父親
目を覚ますと、柱時計は十七時半を指していた。
私はソファから身体を起こした。中途半端な時間に昼寝すると頭が痛いな。寝返りでボサボサになってしまった髪を掻くと後頭部に寝癖の気配がした。
鏡を覗くと案の定チワワの耳のような寝癖がひとつたっていた。私は水で寝癖を治すとキッチンに行った。
完全に昼夜逆転しているな。卵をフライパンに落としながらぼんやりと思った。ここしばらく太陽を見ていない気がする。店を夜に開ける関係上しょうがないのだが。
今日はこれでいいか。スクランブルエッグとトーストにコーヒー。簡単なものをと考えていたら朝ごはんみたいになってしまった。まあいいか。
食事を済ませ、開店準備も終わらせた。柱時計を見ると十九時。少し早いが開店しようか。
私は店先の看板を『OPEN』にしようとドアを押した。するとなにかにぶつかった感触があった。
「ぶっ」
そして人の声。
「大丈夫か」
覗きこむと腹の突き出た小太りの男がドアとキスしていた。お客か。
男はドアから剥がれると鼻をさすった。いかにも優しいおじさんといった風貌の男だった。
メガネをかけ直すと男は言った。
「ここは時計を見せると記憶を修理してくれるそうですね」
「まあ、そうだが」
私が答えると、男はいきなり自分の鞄をあさりはじめた。そして少し不安そうにひとつの袋を差し出してきた。
「時計ならなんでも大丈夫ですか?」
「一応大抵の時計は」
私は袋を開けた。
「は?」
折り紙だ。折り紙の時計だ。
「娘からの贈り物なんです。どうか、見せてもらえませんか」
厄介そうな案件だな。私はとりあえず男を中へ案内した。
男を応接間のソファに案内すると、ちょこんと座った。ずんぐりした姿は絵本の熊を彷彿とさせる。
しばらく沈黙が流れた。
男は机の上に置かれた時計──折り紙だが──をじっと見つめていると思ったら、突然バッと立ち上がって回れ右をした。
「かっ、帰りますっ!」
「なんでだ!」
私は思わず男の腕を掴んだ。男は急に引っ張られたので尻もちをついてしまった。
「いたぁっ!」
うずくまってお尻をさすっている男と折り紙の時計を見た。娘の、か。子供がいる父親。私自身が父親という人種をあまり知らないからか、なんだか不思議な気分になった。
「どうして逃げたりなんかしたんだ」
「なんか、貴方の圧がすごくて」
しまったな、怖がらせてしまっていたのか。黙っているだけで人を殺せると友人に言われたのを思い出した。
「別に取って食おうって訳じゃないんだ。その時計も、一度やってはみるから、着いてこい」
「いいんですか!?」
男の表情が急に明るくなった。表情がコロコロ変わる様子は年齢より幼く見える。
私は店の奥に入った。
にしても、難しいな。いつもは金属だからと多少強めの力をかけていたところが紙だとそうはいかない。少しの力で破けてしまいそうだ。
結局、いつもの倍くらいの時間をかけて作業を終えた。その間、男は神妙な面持ちでじっとこちらを見つめていた。
「これから見せるのはあんたにとって悲しいものかもしれない。もしかしたらもっと辛いものかもしれない。それでもいいか?戻るのなら今しかない」
男は力強くうなづいた。
「よろしくお願いします」
龍頭がなかったから急遽作ったボタンを押した。
無事、映像が流れ出した。
映像は真っ白な部屋だった。
部屋の少女の薄青の入院着から見える細い腕が妙に目立つ。
少女は五歳くらいか。ベッドテーブルの上で必死に折り紙を折っている。チューブやら計器やらが沢山付いている腕では紙を折ることすら必死だ。
『お父さんの誕生日におめでとうって言うんだ。元気になってお家に帰るんだ』
そう言いながら、折り方の本を見ることなく、一心不乱に折り紙を折っていく。傍らには〈いしやまけんじ〉と宛名が書かれた封筒が置いてあった。
そこで映像は終わった。
「小夜・・・・・・」
男は時計を潰れないように優しく握って呟いた。
「娘さんは」
「はい、入院していたんです。先週まで」
「そうか」
「ありがとうございました」
男は今度はゆっくりと立ち上がって、出口へと向かっていった。私はついていった。
男はドアを押しあける途中、私に尋ねてきた。
「すみません、この辺に美味しいケーキ屋さんとかありませんか?」
「そこを曲がったところにあるが。あそこのショートケーキはうまい」
「ありがとうございます」
「買っていくのか?」
「明日は、僕の誕生日なんです」
男は笑って出ていった。
カランカランとドアベルが鳴った。
私はソファにどっかりと座った。少女は喜んでくれるだろうか。男のショートケーキを。
時の修理屋 江戸文 灰斗 @jekyll-hyde
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