第25話 新しい予言……?
そろそろ真昼になろうという頃、谷には心地よい風が吹き、谷一面を覆う丈高い草をなびかせていた。
既に秋の気配も深まってきて、草もところどころ黄色く色づき始めている。
そんな中をリビとシエル、そしてミリエルの三人が窪地に向かってゆったりと歩いている。
ミリエルは無言でゆっくりと、谷を見回しながら歩いている。
一方リビとシエルは、晴れた空のこと、谷に吹く風のこと、草が波のようになびく様子、時折鳴き声とともに頭の上を飛んでいく鳥のことなど、取り留めもないことを賑やかに話している。
未だ沈んだ心から立ち上がることができないミリエルを少しでも元気づけようとの思いからか、リビとシエルは努めて明るく振る舞うようにしているようだった。
時折、リビがミリエルにも話を振ったりするのだが、そんなリビに対してミリエルは、無言でほんの少し表情を和らげるだけであった。
そうして歩いているうちに、三人は花の窪地に着いた。
当然のことながら、リトが咲かせた花は、最初の衝撃の時に押しつぶされたままの状態であった。
「ここが花の窪地なんですね……」
リビが静かに言った。
声を静める必要はないのだが、何故かそれがふさわしいようにリビには思えたようだ。
「可哀想……」
倒れた花々を見てシエルが小さく呟いた。
「花が咲いていた時はきっと素晴らしく綺麗だったんでしょうね……」
リビも悲しげに言った
「ええ……綺麗でした……とっても……」
小屋を出て初めてミリエルが言葉を発した。
とはいえ、中には倒れながらも花を咲かせているものもちらほら見えた。
ミリエルは窪地の縁まで歩いていき屈み込むと、地面に落ちてしまっている薄いピンク色の花弁を指で摘んで拾い上げた。
「……の花」
ミリエルが囁くように言った。
「はい……?」
リビがやんわりと聞き返した。
「リトの花……」
心持ち声を大きくしてミリエルが言った。
「リトさんが咲かせてくれたお花ですね……」
リビが静かに言うと、
「……ええ」
ミリエルも小さく囁いた。
ミリエルはしばらくそのままの姿勢で、じっと花弁を見つめていた。
そして花弁から目を上げ窪地を見回すと、その場にゆっくりと腰を下ろした。
それを見たリビとシエルは、お互いを見て軽く頷くと、ミリエルが座っている場所に行って、彼女と並ぶように座った。
「シエル、そろそろお昼かしらね?」
「はい、そうだと思います」
「それじゃ、ちょうどいいから、ここでお昼をいただきましょうか?」
「はい、すぐに
そう言ってシエルは、持ってきた大きなバスケットを草の上に置いて蓋を開いた。
バスケットの中にはパンと具材が別々に収まっている。
「好きなものを選んでパンに挟んで食べてください」
シエルが説明した。
「そうしたら、お肉ばっかりとかでもいいのよね?」
にやりと笑ってリビが言うと、
「野菜も食べないとバランスが悪いですよ」
とシエルがお母さんのような事を言った。
「たまにはいいんじゃない、ねえ、ミリエルさん?」
リビがいたずらっぽい表情でミリエルに言う。
「ええ……」
そうミリエルは答えて、わずかに微笑んだ。
「ミリエルさんはお肉を挟みますか?」
すかさずシエルが聞いた。
「……私は……水を」
と、心なしか困ったような表情でミリエルが答えた。
「あら、ミリエルさんも食べないと……元気が出ませんよ!」
そう言いながらリビは、早くもバターを塗ったパンに燻製肉をどんどん
そして、
「はいっ!」
と、ミリエルにそのボリューム満点のパンを差し出した。
だが、ミリエルは首を左右に振って、
「ごめんなさい……私は……」
と寂しそうに微笑みながら言った。
「そうですか……」
リビが寂しそうにうなだれる。
「でも……きっとミリエルさんも夕食の頃にはお腹が空きますよ、ね?」
シエルが落胆したリビをフォローするように言って、ミリエルに水の入ったカップを手渡した。
「……ありがとう」
シエルから水を受け取ったミリエルが小さく微笑んだ。
ミリエルは手にしたカップをしばらくじっと見つめていたかと思うと、窪地の倒れてしまっている花を眺め、そうかと思うと遠くの空に目をやったり、さっき拾った花弁を見つめたりしていたが、言葉は何一つ話さなかった。
リビとシエルはそんなミリエルを注意深く気にしながらも、できるだけ明るい話をするように意識していた。
時折、ミリエルも話題に入れようと試みるが、関心は示すものの、ミリエルが話す言葉はごく限られていた。
(リト……)
ミリエルはリトがいなくなってからのことはよく覚えていなかった。
哀しくて、苦しくて、恐ろしくて、寂しくて……。
泣いて、泣いて、泣き尽くした……。
そんなことが浮かんでくるだけだった。
空を見上げてミリエルは思った。
(リトは……)
本当にいなくなってしまったのだろうか?
彼が最後に輝く姿で別れを告げるように手を上げた姿が思い出された。
『ちょっと出かけてくる』
軽く微笑むその姿は、そんなセリフが相応しい仕草だった。
(けど……もう……)
ミリエルの目に涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちていった。
「ミリエルさ……」
そんなミリエルを見てシエルがハンカチを取り出して、ミリエルの涙を拭こうとしたが、
「……」
リビが彼女の手を押さえて小さく首を左右に振った。
「……」
シエルはなにか言いたげにリビの顔を見たが、彼女の優しくも哀しい目を見て、ハンカチを持った手を下ろした。
その後も昼食を続けたが、時折リビとシエルが言葉をかわす程度で、静かに時間が過ぎていった。
ミリエルはやはり会話に加わる様子はなく、空を見上げ、窪地を眺め、手元の花弁を見つめていた。
あたかも、このままずっと、永遠にこの場所に居続けることを決めたかのように。
吹き抜ける風が涼しい。
つい数日前までは夏の名残が感じられた谷も、日暮れが近づいてくると、吹く風に秋が濃厚に感じられるようになってきていた。
「お師匠様、そろそろ……」
今まさに吹いた風に藍色の長い髪をなびかせながらシエルが言った。
「そうね……」
リビも風に
ミリエルは相変わらず空を眺めながら、長い栗色の髪が風に煽られるに任せていた。
「ミリエルさん……そろそろ小屋に帰りましょうか……?」
リビが控えめにミリエルに聞いた。
「……?」
リビの言葉を聞いて、窪地を眺めていたミリエルが首を巡らし、リビを見て首を
「段々と涼しくなってきましたし……」
リビが言うと、
「……ええ」
ミリエルは静かに答え立ち上がろうとした。
が、ふと動きを止めると、そばに落ちていた花弁を拾った。
そして、ポケットからハンカチを取り出すと花弁を挟み、ポケットに大事そうにしまうと、ゆっくりと立ち上がった。
リビとシエルも食事用に広げた皿やカップをバスケットにしまい、立ち上がった。
ミリエルは早くも小屋に向かって歩き始めていた。
リビがそれに続き、シエルが最後について歩き始めた。
その時シエルは、何気なく窪地を振り返った。
しっかり者のシエルのこういう時の習慣として、なにか忘れ物はないかと、ほぼ無意識で確認する癖がついている。
そんな、シエルにとってはいつも通りの行動の結果、窪地にあるものを発見した。
「……?」
それは最初、茶色い革でできた薄い箱に見えた。
(なんだろう……?)
そう思ってシエルは、その茶色い箱をよく見ようと窪地に戻った。
「シエル……?」
窪地に戻るシエルに気づいてリビが呼びかける。
「何かあったの?」
「はい……窪地に何か、箱のようなものが……」
リビに答えながら、シエルは「箱のようなもの」が落ちているところに来た。
そして、かがみ込んでそれを拾い上げると、
「あ……」
と、小さく声を上げた。
「何があったの?」
リビは立ち止まってシエルに聞いた。
「これ……本です」
「本……?」
「はい……」
シエルは屈んで落ちていた本を拾い上げた。
そこは、先程までミリエルが座っていた場所にほど近いところだったので、シエルはもしやと思いミリエルに聞いてみた。
「ミリエルさん、本を忘れてませんか?」
心持ち大きな声でシエルが聞いた。
既に歩き始めていたミリエルだったが、それを聞いて立ち止まった。
「本……?」
その言葉がなにかの鍵だったかのように、それまで霧がかかったようだったミリエルの頭が少し冴えてきた。
本と聞いてミリエルがまず思いつくのは予言書だ。
ミリエルはローブの内ポケットを探った。
彼女の月の予言書はいつもそこにあり、どこかに置き忘れるということは今まで一度も無かった。
いつだったか“部屋のテーブルに置いたままだった!”と思い、ハッとしてポケットを探ると、しっかりとそこにあった、ということも一度や二度ではない。
そして今も間違いなくポケットの中にある。
ミリエルは月の予言書を取り出した。
「いえ……私のはここに……」
そう言いながら、表紙に三日月の絵柄が書いてある予言書を見た。
「そうですか……」
シエルはそう言いながら手にした本を見ながら言った。
「表紙に太陽みたいな絵が書いてあるんですけど……これって何か……」
「太陽みたいな絵!?」
ミリエルが鋭く聞いてきた。
「は、はい……」
ミリエルの予想外の反応にシエルが驚いて答えた時には、ミリエルは既に大股でシエルに向かって歩き始めていた。
つい先程までの生気のない表情とは打って変わって、ミリエルの表情は熱を帯びたものになっていた。
「ミリエルさん……!?」
そんなミリエルの様子に、リビも驚いてミリエルの後についていった。
シエルのもとに着いたミリエルは、シエルが差し出した本を凝視した。
「ミリエルさん……この本です……」
シエルは恐る恐るといった様子で本を差し出している。
その本を受け取ろうと伸ばしたミリエルの手は、シエルやリビにもはっきりと分かるほどにブルブルと震えていた。
それこそ、やっとの思いで本を手にしたミリエルはその表紙を見た。
そこには見覚えのある太陽の絵が描かれていた。
「ああ…………」
ミリエルは手にした本を抱きしめるように胸に抱えた。
「ああ…………!」
「ミリエルさん……それはもしかして……」
リビもミリエルの様子を見てとある可能性に思い至ったようだった。
「ええ……」
そう言いながらミリエルはより強く、その本を抱きしめた。
リビとシエルは寄り添って、ミリエルの次の言葉を待っている。
「これは……太陽の予言書です」
ミリエルが言った。
(帰ってきてくれた……)
予言書という形ではあったが、ミリエルのもとにリトは帰ってきてくれた。
もちろん、これで喪失の哀しさが癒える訳では無いが、リトの思い出が形として手元にあるということは、ほんの少しではあっても哀しみを和らげてくれるとミリエルは思った。
(リト……!)
なおも太陽の予言書を抱き続けるミリエルの目から一筋の涙が流れている。
リトを失って以来、辛く、苦しく、哀しい涙ばかりを流してきたミリエルだったが、やっと今、ほんの少しではあるが、温かく優しい涙を流すことができた。
そして、それまで冷たく固まってしまったようになっていたミリエルの心が、少しずつ溶けていくのを彼女自身感じていた。
そんなミリエルを、リビとシエルも目を潤ませて見つめていた。
が、シエルがあることに気がついてミリエルに声をかけた。
「あの、ミリエルさん……」
「……?」
シエルの呼びかけに、ミリエルは無言で顔を上げた。
その顔は涙で濡れている。
「えっと……その……予言書って、そんなふうによく光ったりするものなのですか……?」
「え……?」
シエルの問いかけに少し驚いて、ミリエルは胸に抱いていた予言書を目の前に掲げて見た。
確かに、光っている。
「これは……?」
今までに予言書が光ったのは一度だけ。
天の子の予言が表れた時だけだった。
(もしかしたら……)
そう思いながらミリエルは予言書を開き、最新のページまで
するとそこには……。
「!!!!」
そこには、まさに、ミリエルが全く予想もしていなかった言葉が浮かび上がっていた。
その、あまりにも信じられない言葉に、思わずミリエルは、
パタン!
と予言書を閉じてしまった。
「ミリエルさん……一体何が……?」
ミリエルの激しい反応に不安を覚えたリビが恐る恐るといった様子で聞いた。
「私……頭がおかしくなってしまったのかも……」
リトがいなくなって以来のことは殆ど覚えてはいないミリエルだったが、その間、感情が激しく浮き沈みしたことは
(もしかしたら、そのせいで私の頭は……)
有り得ないものが見えるという症状が、心が病んでしまった者に起こるという事は十分に考えられることだ。
その時、ミリエルたち三人が立っている側に七色の光の粒の塊が二つ現れた。
「「「……!」」」
ミリエルたちは、ノルが光るエネルギー体になれることは既に見て知っていたが、いきなりだった上に、それが二体だったこともあり少なからず驚いてしまった。
そして、光の塊は見る見るうちに人の形となっていき、一度まばゆく光ると、ユラとノルがそこに立っていた。
「ユラ様、ノル様……」
リビが呼びかけて二人に歩み寄ろうとしたが、彼らの表情を見た途端に足がすくんで進めなくなってしまった。
ユラとノルは、リビはもちろん、リビやシエルよりも長く彼らと一緒にいるミリエルでさえも見たことがないほどの驚愕の表情を見せていた。
「ミリエル……」
「ミリエルちゃん……」
二人はやっとのことで呼びかけた。
「ミリエル、それは……」
ユラが聞くと、
「はい……太陽の予言書です」
ミリエルが、しっかりとした口調で答えた。
「そう……それで、何か書かれているのね……?」
当然のことながら、ユラとノルにはその太陽の予言書に何が書かれているのかは既に分かっているはずだ。
だが、恐らく彼らでも
「はい……でも……」
「でも……?」
「本当のことなのかどうか……私の頭がおかしくなってしまったのではないかと……」
「そうね……私達でさえすぐには信じられないくらいよ」
ユラは困惑顔で言った。
「あの……」
リビが遠慮がちに言った。
「もし差し支えなければ、私も見せていただいてよろしいですか?」
リビも、これまでユラから”宣託“的なことを聞いてきた“予言者”である。
ミリエルがもの問いたげにユラを見ると、
「ええ、もちろん。リビちゃんとシエルちゃんもミリエルと一緒に見てあげて」
と、やっと驚きの表情から、いつもの慈愛に溢れる笑顔に戻ってユラが言った。
「そうじゃの、うんうん」
と、同様にノルも驚愕から立ち直ってご機嫌笑顔で言った。
ミリエルが、リビとシエルの顔を見て柔らかく微笑んだ。
リビとシエルは笑顔を返しながらミリエルの左右に歩み寄り、両脇から太陽の予言書を覗き込んだ。
それを見たリビとシエルは、
「「えぇぇぇぇぇーーーー!?」」
と、ミリエルの予想通りの反応をした。
そこには、予言というよりは、ある者の言葉が、呼びかけと言ってもいいある言葉が表れていたのだ。
それは――――。
『おぉ――――い、ミリエル――――いるかぁ――――!』
『俺だぁ――――リトだぁ――――!』
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