無貌の神の悪戯 ~元新選組隊士を異世界に転生させてみた~

和辻義一

Act1 彷徨う孤狼

プロローグ

Episode 0 黒の女

 気付いた時には、目の前に女がいた。


 歳の頃は、まずもって分からない。腰の辺りまで伸びたつややかな黒髪、抜けるように白い肌、瞳と唇はまるで血のように鮮やかな赤紅あかべに色。黒を基調にした豪奢ごうしゃな洋装を身にまとい、まずもって絶世の美女と言っても良い――が、それは「およそこの世のものではない」程に見える。


「お主が大江おおえ又三郎またさぶろうか」


 女は聞いた者の心を引き込むように妖艶な声で、歌うように言った。


「ここは一体どこだ? お前は誰だ?」


 俺が今立っているのは、見渡す限り白一色の、無限に広がる空間――そして、女は俺の目の前で、気だるげに横たわるような姿勢で宙に浮いている。何がどうなっているのか、訳が分からない。


 女は俺の問い掛けに答えず、胸の前で右手の人差し指を立て、すっと横に走らせた。女の目の前に、緑色の光を放つ文字の羅列が浮かび上がる。そこに書かれている文字は、俺の見知らぬものだった。


「人間、性別は男。元新選組六番隊隊士、生まれは会津……ふむ、新選組というのは、一体何だ? それに、会津とはどこにある場所か?」


「おい」


「慶応四年一月五日、淀千両松の戦いにて戦死。享年二十五歳」


 そう――女が口にした俺に関する情報は、今のところ全て正しい。そして、俺にとって当面の問題は、この女が言った通り、俺は確かに鳥羽伏見で死んだはずであることだ。


「見目は……そうだな、個人の好みにもよるだろうが、まあ悪くはない。だが、目元にやや険があるな。その目で損をしたことも、一度や二度ではなかろう?」


 人の話を聞こうとしない、その一方的な物言いが何ともしゃくさわった。


 腰の刀に手を掛け、女目がけて抜き撃った。居合の要領だったが、おそらくは先の戦いで酷使し過ぎたのだろう――刀身がやや曲がっていたようだ。抜刀の動作がやや遅れた。


 だが、遅れがあったとはいえ、確かに真向から切り下げたはずの女の姿は忽然こつぜんとして消え、次の瞬間、女が背後から俺の耳元に囁いた。


「まあ落ち着け、大江又三郎」


 薄気味が悪かった。思わず飛びのいた俺を、女は軽く鼻で笑った。


「ここがどこなのか……今のお主にとっては、どうでも良かろう。何せ、既に死んだ身なのだから」


「お前は何者だ?」


 ここは死後の世界で、女はきっとあやかしの類に違いない。


 とはいえ、周囲の景色は白一色で、その中に俺と女だけが存在している。上下左右の感覚すらあやふやで、余りにも白の要素が多くて思わず目が眩みそうだが、死後の世界とはかくも無機質な場所なのだろうか。


 刀を手に身構える俺を見て、女は艶やかに笑う。だが、その目は笑っていなかった。まるですべてを見通すかのような、不気味な赤い目。


われはお主達がよく言うところの『神』だ」


 言うに事欠いてこの女、自分は神だと言い切った。頭は大丈夫なのか?


「それは貧乏神とか、厄病神とかの類か?」


「お主に冗談の才は無いようだな。我は何処どこにも在り、何処にも縛られぬもの。お主のいた世界は、我が気まぐれで立ち寄ったものの一つに過ぎぬ」


 さらりと、とんでもないことを口走る。この女、おそらくは気が触れているに違いない。あるいは本当にこの女が神だったとして――死神という奴か?


「だが、そうさな……何か分かりやすい呼び名がないと、お主も不便だろう。とりあえず、我のことは『無貌むぼう』とでも呼ぶが良い」


 無貌と名乗った女が、面倒臭そうに右手を払った。無貌の目の前に浮かんでいた緑色の文字列が、その動作一つで一瞬にしてかき消えた。


「まあ、いい。しかし、何で『無貌』なのだ?」


 俺の問いに、無貌はさもつまらなさげに答えた。


「お主が気に掛けることは、そのようなことか。理由は簡単だ、我には『定まった姿』も『定まった名前』もないからだ」


「何?」


「我には性別や老若、美醜といった概念が存在しない。そもそも人の姿であるという概念すら持たぬ。我の有り方は様々。今のこの姿は、ただの思い付きだ」


 目の前の事態を理解することが、だんだん嫌になってきた。無意味なことに思えてきたので、手にしていた刀は何とか鞘に納めた。


「さて、一度は死んだお主を、ここに連れてきたのは我なのだが」


 まるで何事もなかったかのように、無貌が言葉を続けた。


此度こたびの元凶がお前であることは、だいたい想像がついた。しかし、一体何のためにそのようなことを?」


「何のため、か……実のところ、これといって理由などは無い。これまた我の気まぐれだ」


 今更何度目かの台詞だが、この女の言っていることの意味が分からない。何やら頭痛がしてきた。無貌は続けて言った。


「お主の生きていた世界では、淀千両松の戦いで死んだ新選組とやらの関係者は、六番隊組長である井上源三郎を含む七名だったと記録されているらしい」


 そうか。あの戦いで、源さんも亡くなっていたか。これは近藤さんや土方さん、沖田さん、さぞかし落ち込んだだろうな――まあ、かく言う俺も死んでいる訳だが。


「そのことと今の俺のこの状況と、一体何の関係がある?」


 怪訝な顔の俺を見て、無貌は軽く肩をすくめた。その仕草すら何やら様になっているのが、見ていて少し腹立たしい。


「我が『見ていた』限りにおいて、淀千両松の戦いで死んだ新選組とやらの人間は、お主を含めて確かに八名だった……つまり、お主の世界の後の世には、お主があの戦いの中で死んだという記録が残っておらぬのだ」


 ――何だって?


「今にして思えば、我がお主をここに連れてきたことが、その理由だったのかも知れぬのだが……我としては、確かに間違いなく生まれたのに、死んだという記録が世界に残されておらぬお主に、いささか興味が湧いた」


「は?」


「だから、一度は死んだお主を生き返らせて、試しに全く別の世界でその生を全うさせてみてはどうかと思っている。ただの一人の人間が、今までとは全く異なる場所でどのように生きてみせるのか、暇つぶしに眺めてみるのもまあ悪くない」


 いや、ちょっと待て。お前、言っていることもやっていることも無茶苦茶ではないか? あと、今暇つぶしと言ったな?


「なに、一度は死んだ身が蘇ったのだ、文句はあるまい。その拾った命で、せいぜい新たな世界を謳歌おうかするがよい」


「いや、人の生き死にを勝手に弄ぶな。俺はお前の玩具おもちゃではない!」


 俺の抗議の声をよそに、無貌はさも愉快げに笑う。それでも、相変わらず目だけは笑っていない。不気味な奴だ。


「案ずるな、これからお主を送り出す先の世界は、今までとはそう変わらないものにしてやる。それと、新たな世界で生きていくために必要なものは、最低限用意もしてやろう……とりあえずは言葉と、文字の読み書きだろうか」


「おいお前、人の話を聞け!」


「あとは、そうだな……お主のその腰のもの、我が直しておいてやろう」


 無貌が無造作に右手の人差し指を立てると、刀と脇差がぼんやりと光を放ち始め、そして元に戻った。


 不思議に思って刀を抜いてみると、先程とは打って変わってすらりと抜くことが出来た。刀身をじっくりと眺めてみる。研ぎ減りで痩せ、あちこちに刃こぼれが出来て、部分的に歪みすら生じていたはずの刀身は、ものの見事に修復されていた。脇差も同じだった。


「あとはまあ、お主の才覚で何とかしてみせろ。元いた世界でもしていたことだ、どうということはなかろう」


 無貌が俺に右のてのひらを向けた。次の瞬間、無貌の姿がぐにゃりと歪み、そして回り始める。


 無貌に言ってやりたいことは他にも色々とあったのに、頭の中が混濁こんだくしてきた。俺の意識が薄れゆく中、最後に無貌の声が聞こえた。


「おお、そう言えば。お主、次に目覚めた時には『ステータス』と唱えてみるがよいぞ」


 す、すてえたす? 一体何だ、それは?


 次に会うことがあったら、あの女、絶対に斬る――俺の意識は、そこで途絶えた。

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