第33話 恥ずかしい頼み

 結衣が泣きながら走って中庭を立ち去った後、俺はしばらくその場に無言で立ち尽くしていた。


 この場の空気を読んでか水菜もしばらく俺に話しかけてくる事はなかったので、俺の方から水菜に話しかけた。


「ごめん。急にこんなとこ見せて」


「どうしたんですか? 急に仁泉先輩を振るなんて」


 今まで中々結衣を振る事が出来なかった俺が急に結衣の事を振ったのだから水菜がそう質問してくるのも頷ける。


 俺が結衣を振る決心をしたのは昨日結衣と水菜が中庭で話している会話を聞いて水菜の涙を目にしたからだが、それを水菜に正直に伝える訳にはいかないので適当に答える事にした。


「遅かれ早かれ結衣の事は振らないとダメなんだよなって考えたら意外と気が楽になってさ。思ったより簡単に振れたわ」


 簡単に振れた、というのは嘘である。振る瞬間は確かに自分が思っていたよりも冷静で、特に躊躇う事もなく結衣に別れを告げられた。

 しかし、思っていたよりも冷静だったというだけで心臓が弾け飛ぶのではないかというくらい心拍数は上がったし、今も結衣をこの様な振り方で振ってよかったのかと迷いを抱えている。


「先輩がその姿でトイレから出たきた時は何事かと思いましたけど、こういう事だったんですね」


「まぁそういう事だ」


 学校で坂井の姿をするのは初めてだった。バイト先で坂井の姿を日常的に目にしている水菜がトイレから出てきた俺の姿を見て、しばらく違和感を感じなかったのには少し笑いが溢れそうになった。


「中々やるじゃないですか。初めて先輩の事、ちょっとだけ尊敬しました」


「おい、初めてな上に初めての尊敬がちょっとだけってなんだ。もう少し先輩を敬ってくれよ」


 俺の今までの行動ではとてもじゃないが水菜が俺を尊敬することは出来ないだろう。

 冗談で先輩を敬えとは言ったが本心では敬ってほしいなどとは微塵も思っていないし、むしろ俺が水菜の事を尊敬しているくらいだ。


「ちょっと尊敬しただけでも大健闘ですよ。まぁ今日だけは素直に褒めてあげます」


「ありがとな。色々と」


「いえ。私は何もしていません。あ、でも結衣先輩を無事振れたって事はもうお昼休みも一緒にご飯食べる意味がなくなりますね……」


 そう言われて見ればそうか。最近中庭で水菜と弁当を食べるのが日課になりすぎてて、あれは俺が結衣を好きじゃなくなるようになるための作戦だったと言う事をすっかり忘れていた。


 確かに俺と水菜が一緒に弁当を食べる意味は無い。

 まぁ仕方がないよな。もう作戦を続ける理由もないし、水菜も迷惑してるだろうし。


 いや、待てよ? 水菜って俺の事好きなんだよな? それならちょっとくらいワガママいっても許してもらえるんじゃ……。

 いや、思い上がってるとかじゃないよ? 実際に聞いたことだからそう思っただけだからね?


 俺は羞恥心を捨てて水菜にお願いする事にした。


「……これからも弁当、作ってきてくれないか? なんかもうあれが日課になってるから」


 え、何これなんかめっちゃ恥ずかしいんだけどすげぇ照れる。よく考えたら後輩女子に弁当作ってきてくれって頼む先輩ってやばくね? 相当恥ずかしいよなこれ。羞恥心全然捨てれてなかったわ。


「……しょ、しょうがないですね。先輩がそこまで言うならこれからも作ってきてあげます」


 俺のお願いに満更でもない雰囲気を醸し出す水菜は頬を若干赤らめている。そんな水菜の姿を見ていると余計に恥ずかしくなり、俺の頬も熱を帯びていた。 


「ありがとな。じゃあこれからも頼む」


「はいっ」


 水菜とはバイトでも学校でも一緒で二人でいる時間は長かったはずなのに、俺は初めて水菜の本気の笑顔を目にした気がした。

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