月と太陽が交わるところ

舞波風季 まいなみふうき

第一章

第1話 ミリエルとリト

「……終わったな」

 リトがつぶやいた。

「……ああ、終わった」

 ミリエルがこたえる。


 今、二人の前で『』が閉じられた。

 この世界を破滅と恐怖で満たそうと、がい世界せかいの悪意によってこじ開けられた『裂け目』。

 予言書に導かれた太陽の勇者リトと月の賢者ミリエルは、人々の願いと希望を背負い『裂け目』と対峙たいじした。

 二人は、持てる能力の限りを尽くし、そして生命力をも限界まで絞りだした。

 そして『裂け目』からい出る、破滅が具現化ぐげんかしたがごとき大魔たいまを滅し、ついに災いの根元こんげんたる『裂け目』を閉じたのである。


 ドサッ……!

「もう動けねぇ……動きたくねぇ」

 尻餅しりもちをつくように地面に座り込み、リトがうめいた。


「……そうだな」

 ミリエルもリトの隣に座り込み、大きくため息をついた。


 せいこんき果てた二人は、世界の果てと呼ばれるこの荒野で、やっとのことで迎えた休息に身をひたした。


「ホント死ぬかと思ったぜ、ってか、よく死ななかったよな、俺たち」

 金髪碧眼きんぱつへきがんの青年リトが、両足を伸ばし、うしをついて空を見上げながら言った。肩まで伸びた髪が背中で風になびいている。


「本当に……私も何度駄目かと思ったことか……」

 濃く長い栗色くりいろの髪ととび色の瞳の女性ミリエルが答えた。ローブ姿の彼女もリトと同じように長い脚を投げ出し空を見上げている。


 二人は今しがた終わった壮絶そうぜつな戦いを改めて思い出していた。


「ま、俺のおかげだな」

 リトはミリエルを横目で見ながらうそぶいた。


「ふん、言っていろ」

 ミリエルは彼のそんな軽口にあきれながらも、その表情は柔らかだった。


 そんなミリエルにリトが言う。

「どうだ、俺のことれ直したんじゃないか?」


「もとからお前に惚れてなどいない」

 ミリエルがなく答える。


「つれないなぁ~俺はこんなにお前に惚れてるのに」

 大袈裟に悲壮感ひそうかんを漂わせるリトであったが、すぐさまはっとしたように言った。

「もしかして照れてるのか?」

「なぜ私が照れなくてはならないのだ?」

 呆れ顔でミリエルが言った。

「うんうん、つれない素振りは愛情の裏返しってことだな。恋する乙女おとめごころは複雑だ」

 と、勝手に妄想をふくらませるリト。


「何が恋する乙女心だ。そんなに一発喰らいたいのか、リト?」

 その声は低く、苛立ちに満ちていた。

疲労困憊ひろうこんぱいしているとはいえ、貴様に炎を一発見舞う程度の余力は残っているぞ」


 ゴゴゴゴ!と音が聞こえてきそうなオーラを発しながら、ミリエルはてのひらに炎を出現させた。


「あわわ、わかったわかった!わかったからその手に出した炎を引っ込めてくれぇぇ~!いまらったらマジで死ぬ!」

「ふん」

 ミリエルは不機嫌そうな表情で炎を収めた。


 こうした冗談とも本気ともとれるリトの軽口はいつものことだった。そんなリトに対してついムキになってしまうミリエルではあったが、今ではこうしたやり取りも日常会話の延長のようになっている。

 とは言え、彼女にとってリトはえのない仲間であることは間違いなかった。


『裂け目の災厄さいやく』で家族を失ったミリエルが、この世界で最も信頼している者、それがリトだ。


 だが、そんな彼を一人の男として、愛だの恋だのといった甘い感情で見たことはなかった。

 大切な仲間、信頼できる同士、それだけだ。


 二人の性格は両極端りょうきょくたんだった。いつも落ち着き払い、真面目で少々しょうしょう融通ゆうづうの効かないミリエルに対し、能天気で楽天家、屈託くったくなくいつも冗談ばかり言っているリト。


 彼は時に、というより頻繁ひんぱんに、何の考えもなしに危地きちに飛び込んでいく。

 そんな時でも、彼は楽しくてしょうがないといったていで笑っていた。

 ミリエルはそのたびきもを冷やし、恐怖すら覚えることもあった。

 そんなミリエルの心を知ってか知らずか、いつも笑いながら言い訳をするリト。


 そして、ことが終わると、安心した反動で怒りがふつふつとき上がり、条件反射のようにリトにきつく当たってしまうミリエルであった。


(それにしても恐ろしかった……)

 ミリエルは思い返す。


 今しがた『裂け目』を閉じ、大魔を押し返した戦いで、ミリエルは今までにない恐怖を感じた。


 自らの死の恐怖はもちろんのこと、それ以上に、リトを失なってしまうのではないかという恐怖。


 上手く隠しているつもりではあったが、ミリエルは今もその恐怖で震える思いでいた。


「さて、これからどうすればいいのかね?」

 物思いにひたっていたミリエルに、リトがのんびりとした様子で問いかけた。

「ああ……予言書を見てみるか?」

 我に返ってミリエルが答える。

「そうだな……どれどれ、予言書様は何とおおせかなぁ~?」


 リトとミリエルは各々おのおの予言書を持っている。

 リトは太陽の予言書。

 ミリエルは月の予言書を。


 いつどこで手に入れたのか、二人とも記憶が曖昧あいまいで、気がついたら持っていたということで認識が一致していた。


 初めて見たときは何も書かれていない白紙のページしかない本だった。それが、日がつにつれて文章、予言の言葉が現れてくるという、なんとも不思議な書物しょもつだった。


 おりれて現れる予言書の指示に従い行動し二人は出会い『裂け目』と戦い勝利した。


 予言書の言葉には強い強制力があるようで、理不尽りふじんに思いながらも、二人はそれに従ってきた。


「まぁた、無理難題を吹っ掛けてくるんじゃねぇだろうなぁ~?」


 リトが不満たらたらでページをめくり、最新の予言が書かれているページを読んだ。


「ふむふむ……って、ま、マジか!」

 リトが驚きの声を上げる。

「どうした、そんなに驚いて?」

 驚くリトを横目で見ながら、ミリエルも自分の予言書のページをめくった。

 そして、最新の予言が書かれているページには。


大魔たいまは退けられまわしき裂け目は閉じられた。しかし、世界の破滅の危機はいまだ去ってはいない』


「あれで終わったんじゃねぇのかよ……」

「何ということだ……」

 二人は唖然あぜんとして予言書を見つめた。


ねぎらいの言葉のひとつでも欲しいもんだ……ん?続きが出てきたぞ」

 少しずつ浮かび上がってくる文字を見てリトが言った。


『太陽の勇者と月の賢者は次なる危機に備えよ。世界の果ての地の南にある境界の森を抜け静寂せいじゃくの谷に向かい、はぐくみの小屋を探し出さねばならない』

 リトは予言書の言葉を声に出して読んだ。


「……とりあえずはここまでか?ミリエル、お前の予言書はどうだ?」

「多少言い回しは違うが、ほぼ同じだ……」


 二人は不安ふあんがおでお互いを見やった。

「しょうがねえ、予言書には従わねぇとな」

「そうだな、しばらく休んでから境界の森というところを目指すか」


「でもよう、これ予言書っていうより、もうほとんど指示書だよな……」

 うんざり顔でリトがぼやいた。

「確かに……命令書と言ってもいいくらいだな」

 荒野こうやを見回しながらミリエルも少々ぼやき気味に答えた。


 今二人がいるこの『世界の果ての地』は周囲を山に囲まれた盆地のような荒野だった。


 もとは台地だったところが、とてつもなく大きな、人の力では決して成し得ない巨大な力によって穴が穿うがたれた、そんな印象を受ける地形である。


 そんな生命のいとなみが全く感じられないこの地に、二人はとある村外むらはずれの森の奥深くにあった古びたほこらから転移させられてきたのであった。


「見たところ、このあたりに森は無さそうだな」

 荒野をぐるりと見渡していたミリエルが言った。

「というより木の一本も見当たらねぇじゃねぇか。って、そもそも南ってどっちだよ?」

 リトもミリエルと同じように荒野を見渡しながらぼやいた。

「南はあっちだ」

 目を閉じて愛用の魔杖まじょうを掲げながら、ミリエルは肩越しに親指で背後を指した。


「えっ、分かるのか?太陽も見えないのに?」

 空を見上げながらリトは言った。空は曇って薄暗く、太陽の位置は全く分からない。


「ああ、この魔杖は北を示してくれる」

「便利な杖だなぁ……俺にも使えるのか?」

 リトが魔法に関連した事柄に興味を示すのは珍しいことだ。

「多分な。大地の磁力の流れを感知する訓練が必要だが」

「簡単そうだな。ちょっと修行すれば使えそうじゃないか」

「ちょっと?」

 眉をしかめてミリエルが聞き返した。

「うむ、ちょっと……百年くらいな、はっはっは~!」

「お前はそれが面白い冗談だと思っているのか?」

 ミリエルが呆れたように言った。

「なあ、ミリエル。あの不思議な木の実はもう無いのか?」

「って、もう魔杖には興味が無くなったのか!?」

「んんーー……というか腹が減ってきたしな。これからまた歩かなきゃだろ?」

「まったく……お前は子供と同じだな」

 そう言いながらミリエルは腰のベルトに下げた袋を取り、リトに手渡した。


 リトが“不思議な木の実”と呼んだものは、精霊の恵みを宿し、滋養じようが豊富で、疲労も短時間で回復、自然治癒力も向上するというすぐれものだ。


 ミリエルが生まれ育ったのは『精霊の森』と呼ばれる森のかたわらの村だった。

『精霊の森』は精霊が暮らし、森全体に精霊の加護が満ちている森だ。

 加護のお陰で森に自生じせいする木々の実はの地で採れるものの数倍の滋養を含み、比較的豊かで食料に困ることがほとんど無かったミリエルの村の人々にとっても貴重であった。


「この実ってのは、その『精霊の森』に行けば誰でも採れるのか?」

 実を一粒口に放り込み、モグモグやりながらリトが訪ねた。

「いや、村のおさの他、限られた者だけだ。必要以上に採ることは許されていない」

「そんな貴重なもんだったのか」

 リトは少なからず驚いた。

「ああ、そうだ。この旅に出る時に村長むらおさ餞別せんべつとして持たせてくれたのだ」

 そう言いながらミリエルも木の実を一粒ひとつぶ口にした。

「よし、木の実のおかげで元気も出てきた!」

 リトが立ち上がりながら言った。

「そうだな。行くとするか」

 ミリエルもゆっくりと立ち上がり、二人は南に向かって歩きだした。


「なあ、ミリエル、あの山、というか岩の壁までどのくらいあると思う?」

「うむ……こう何もない荒野では距離感も怪しくなるからな」


 そう言いながらミリエルは彼方にそびえる岩壁との距離をはかろうとした。


「自信はないが……歩いて時間じかんほどか……あるいまる一日いちにちか……」

「うへぇ~そんなにか?」


 ガックリとこうべと肩を落としてリトがうめいた。


「ミリエル、お前瞬間移動の魔法とか使えないのか?」

「使えん」

「ぐっ、即答だな……じ、じゃあ空飛ぶ……」

「使えん」

「今度はかぶせてきやがったな……」

「魔法は大地や草木くさき、周囲の生き物や大気などの自然界の力を借りて行使こうしするものだ」

 ミリエルは少し苛立いらだちながら言った。

「お前の安直あんちょくな思いつきのとおりにはいかん」

「でもよ、お前は月の賢者なんだろ?すげえ魔法使いってことだろ?」

「予言書が勝手にそう呼んでいるだけだ。私がみずから名乗ったわけではない」

「かぁ~!逃げやがったなぁ、ミリエル」

「そういうお前こそ太陽の勇者なのだろう?人智じんちを越えた力で一気にあのふもとまで飛んでいけないのか?」

 ミリエルが負けじと切り返した。

「っんなこと、出来るわけねぇだろうがぁぁぁーー!」

 フンガーといったていで鼻息荒く地団駄じだんだを踏むリト。


「っていうか、俺たち、こんなんでよくあの化け物と裂け目に勝てたよな?」

と言うな、と!」

「っんだとぉぉーー空も飛べねぇヘッポコ魔女がぁぁーー!」

「ぐっ……!突貫しかできないいのしし剣士けんしが何を……言う……」


 ふと、ミリエルは言葉を止めて、何かを思案する顔になった。


「ん、どうしたミリエル?」

 リトがそんなミリエルに問いかける。

「……空を飛ぶ……か。出来るかも知れないな」

 思案しあんがおでミリエルが応えた。

「おお!やってくれよ!」

 にわかにいてきた期待に破顔はがんするリト。

「ふむ……では、そこに立ってくれ、リト」

 ミリエルは自分が立っている位置から数歩すうほさきし示した。

「ん……このへんか?」

 リトはいぶかしく思いながらもミリエルの指示に従った。

「ああ、そこでいい」


 そう言いながらミリエルは開いた両手をまっすぐ上に伸ばし、目を閉じて心を集中させた。


 周囲の空気が動き出しミリエルを中心に渦を巻いていく。

 そして空気の渦は小さな竜巻となり、彼女の栗色の長い髪を大きくはためかせた。


「ちゃんと受け身をとれよ」

 と、竜巻の中からミリエルが言った。

「受け身?何のことだ……」


 いぶかしそうに聞くリトの言葉が終わらないうちに、ミリエルは天にかかげていた両手をリトに向かって突き出した。

 その途端、


 ドンッ!


 と、物凄ものすごい勢いでリトが吹っ飛んでいった。


「ぎゃあぁぁぁミリエルてめぇぇぇぇ――――」

 リトの悪態あくたいが徐々に遠ざかっていく。

「ぐぎゃ――」

 リトは五百歩ごひゃっぽほどさき接地せっちした後、数回バウンドして停止した。


「ふむ、結構飛んだな」

 実験が思いのほか上手くいって、満更まんざらでもないミリエルであった。


 受け身に失敗したリトであったが、そこはさすがに勇者。

 パッと立ち上がりはるか先のミリエルに向かって叫んだ。


「なんてことしやがんだ、コノヤロウぉぉぉ――――――!」


 普通に考えて声などロクに届かない距離である。

 が、リトの叫び声は波動となってミリエルに襲いかかった。


「ぐっ!」


 耳元で叫ばれているかのような大音声だいおんじょうに、ミリエルはとっさに耳を両手でふさいだ。


「おお!?」


 これにはリト自身も驚いたらしく目をぱちくりさせていたが、すぐさま得意とくい満面まんめんになった。


「わっはっはっはぁー!どうだぁ、これぞ必殺『勇者ゆうしゃ波動拳はどうけん』だぁー!」


「くっ……何が波動拳だ。ただの大声ではないか」


 耳を塞いでも聞こえてくる大声にミリエルは顔をしかめた。


 ミリエルは、大気や地熱、周囲の動植物の生体せいたいエネルギーなどを操り、物理現象や化学反応を自身の周囲に意図的に起こす。


 一方リトは、周囲の自然エネルギーを自身のうちに取り込み身体能力を劇的に強化する。

 はからずも、声を増幅することもできることに気付いたリト。


「待てよ……声がでかくできるなら……」


 しばし思案したリトは両拳をギュッと握りしめ、足を踏ん張り大きく息を吸い込み、溜めた息を一気に吐き出した。


「はぁっ!!」


 リトが吐き出した息は矢のような突風となり、その通り道には水しぶきのような砂塵さじんが舞い上がった。


 地をうような突風がミリエルを直撃しようと向かってきたが、今しがたリトを吹き飛ばした要領で風を起こしたミリエルは、両掌を地面に向け自身の体を空中に浮揚ふようさせた。


「風の力はこのような使い方もできるのだな…」


 ミリエルは風を下方とともに後方へも繰り出し、リトが飛んでいった方へと浮遊ふゆうしていった。

 自由自在に飛行するには精神の集中を持続させる必要があり制御が難しそうではあるが、訓練次第で使いこなせるようになりそうだった。


「なんだよ飛べるんじゃねぇか、ミリエル」

 ややふてくされながらリトが言う。

「たった今できたばかりだ。飛ぶというよりは浮かぶに近いが」

 ミリエルはそう言いながらリトのそばに降りていこうとした。

 すると下方から風に煽られたローブがめくれて、ミリエルのスラリとした白い脚が太ももの辺りまで露になってしまった。

「おおーーーー!」

 リトが目を輝かせて歓声を上げた。

「くっ!」

 ミリエルはとっさにローブを押さえた。

「ああ、惜しい~もう少しで……ぐはぁっ!」

 リトに最後まで言わさず、ミリエルは着地と同時に空気弾を放ち、再度リトを吹き飛ばした。


 こうして、図らずも新たな技を発見した二人であったが、精霊の木の実で多少回復したとはいえ激闘げきとうのダメージはまだまだ残っていた。


「はぁーー……」

ミリエルは小さなため息を吐き、自らの魔法で吹き飛ばしたリトをチラッと横目でみながら、南へとゆっくり歩き出した。

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