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数奇ニシロ

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「好きな人が出来た」


 頬を染めながらそう言う圭太に、私は何て返せば良かったのだろう。


「……へー、そうなんだ」


 結局、そんな当たり障りの無い返答しか出来なかった。


「アイリスさんって言うんだけどさ、とっても素敵な人で――」


 心臓がバクバクと嫌な音を立てているのがわかる。

 やめて。あなたのそんな嬉しそうな声を、これ以上聞きたく無い。

 

 「……そうなんだ」


 これ以上聞いていたら――表面上の平静すら、保っていられなくなりそうで。




 § § §




「ねえ文芽あやめ……本当に圭太君なんかのどこが良いのよ? 文芽なら、学校中の男子が選り取り見取りなのに」

「その質問何回目? 私にとっては圭太が一番なの。圭太のためなら、私は何だってする」

「はぁ〜、強情だなあ」


 やれやれ、と大袈裟に肩を竦める親友の愛ちゃん。私の事を思って言っているのはわかっているけど、この件に関して私が意見を変えることはない。


「本当にもったいないよ? 才色兼備、文武両道、何よりダントツの美少女。サッカー部のエースも生徒会長も、みんな文芽を狙ってるのに」


 私はあらゆる努力を惜しまない。勉強もスポーツも、常にトップをとっている。スタイルや自慢の黒髪も磨き上げてきたし、初めは苦手だった化粧も猛勉強した。もちろん料理も家事も完璧にこなせる自信がある。少しでも――圭太に振り向いて欲しくて。


「関係ない。私が好きなのは圭太だけ」

「わっかんないな〜。圭太君のどこがそんなに魅力なの? 幼馴染みなのは知ってるけどさ」

「圭太は……優しい」

誰にでも・・・・ね。しかも惚れっぽい。聞いたよ? 最近はアイリスって娘に夢中らしいじゃん」


 ズキリ、と胸を刺す痛みを感じる。


「それは……」

「ねえ文芽。良い加減考え直したら? 文芽はこんなに圭太君に尽くしているのに、あいつは文芽を恋愛対象だとすら思ってないんだよ?」


 確かにそうだ。毎朝部屋まで起こしに行っても、毎日お弁当を作っても。圭太が私を意識する事はなかった。


「……今まで距離が近すぎたから。圭太は私を、家族みたいなものだと思ってる」

「いつまで言ってるの、それ。私達もう高校生だよ? いい加減目を覚さしてさ、そんな勘違い鈍感男は見捨てちゃいなよ!」


 私が圭太を見捨てる?

 ありえない。彼は――私を見捨てるかもしれないけれど。




 § § §




「それでさ、昨日アイリスさんが――」


 昼休みの屋上。

 圭太がペラペラと話す話題は、『アイリスさん』に関することばかりだ。


「へ、へ〜……」


 どうしてこの鈍感男は、私と二人で、私の作った弁当を食べながら、平気で『アイリスさん』の話が出来るのだろうか。

 いや――わかっている。彼にとって、私は恋愛対象ではない家族だからだ。彼が『好きな人』の話をして、私が嫉妬に駆られたり、傷つく可能性なんて……考えてもいないに違いない。


 けれど、生き生きと語る彼の表情を見ると、文句を言う気も失せてしまう。

 愛ちゃんは圭太を『惚れっぽい』と表現したが、それは誤解だ。圭太はモテるけど、今まで彼女を作ったことはないし、こうして誰かを好きになったのも初めての事だ。ずっと幼馴染みをしているんだ、そのくらいの事は知っている。いや……それ以上の事も。


 聞いてもないのに『アイリスさん』の話を毎日聞かせてくれる圭太。私は彼女に関する事も何でも知っている。美しいブロンドの髪に幻想的な青い瞳という目立つ容姿。明るく人懐っこい性格。少しカタコトの、訛りの残った話し方。


 『アイリスさん』の容姿はよく目立つ。だから、タチの悪いナンパ男たちに絡まれたりもするし……通りがかった圭太がそこを助けて、知り合う切っ掛けにもなった。その後「お礼に食事でも」となり、トントン拍子に関係は進んだ。今や二人は数回のデートを経て、毎日連絡を取り合っている。


「本当にあの日、偶然・・アイリスさんと知り合えてよかったよ。運命に感謝!」

「……うん、良かったね」


 ――ねえ圭太、覚えてる?

 私と圭太が初めて会った時も、圭太は私を助けてくれたよね。近所の悪ガキにイジメられて、なす術も無く泣いていた幼い私。颯爽と現れた圭太は悪ガキを撃退して、見知らぬ私を慰めてくれた。その後すぐに私達の家が隣同士なことがわかって、二人で「偶然だね」って笑いあったよね。初めて会ったあの幼い日からずっと――圭太は私のヒーローだ。私は一日たりとも、あの日の事を忘れた時はない。

 しかし、私にとっての『特別な出来事』も……圭太にとっては数ある『人助け』の一つに過ぎなかったのかも知れない。彼は困っている人がいれば、いつでも迷わず助けて来た。イジメ問題に首を突っ込んだ事も一度や二度じゃないし、それで助けた女の子に惚れられる事も珍しくなかった。もっとも、圭太は惚れられている事に気付きもしなかったけれど。私は圭太の鈍感さに呆れたり、そのお陰で恋が始まらなかった事に感謝したり、それでも都合よく……私の気持ちにだけは気付いて欲しいと願ったり。いつもそんな、複雑な気分になったものだ。

 助けられた女の子達は圭太に惚れてはいたが、一方通行な想いはそう長く続かない。時間が経ち、季節が変わる毎に、一人、また一人と徐々に姿を消していった。そんな中で、彼の幼馴染みとしてずっと傍にいる事ができる自身の幸運に、私は密かに感謝した。例えその距離の近さ故に、恋愛対象になれないとしても。彼が私だけのヒーローじゃないとしても。彼の傍にいるだけで、私は幸せだった。そう――かつての私にとっては。


 そんな甘く切ない日々も、もう過去の話だ。今の圭太が話すのは……『アイリスさん』の話題だけ。


「それでさ……アイリスさん、珍しく・・・モンブランが好物らしいんだよね。だから、明日のデートはモンブランを食べに行こうと思って」

「へー、どこに?」

「国帝ホテル。前に褒めてただろ? モンブラン大好きな文芽が褒めるなら、間違いないからさ」


 思わず目を丸くする。確かに私はモンブランが大好物だが、公言した事はない。国帝ホテルの事も、だいぶ前に軽く話したことがある程度のはずだ。


「……私、そんなこと言ったっけ? モンブラン好きとも言ったことないし」

「わざわざ言わなくても、文芽の好きなものは知ってる。国帝ホテルのモンブランだって言葉ではそこまで褒めてなかったけど、表情が輝いてた。そのくらいわかるさ、俺は文芽の――」


 ああ、そうか。私は圭太の幼馴染みだけど、圭太だって私の――。


「――幼馴染みなんだぜ?」


 圭太は鈍感で、私の事を妹くらいにしか思ってないバカだけど……私の事を、ちゃんと大切に思ってくれてもいるんだ。そんな些細な事まで、きっちり覚えているくらいに。


「……はいはい、そう言うのいいから。で、どうせいつもみたいに他の予定で悩んでるんでしょ?」

「あ、ははは……」


 図星か、呆れた。この幼馴染みは、やっぱりどこか抜けている。


「まったくもう。さっさとデートプランを見せなさい。私が練り直してあげる!」

「いつも悪い、またなんか奢るから!」


 結局、いつもこうなるのだ。自分に惚れている女子にデートプランを練り直させるなんて、どうかしている。まったくこの男は、鈍感にも程があるんじゃないだろうか。

 でも今の私・・・は……『頼りになる幼馴染み』ポジションも悪くない。そんな風に、思ってしまっている。


「こんなもんでどう?」

「ああ……完璧なプランだ、ありがとう! 明日アイリスさんに会えるのが楽しみだよ!」

「うん……頑張ってね」


 心構えはしていたつもりでも、彼の一言で鼓動は乱れる。

 彼の目に映る私は――果たして、自然に笑えているだろうか。




 § § §




 ブロンドのウィッグを被り、青色のカラーコンタクトをつける。

 化粧は魔法だ。上手に使えば、まるで別人のように印象を変えてくれる。それが例え、見慣れた幼馴染みの顔であっても。鈍感な圭太を欺くなんて、簡単だ。


 そう――アイリスなんて人間は、初めから存在しない・・・・・。全て、文芽が作り上げた虚像だ。

 彼の幼馴染みとして、傍にいられる事。いつの間にか、そんな幸せだけでは満足出来なくなっていた。圭太が私を恋愛対象に入れないのは、私が家族同然の幼馴染みだからだ。なら、彼の恋愛対象になるにはどうしたらいい? 思い悩んだ末に……私は一つの答えに辿り着いた。私自身が幼馴染みじゃない・・・・・・・・人間になればいい。

 勝算はあった。変装し、困っている風に装えば、彼はきっと、いつも通り・・・・・助けてくれる。これまでの女の子達は鈍感な彼を攻略出来なかったが、私は彼の好みを知り尽くしている。容姿、話し方、性格。好みのツボを抑えてやれば、簡単に彼はアイリスに惚れ込んだ。彼が嬉しそうにアイリスの話をする度に、私はニヤケ面を抑えるのに苦労している。私が普段、ただの幼馴染みのポジションで我慢できるのも、アイリスの姿があるからだ。


 とはいえ、こんな茶番をいつまでも続けられるとは思っていない。いつかは、この虚像が暴かれる日が来るだろう。それは今日か、明日か……もっと先か。私はその審判の日を恐れると同時に、希望を捨て切れないでいる。全ての真実が明らかになったその時、圭太は騙されていたことに怒り、私に絶縁を言い渡すだろうか。あるいは……ここまでする私の気持ちに、ようやく気がついてくれるだろうか。


「アー、ケイタさん。お待たせしました!」


 どちらでも構わない。少なくとも今、この瞬間。

 彼が見つめる先にいるのは――アイリスだけなのだから。

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