不信者

不信者

 僕はとにかく自分に自信が持てなかった。

 常に疑念がまとわりつき、何をするにも不安が拭い去れない。

 それを取り除く方法はたった一つだけ。

 周囲の人間に合わせて行動することだ。

 多数派に埋もれることで僕は普通の人間に擬態する。

 そう、普通。

 誰もが普通にできる普通が一体何なのか、僕にはまるで理解ができない。

 一様に同じ服を着て、一つの方向へ吸い込まれる。

 暇ができれば一斉に携帯端末を取り出して覗き込む。

 その光景を不気味に感じながらも、それに逆らうことが怖ろしい。

 僕が普通ではないことがばれれば、あの能面のような顔が一気にこちらを向いて襲い掛かってくるような気がして。

 例えば横断歩道を渡るなんて些細ささいなことでさえ、僕は周りの行動を見てからでないと動き出せない。

 完全に青になるまで待つべきか、多少見切りをつけて早めに渡るべきか、それとも車通りも少なく短い道なのだから赤のうちに渡り切るか。

 どれがその場における普通なのか、見極めてそれにならう。

 これまでは何とかうまくやってきた。

 だが、このままずっと大丈夫だなんて思わない。そんな自信があるわけがない。



 ある日、僕は友人の婚前パーティに招かれた。

 友人は普通の先陣とも言うべき男で、彼の一挙手一投足に僕ならずとも誰もが追随ついずいする。

 僕にとっては安心して行動を委ねられる大切な友人だった。

 パーティなんて場は僕が最も苦手とするものだが、彼のためならば何とか参加したいと思った。

 そして、僕は招待状を片手にパーティ会場の最寄り駅に降り立った。

 ……まではよかったが。

 ここから会場までの道のりが曖昧だ。

 人にとっては薄靄うすもや程度の不安であっても、僕にしてみれば一寸先さえ見えない暗黒である。

 僕の足は縫い付けられたように地面に吸い付き、それとは対照に首と目を忙しなく動かす。

 そして見付けた。

 僕と同じようにパーティの招待状を手に持つ女性を。

 女性は招待状をハンドバックに仕舞い込むと、迷いない足取りで駅の出口に向かう。

 この女性は会場の場所を把握している――と僕は確信した。

 途端に僕の中に立ち込めていた不安の闇は霧散する。

 後はこの女性についていけばいいのだから。

 


 女性は僕が思っていたのと同じ道を進んでいく。

 やがて目的地に近付くにつれ、パーティ参加者と思われる通行人も増えてくる。

 示し合わせたわけでもないのに、次第に僕らの歩調は合わさっていく。

 後から来た者も先にいた者も無意識のうちに一つの集合体に飲み込まれる。

 その中に所属していることで、僕らは普通であるという安心感を共有していた。

 少なくとも、僕はそう思っていた。

 ところが、会場であるビルディングに着いたときに問題は起きた。

 最初に僕が見つけた女性が人込みから外れて階段の方へ向かい始めたのだ。

 他の人たちはホールで立ち止まって談笑している。

 明らかに彼女は普通ではなかった。

 確かに僕が最初に依存対象としていたのは彼女だったが、今ではそれよりずっと強固で確固たる普通が近くにある。

 どちらにおもねるのかなんてのは迷うまでもないことだ。


「………………」


 だが、そんな僕の心理以上に女性の足取りには迷いはなかった。

 駅で見かけたときから一貫して、女性は周囲になど目もくれず自信たっぷりに己の道を突き進んでいる。

 その姿に、僕は誘蛾灯に引き寄せられる蛾のように魅かれた。

 先程までの『ついていかなければ』という義務感から解き放たれ『ついていきたい』という意志が芽生える。

 僕は女性の後を追った。

 普通たちからどんどん離れていくことも気にせず無我夢中で追いかけた。

 僕に気付いていないわけもないだろうに、女性は一度も後ろを振り返らない。

 階段を一番最後まで上がり切って屋上へと出た。

 そのまま屋上の端まで歩いていく。なおも彼女の足は止まらない。

 どころかフェンスによじ登って両手までも動き始めた。

 止まらない。止まらない。

 やがて女性の手は天をいた。

 その勢いのままにくるりと彼女の体は宙返り、頭が地を向いた。

 そして初めて、その顔が僕の方に見えた。

 彼女の顔は普通とは違い、当然僕とも違い、誰とも違う――彼女の顔だった。

 次の瞬間にその顔はぐちゃりと潰れた。

 僕はフェンス越しに地上を見下ろす。

 甘味に群がる蟻のように、黒山の人だかりが女性の周りを取り囲んでいた。

 その中に彼もいた。

 僕の視線に真っ先に気付くと、こちらを真っ直ぐに指差した。


 は叫ぶ。 


「やっぱりあいつか! いつかやらかすと思っていたんだ!!」


 同感だ。

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不信者 @susumu

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