インフェルト村の少女‐02(008)



「猫ちゃーん。どこから来ましたかー」


 見た目が猫なのだから、人族から猫扱いされることは仕方がない。パトラッシュはぐっと気持ちを堪え、毛の流れに逆らって撫でる手にも文句を言わなかった。


「猫ちゃん可愛いな、飼いたいなあ」


 少女はしゃがみ込み、パトラッシュより少し高い目線で話しかける。飼いたいという事は、少女の家に猫がいないという事。もしも家が肉屋だったなら……仕えるに値するかは別として、好印象を与えて損はない。


 少し手の甲を嗅ぎ、牛乳臭い手の甲を舐めてやれば、少女は猫に懐いて貰えた喜びで満面の笑みを浮かべる。


「あーん可愛い! 小さな鞄を下げてるから、どこかの猫なのかな……」


「にやあーん」


 パトラッシュは精いっぱい猫らしく振舞い、少女のスカートに体を擦りつける。猫好きであれば、ここまで気を許されてほだされない者はいない。大抵の場合、猫を飼えない事情がある場合でも、食べ物や飲み物を分けてくれる。


 パトラッシュは「ただ喜ばれることをする」という、とても健気で素直な行動を取ったに過ぎないが……世間ではそれをしたたかという。


 そんなパトラッシュは、ふと少女の背後を蜂が飛んでいることに気が付いた。丸々と大きな蜂は、少女の髪の毛に止まろうとしている。


「にやーん、にやあん!」


「どうしたの? 何かあった?」


 少女は全く気が付いていない。それどころか牛乳が欲しいなら買ってあげようかなどと呑気に微笑んでいる。動きが突飛で素早い子供は、蜂を驚かせて刺激してしまう。


 人に優しくする事を主人に言いつけられていたため、パトラッシュは何とかして少女に伝えたいのだが……


「な~お、にゃあーん」


「何? あたしの髪に何かついてんの?」


 少女はパトラッシュの視線に気づき、そして後ろを振り向きながら髪を手で触ろうとする。その場所には今、大きな蜂が止まっている。パトラッシュは思わず声を掛けていた。


「いけません! 蜂が止まっております!」


「えっ?」


 少女は手を髪にはやらず、頭をパッと動かしてパトラッシュへと視線を向けた。その拍子に蜂が髪から離れ、少女のすぐ鼻先を飛んで通過した。


「キャッ!? 蜂!」


 少女がその場から飛び退くと、蜂はそのまま遠くへ飛んで行った。少女もパトラッシュも、ホッとため息をつく。が、パトラッシュはその吐いてしまったため息を慌てて吸い込み、少女を横目でチラリと見上げた。


 少女の驚きとも好奇心とも取れる表情は、もう言い逃れできそうにない。


「猫ちゃん、あなた、喋ったわね?」


「……にゃんー」


「さっき喋ったわ、猫が喋った!」


 少女は大喜びではしゃぎ、道行く者が何事かと足を止める。


「猫ちゃんがね、あたしの髪に蜂が止まってるって教えてくれたのよ!」


 誰も尋ねてなどいないのに、自分から教えていくスタイル。幼い子供にはよくある事だ。幸い、大人たちは賢い猫ちゃんだねと微笑ましく思うだけで通り過ぎていくが、少女は誰かに分かって貰おうと必死だ。


 このままでは少女が虚言壁のある可哀想な子扱いされてしまう。そう思ったパトラッシュはこの村での主探しを諦め、すくっと2本足で立ち上がった。


 若干ふらふらしているがこけそうにない。足腰が衰えているというよりは姿勢を保つのが難しいのだろう。


「わたくし、パトラッシュと申します、お嬢様。訳あって、ご主人様から旅の許可をいただいておりま……」


「ほら喋ったわ! 聞いた? ねえ、聞いたでしょ!? 猫ちゃん喋った!」


「あの、わたくし、パトラッシュと……」


 少女はパトラッシュの話を聞くよりも先に、自分の言ったことが本当だと認めて貰いたいらしい。自分を知る大人を強引に呼び止め、そしてパトラッシュを紹介した。


 草色の長袖にあずき色のスカート、白いエプロンに白い三角巾を結んだ小太りな女性は、困ったような笑みを浮かべながらパトラッシュの前に立った。


「喋って!」


 キラキラと目を輝かせ、少女はパトラッシュが喋るのを待っている。パトラッシュは、再々度、自己紹介を始めた。


「わたくし、パトラッシュと名を頂いております。訳あって、ご主人様から旅の許可を頂いておりまして」


 女性は目を真ん丸にして驚くも、なる程と感心したように少女へと話す。


「まあ、精霊さんね! メイジ、この子は猫ちゃんじゃなくて精霊よ。精霊は人の言葉が分かるの。私も初めて見たけど……へえ、お利口ね」


「精霊? 神様なの?」


 女性はパトラッシュの事を精霊だと判断したようだ。


 ごく稀に生まれた瞬間、精霊を発生させる者がいる。それは村に1人もいないような確率で、国中探してもおそらく10人に満たない。


 そんな伝説に近い話を知っていれば、パトラッシュを魔獣ではなく精霊と判断するのも無理はない。むしろ、この場に限っては好都合だろう。


 少女は精霊という存在を知らないらしい。一方のパトラッシュは……


「あいにく、わたくし神様という方にお会いしたことがなく、存じ上げておりませんが」


「うーん、じゃあ偉くはないのね。おばさん、この子どうしたらいいの?」


「どうしたらって……旅をしているって言うんだから、旅をさせてあげたら? メイジ、そういえばあんたを屋敷の人が探してたよ。早く帰らないとジェノバ家のマイヤーさんに叱られるんじゃないかい。パトラッシュさん、どうぞごゆっくり」


「ご丁寧に有難うございます」


 パトラッシュはまた2本足で立ち上がり、左前足を胸にあててお辞儀をする。喋れる事を知られたなら、もう開き直るしかない。精霊呼ばわりは少し思うところもあったが……魔獣だと名乗れば怖れられ、捕まえられ、殺されてしまうかもしれない。


「お名前はメイジ様で宜しいのでしょうか」


「うん、あたしメイジ! あなたはパトラッシュ?」


「はい。そう名をいただいております」


「ふーん。もうどこかに行くの?」


 やはり、ご主人がいるとなれば、飼いたい、使役したいという気持ちはなくなってしまう。少女は仲良くなれた事を嬉しく思うも、先ほどまでの飼いたい、可愛いという言葉は発しなくなった。


 パトラッシュが出発したいのなら、引き留める気はないのだろうか。


「そうですね、ひとまず食べ物を探してから、次の村を目指そうかと」


「おなかすいてんの?」


「ええ、村に立ち寄った時くらいしか、きちんと食事が出来ないですからね」


「それなら、あたしと一緒にくる? 食べる物なら頼めばくれると思うし」


 メイジは自分の住む屋敷に招待してくれるという。塀の隅で丸くなって眠る事も、虫を取って食べる事も構わないが、家の中で休ませて貰えるなら有難い。


「有難うございます、ご迷惑でなければぜひとも」


「蜂を追い払ってくれたし、お礼よ!」


 少女が歩くと、時折水筒の中に入っている液体がちゃぷんと音を立てる。立ち寄る村々の子供たちは靴を履いていない事も多かったが、屋敷に住んでいるのならそれなりの身分のはず。


 貧しそうには見えず、活発だが身綺麗だ。パトラッシュは裸足で元気に歩くメイジの事を少し不思議に思っていた。


「失礼ですが、メイジ様はお屋敷にお住まいなのですよね」


「うん」


「何故裸足なのですか?」


「もっと小っちゃかった頃から、靴は嫌いなの。みんな履かせようとするけど」


 どこの家でも教育方針に反抗する子供は珍しくない。パトラッシュは活発で自由奔放なメイジが自分を連れていく事で、怒られはしないかと少し心配になっていた。


「ご両親はその……猫や精霊嫌いではないのですよね」


「お父さんもお母さんもいないわ。遠くに行ったって言われてるけど、死んだって知ってるの」


「それは悲しい事ですね。お悔やみを申し上げます」


「あたし、この村に来るまではずっとお婆さんと住んでて、お父さんたちとは殆ど会ったことがないし。別に悲しくないわ」


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