第13話 想い人
人間が痛めつけられている。
それを悲しいと思ったことは一度もなかった。ただ、そんな光景を見ることに疲れていただけだった。
なのに何故今、心が燃えるほどの怒りが込み上げてくるのか。
わからない。
だが、その人間が、その女が、傷つけられることはどうしても許せない。
そう。その女は、その女だけは。
「やめろ!黒!」
赤く染まる視界の中で、女が叫ぶ。
傷だらけの顔で。ひどく泣きそうな顔で。
「黒!!」
(ああ、そうか。命が尽きるその瞬間まで、覚えていようと決めた、お前の名は。)
『・・・スガヤ、』
笑った黒が赤い涙を流す。
そして糸が切れたように黒はその場に崩れ落ちた。
・・・
スガヤは急いで立ち上がり、格子の向こうの黒に駆け寄った。
「黒!しっかりしろ!黒!」
何が起こったのか誰にもわからなかった。
だが、覚醒しかけた化け物が脆く崩れ落ちたことだけは誰もがわかった。
「ぐ、ぐずぐずするな!女をとらえよ!」
口髭の男が腰の砕けた状態で腕だけを激しく動かし周りの兵士を執拗に煽る。
煽られた兵士たちはおずおずと腰の剣を抜いた。
その剣を抜く金属音を聞き、振り返る。
スガヤは黒を庇うように重心を落として格子を背に立ちふさがった。
「かかれかかれ!」
口髭の男が号令をかけると同時に、
「うわぁ!」
「ぎゃああ!」
突如地下牢に響き渡った複数の悲鳴。
スガヤに向け、剣を構えていた兵士たちが背後を振り返ったと同時にバタバタと倒れていく。
暗い地下牢の中で、カンテラが、光を散らしていくつも転がった。
一体何が起こったのか。
スガヤはゆっくり体勢を戻し、辺りを見渡す。
一瞬の間に、兵士のほとんどがその場に倒れてしまっていた。
「ひいいい」
そして口髭の男らしい悲鳴が轟き、刹那辺りは静寂に包まれた。
「・・・なんだ?」
カンテラが仄かに照らし出す静かな闇の中を、何者かが勢いよく駆け寄ってくる。
「黒猫!大丈夫か?」
大きな体に黒くボサボサの髪。
現れたのは、コダだった。
「え、コダ、お前どうしてここに?助けに来てくれたのか?」
「そんなわけねぇだろ。ついでだ。」
コダはさらりと言ってのける。
言った後にまた何処かへ駆け出し、何かを担いで戻ってきた。
「え、お前、その子は、」
コダが肩に担いでいた気を失っているのであろう少女は、スガヤの世話をしに来たあの奴隷の小さな女性だった。
「ああこいつか?こいつはセイレーン。俺の連れで、・・・今回の元凶だ。」
「え?」
「すまなかったな。その有翼人をコロル領へ連れてこさせたのは、こいつなんだよ。」
「え、それはどういう意味だ?」
スガヤは事態が飲み込めず、困惑した。
コダは眉根を寄せ、困ったようにうっすら笑っていた。
「こいつはな、始祖の有翼人に憑依されているんだよ。」
「え?憑依?」
「そう。時々乗っ取られるのさ。まあ二重人格みたいなもんだな。その始祖の有翼人の人格が、寵愛を受けていたコロル高官メトゥスを唆して、その漆黒の有翼人をルーベンから密輸させたんだ。漆黒の有翼人はもともと始祖の想い人だからよ。」
「・・・え、想い人だから密輸させたのか?わざわざ密輸させてこんなに痛めつけたのか?想い人なのに?」
状況が飲み込めず、スガヤは顔をしかめる。
「思うように手に入らんから腹が立ったんじゃねぇのか?女心なんか俺も知らねぇよ」
「いやいや、女心云々ではないぞ。あとお前の話は急すぎる。」
スガヤの追求が面倒になったのか、コダは故意に息を一つ吐いた。
「無駄話はここまでだ。ほら、牢の鍵だ。早く逃げろ。カエルラに逃げられたから情報が漏れた。もうすぐ第二大隊が来る。」
「第二大隊?」
「お前を捕まえたコロル軍だよ。奴らの目的はその有翼人の奪取だ。研究と称してモルモットにされるぞ」
「え?モルモットてなんだ?どういうことだ?」
「・・・お前はホント何も知らねぇな。モルモットっていうのはな、」
「いやいや、そうじゃなくて。ちょっと待て。お前はさっきから情報量が多すぎる」
「ああそうか、手枷を外さねばな。手枷の鍵は、ん?どれだ?」
「いやいや、そうじゃなくて。人の話を聞けよ」
コダは聞く耳持たず、不器用に鍵をいくつか試しながらようやくスガヤの手枷を外し、その鍵の束をスガヤに手渡した。
「セイレーンが持ってた鍵だ。おそらくその有翼人の枷も外せるだろうよ。すまなかったな。恨むなら、セイレーンの中の始祖だけにしてくれ。始祖の人格が表に出てる時は、セイレーンは何も知らねぇから。」
コダは微笑み、未だに困惑の最中にいるスガヤの頭をポンと叩いた。
「生きろよ、黒猫。それと第二大隊の赤髪には気を付けろ。あいつは人間じゃねぇ。人と有翼人のハーフだ」
処理しきれないほどの膨大な情報だけを残し、コダは来た道を駆け戻って、地下牢から姿を消した。
スガヤはなおも状況が飲み込めず、鍵の束をじっと見据えた。
「あいつ、あの奴隷の少女を助けるために私を囮にしたのか?いやいや、考えてる暇はないぞ」
一拍置いて自分自身に言い聞かせ、踵を返し、すぐさま黒の牢を開けた。
・・・
恐る恐る倒れた黒に触れる。
(よかった。生きてる)
安堵の息を吐く暇もなく、スガヤは黒の枷を小さな鍵で全て外した。口にかけてあった猿轡を懐に忍ばせていた短刀で切る。
そして黒の腕を肩に掛けて立ち上がろうと試みた。だが重くて思うように立てない。
(くそ!急がないと!)
自分の太股を何度か拳で叩き、再び力を込めて立ち上がる。
「くそっ!こんなところで死なせないぞ、黒!」
叫びながら足に力を入れた時、不意に腹に黒の腕がまわり、ふわりと背中から抱き寄せられた。
虚を突かれ、顔を上げると、黒い頭がスガヤの肩に乗っかっていた。
「黒?気がついたのか?」
その頭にそっと触れる。
スガヤを包む腕に力が入った。
スガヤはその腕を愛おしそうに何度も撫でた。
「おかえり。黒」
鼻の奥がつんと痛んで、暖かい涙が、黒の腕にいくつも落ちて、流れては消えていった。
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