にどう謝ったらいいか分からず私は正座して俯き反省の色を見せる事にした。
「女神様、ごめんなさい」
ため息をついた女神様がコタツから出ていってしまった。邪魔して不機嫌になってしまったのかな。嫌われるのは嫌だな。今からいっぱい謝れば許してくれるかな。ぐるぐると渦巻く小さな頭から出た思いは直ぐに杞憂だったとわかる。女神様はトレーに紅茶と白い地層を重ねた様な見た目をした三角形の、恐らく食べ物を2つ持ってきた。
「あの、女神様」
「あのね、別に怒ってないからしょんぼりしないの。あの程度で怒る程狭量な心しかなかったら女神なんてやってられないわ」
並べながら寒いんだからこちらにおいでと手招きされるので冷えた体を再び温もりのあるコタツで溶かした。置かれた料理からは蜂蜜や果物とは違った甘い匂いが漂い喉がごくりと鳴った。
「女神様、これは一体」
「ケーキって言うの。これはショートケーキって言って、この白いのが生クリームでこれをふんだんに使った……そうね、甘いパンみたいなものよ。遠慮せずにお上がり」
「しょおとけーき……なまくりぃむ……」
このしょおとけーきの上に付いている赤い実も気になるがこの白いフワリとした謎のなまくりぃむと言うものから途轍なく甘い予感がする。フォークを掴みなまくりぃむだけ掬い口へと持っていく。そして恐る恐る口の中へ含んだ瞬間極上の甘さが私の脳を襲った。
「甘い……甘いでふよめがみひゃま!」
「フォークを口から出して喋りなさい」
思わずフォークを咥えながら感想を述べると女神様はクスクスと嬉しそうに笑っていた。
「生きていて良かったです」
「貴方死んでるのよ」
そういえばそうだった。生き返る前にここでめいいっぱいご飯を食べてからまた戻って仕事を頑張ろう。女神様も紅茶を啜りながらしょおとけーきをもぐもぐとしていた。なまくりぃむを堪能するのも良いがこの毒々しい、表面に黄色いつぶつぶが付いた実が気になる。
「その赤いのはイチゴって言うの。貴方の世界にあるプルエリの実と似た味をしてるわ」
プルエリと言えば街の中でも外でも雑草の様に生える異様に生命力が強く実が恐ろしく酸っぱい誰も手を付けない果物だ。あんなもの女神様は食べたのか。
「プルエリより全然酸味は強くないから平気よ」
やはり食べたのか。
パクッと口に放り幸せそうに頬を緩ませているので私も倣って口に入れる。噛まずにコロコロしても酸っぱくないのを確認して少しだけ潰すとほんのりとした甘さ広がった。
「ね? 酸っぱくないでしょ?」
こくこくと頷いて咀嚼すると表面に付いていた実が歯で潰されぷちぷちとした音が面白い。夢中になって食べていたら飲み物一緒にどうぞと言われ少し熱めの紅茶が魔法のポットから注がれふわりと上品な香りが立つ。
「まるでお姫様のティータイムみたいです」
「出来れば貴方たちの様な市民でも楽しめるような食生活にさせてあげたいんだけど魔王軍の力がどんどん強くなってて厳しいわよね」
私の国は今困窮している。女神様が言ったように魔王軍が勢力を伸ばし食糧も人員も不足してるそうで私のような使い物にならない子供は満足にご飯も食べられないのだ。でもそれは女神様は知らない。
この世界には人間の王国が多く存在してるが魔王軍と渡り合えるほどの国力を持っていないような国の問題を改善するのはもっと先。その為に日々女神様は頭を悩ませて人間の力になろうと努めている。だから本当は私みたいなちっぽけな一人の人間に構ってる余裕なんて無いのだ。でも叶うなら、少しでも女神様との時間を過ごせれば良いなって。
「どうしたの? ぼーっとして」
「いえ、女神様は凄いなって」
「別に凄くなんか無いわよ。私なんて……」
あっ頬になまくりぃむがついてる。
ぺろっと舐めとる。
甘い。女神様の頬についてたなまくりぃむは格別に甘かったけどもしかしてあっちのしょおとけーきは特別性なのだろうか。ずるいなって思っていると女神様は何も喋らなくなってしまった。目を丸くして固まったと思えばどんどん頬が赤くなって熱を孕んでいるみたい。触ったら暖かそうだ。
「甘いですね」
「あ、あ、あなたね! 揶揄うのも大概にしなさい! さっきからえ、えっちなこととか今のキスとか羞恥心ってものは無いの!?」
「ご、ごめんなさい」
また怒られてしまった。そんなに怒るとは思わなかった。だって美味しそうだったんだもの。でもキスはしてないのだが女神様は「もうっ!」と言って私を押し倒した。
「こうやって戯れるのは始めてで楽しい。女神様は?」
「私も……うん、楽しいわ」
温かい。体温は段々と眠気を誘い眠りそうだった。まぶたを閉じようとした時女神様は離れた。部屋は寒くないはずなのに凍りそうだ。スマホを険しい顔でじっと見つめているけどどうしたんだろう。すると女神様は眉を下げ申し訳無さそうに謝ってくる。
「ごめん……ごめんねフィー、もうそろそろ帰ったほうがいいわ」
「えっ、どうしてなの」
「少し野暮用、かな。もう死んじゃ駄目よ? それじゃあ、また…………さようなら」
私にさようならも言わせず女神様は私に手をかざした。
ほんの一瞬、手の隙間から見えた女神様は悲しげな目をしていた気がした。まるでもう二度と会えないかの様に。
また死んでしまった。今回は騎士の人に斬られ血をどくどくと流しながら死んでしまった。でも死んでゆく中でまた女神様に会えるんだと思うと苦痛すら喜びに変わっていく気がした。
目覚めたのはいつも女神様がいるスノードームの世界。はらりはらりと降る雪が珍しくくっきりと見える。玄関口の明かりがついてるなんて珍しかった。節電に飽きたのだろうか。
「女神様との約束守れなかったな。許してくれるかな」
それが少し気がかりだった。あの時言った言葉は今までにないくらい真剣味を帯びたもので破ってはいけない気がした。
でも女神様は優しい方だ。きっと許してくれるに違いない。だから私は躊躇うこと無くドアを開けた。
「ただいま!」
でもこの声は女神様に届かなかった。
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