第2話『色のない世界』

そう思いたつとすぐに俺は学校を抜け出した。もう他者に干渉できなくなっているのならば、俺が唯一気がかりだった大学受験も、これからの人生に何も関係ない。それこそもう自由だ、自由なんだ、何をしてもいい。何も何をしたって誰にも咎められない。


「最っ高だな……」


思わずそう呟いていた。

スニーカーに足を入れ、まだ授業中だというのに俺は校門を飛び出した。ちなみに俺が急にいなくなって世界がどうなったかというと、とりあえず学校は何の問題もなく、それこそつつがなく朝のホームルームを始め、授業に入っていた。


こっそり、出席簿を覗いてみると俺の名前はしっかりと載っていた。しかし、そこにあるだけで気にもされていなかった。今の、俺とそっくりそのまま同じ状態だ。当然俺は、出席扱いになっている。何から何までいたれりつくせりな仕様だ。


「こうなると家族の方がどうなってるか気になるな……、もし俺の存在を忘れずにいて警察に届けを出されても困るし。一応、見に行っとくか」


クルリと華麗な方向転換をかまして家の方角へと走ることにした。とは言いつつも、さすがに俺の家は地下鉄でないと遠いので地下鉄にダッシュしたわけだが。 


地下からの長い階段を上り地上に出た。ちなみに地下鉄は無料で乗ることができた、ラッキー。


「平日の昼間って、どこもかしこも人が少ないもんなんだな。人っ子一人見えないや」


俺が住んでいるところはそれこそ住宅街だから人は全て出払っているようだ。ついさっきまで慌ただしく人が蠢いていたのが嘘かのように雅覧堂のような道が続いている。俺の家はご近所さんの中では珍しく専業主婦の家庭である。だからきっと今も母親が家にいるはずなのだが……。


「あっ…………て、電気ついてねーな」


外から見る限りだが。教科書やらノートやら参考書やらで重いカバンをごそごそと探し、やっとのことで家の鍵を見つけ、扉を開けた。


「おーい、ただいまー。って今の俺じゃ誰にも認識されないんだったわ。母さんいるかな……」


中から見てみても暗い。家族が一人もいないんじゃ、俺の存在が認識されているのか、いないのか分からないじゃないか。せっかく家まで戻ってきた意味がない……と悪態をついていると


「大丈夫よ、誰も来ないから」


そう言って家の扉を誰かが開ける音がした。その誰かは正しくそう、いつも聞き慣れた母さんの声。


「よかったー、いるんじゃん」


振り返った先にいたのは、母さんの声でニタニタとこっちを見て笑っている………化け物だった。


「!!!!!!!!!」


「なあに?どうしたの、あれ、何でこんな時間に家に居るのかしらぁ〜。学校に行った筈よね。戻ってきちゃったの?」


「誰だ……」


緊張で声が通常の何分の一かになっている。それも仕方がない、目の前にいるのがまともな人間ではないことくらい鈍感な俺でもわかる。今まで気配なんて感じたことなかったけれど、今目の前にいるこいつからは母さんの気配なんてしない。


おかしい、絶対にこれはおかしい。何だどうしたんだ、昨日まで何不自由なく平穏な生活が続いていたのに。ちょっとばかし苦しかったとしても、辛かったとしても、人間らしい生活が送れていたのに。

それともあれか?壮大な夢オチじゃないだろうな、いや今はそうであってほしい!誰か早く起こしてくれ!いや、起こして下さい!


頼むよ…………。


「ジュルッ……ジュルジュルジュル」


目の前の今朝まで母親だったものが僕の方を見てジュルジュルと音を立てて溢れる唾液をすすっている。俺はもう母さんじゃない。俺は今きっとこれに食われようとしてる。漫画でよくある人間の天敵シリーズだ。俺も大好きでいつも発売日には本屋にBダッシュをかましてた。それが今目の前に現れた。いやぁ、目の前に現れると存分迫力が違うものだなあ。あの主人公たちはこんな奴らと対峙していたのか、ますます好きになったよ。


そんな戯れ言を心の中でつぶやきつつも、俺の体はどんどんどんどん震えが増していた。怖いんだ当たり前だろ、ここで恐怖に打ち勝ってこいつらに刃を向ける奴らの方がおかしい、普通じゃない。俺は大好きな主人公たちを貶しているのだろうけど、今となってはそうとしか思えない。


「ねぇ、」 


「!!!(食われるっ)」


「あなたが持っているそれぇ、そうそれよぉ。それをくれたら何もしないわぁ。大丈夫、あなたは安全だからぁ。潔くそれを渡して♡」


こんなやつにハートをつけられて、猫なで声で言われても全然嬉しくない。けど、


「これで、いいのか?」


目の前にいる母だったものに鞄のチャックに付けていた安っぽいなキーホルダーを見せた。それはもう文字通り安っぽい。なんてったって、一般的なキーホルダーをつける紐にミニサイズの手鞠のようなものがついたものだったからだ。正直なぜ自分がこれをつけているのかよく分からない。誰かから貰った記憶もないし、自主的に買った記憶もない。つまりは、全くと言っていいほど思い入れがない。


「こんなんでいいなら……やる」


「あらぁ、意外とお利口さんねぇ。こんなにやすやすと手に入ると思ってなかったわぁ。アタシが言うのも何だけれど、本当にいいのぉ?」


「別に、それで俺を食わないでいてくれるなら貰ってくれよ。俺とっては願ったり叶ったりだ」


「そう、じゃあアタシの手の平に置いてくれる?」


「それは……ちょっと嫌だな」

 

「……あらぁ、それはどういう意味かしらぁ。ことと次第によっては貴方を食べてしまうかもしれないわよぉ」 


「ひっ!!いや、あのつまり、俺にとってちょっとばかし危険だなと言うだけで、断じてこれを渡したくない訳じゃ……」


「そう、なら良かったぁ。それならそうね、床に置いてくれるかしらぁ。置いたらすぐに距離をとって。貴方が後方に五メートル下がったらアタシはそれを拾うわぁ。これで安心でしょぉ」


「ああ、それなら助かる」


俺は安っぽいストラップその場において、一メートル、二メートル、三メートルと後ずさりをして行き、五メートル地点に到達するかと思ったとき、室内なのにも関わらず暴風が家全体に吹き荒れた。あの化け物がストラップを取った反動かもしれないとそう思った。なにせ今までそういう桁違いな化け物が出てくる漫画を見てきたからだ。少し動くだけでも災害のような威力を発揮してしまう化け物を。そう思って正面にいるはずな化け物の方に目を向けた。



ついさっきまで俺と会話していた母さんではない化け物は、粉々に、それこそ文字通りサイコロステーキのように、原型を留めない形で崩れきっていた。


ゾッと……する暇もなく


「ねぇ、君かなぁ?無名の貧弱な妖怪ちゃんにこの『清濁のカケラ』をあげようとしたのは。君だよね?君しかいないよね?状況を鑑みるにアイツにこれをあげようとしたのは君だと判断するしかないよね?」


耳元で、全てを嘲笑うかのような声色でそうまくしたてた挙げ句、ソイツは俺にナイフを突き刺した。










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