第12話 鼓舞して向ける視線は前へ



 牢の天井近くの天窓から日の光が微かに差し込む。


 後ろ手に枷をはめられた状況であっても、小さな窓から空を見上げるスガヤの背筋はまっすぐに伸びていた。


 目は泣き腫らしてはいたものの、眼光は決して陰ることはない。


(ここまで来たんだ。ここには黒がいる。絶望するにはまだ早いだろ)


 それは自己暗示に近かった。

 だが無理矢理に鼓舞してでも前を向かないと、現状を打破することはできないのもまた事実だった。


     ・・・


 地下牢に収容されて一日目。


 この地下牢にはほとんど囚人は収容されていないらしく、看守の足音が時おり鳴り響く以外は、空気を淀ませるほどの静寂が辺りを覆い尽くしていた。


 そんな牢屋の中、小さな窓から漏れる太陽光がもっともを強く眩しい時間帯。


「1080番、ほら、食事だ」


 格子の一部が開かれ、看守が食事を雑に置く。具のないスープと固いパンがトレイの上で跳ねてスープが溢れた。


「おい、手枷を外せ。食べられないだろ」


 スガヤが声を上げると、看守は鼻で笑って一瞥くれただけで、さっさと牢の前から去っていく。カツカツとわざとらしい足音が遠退いて、スガヤは忌々しく舌を打った。


 それでも食べなくては体力が落ちるだけだ。


 スガヤはトレイに顔を近づけ、白い歯をむき出しにし、獣のように全ての食事を平らげた。



 その日の夜。

 牢の奥から仄かな灯りがゆらゆら揺らいでいるのが微かに見えた。


 スガヤは格子に顔をくっつけ、光の方に目を凝らす。


(なんだ、この足音は。・・・子供か?)


 歩幅の小さな軽い足音。

 次第にカンテラの灯りが人影を浮かび上がらせる。


「・・・!」


 刹那、スガヤは眉根を寄せた。


 首に鉄の輪っかをはめられた、おそらく奴隷の少女が、片手にカンテラ、片手に手桶を持ってスガヤの牢の前に立つ。


(子供?・・・いや、小さな女性だ。なぜこんなところに、)


 スガヤの困惑をよそに、少女は一瞬の迷いもなく、一旦カンテラを床に置いてガチャリと牢の入り口を開けた。


 小さな入り口から身を屈めて入り込むと、少女はカンテラと手桶を牢屋の中に置いた。


「お世話をさせていただきます、よろしくお願いします。」


 それは耳障りのいい、小鳥のような声だった。


 見た目も、身なりで奴隷とわかるだけで容姿はとても美しい。

 大きな黄金色の瞳は光を孕んで淡く潤み、さらりと伸びた金髪はよく手入れされているようで艶やかだった。


「お身体を清めさせていただいてもよろしいですか?」

「あ、ああ、よろしく頼む」


 スガヤは、自身の薄汚れた姿に若干の羞恥心を抱き、ぎこちなく笑った。


 少女はそんなスガヤに対しても、天使のようにふわりと微笑んだ。



「・・・」


 少女に身体を清めてもらいながら、スガヤは開けっ放しにされている入り口ばかりを見つめていた。


「・・・」


 訝しく思わないわけではない。

 少女の、無垢で可憐な容姿に似合わない迂闊さには一抹の不安を覚える。


(それでも、罠だとしても、・・・選択の余地はない)


 スガヤは心で詫びを入れながら、少女を加減した力で蹴り倒した。


「きゃっ」


 少女は呆気なく転がり、スガヤはすかさず牢から抜け出した。



 うろ覚えだったこともある。

 迷路のような暗い地下牢を何度も迷いながら、スガヤは後ろ手に手枷を付けられた状態でひたすら最奥を目指し走った。


 やがて見覚えのある暗い最奥の牢へたどり着き、スガヤは全身で格子に体当たりしながら声の限り叫んだ。


「黒!黒!しっかりしろ!助けに来たぞ!」


 だが、横たわる影が動く気配さえもない。


「くそっ、黒!何やってんだ!起きろ!黒!」


 ガシャンガシャンと格子がけたたましい音を立てるが、やはり黒は反応しなかった。


「黒!」


 スガヤは、あまりに必死に格子に体当たりを繰り返していたため、周囲への警戒を怠ってしまった。


 複数名の足音がどんどん近づいてくる。


「いたぞ!1080番!大人しくしろ!」


 4人の看守が警棒を片手にスガヤめがけて駆けてきた。


「ちっ」


 スガヤは振り下ろされる警棒を交わしながら一人目の看守の顎に飛び蹴りを食らわせた。他の3名も確実に喉や金的を狙うことで全員をその場に沈めた。


 しかし、


「そこまでだ!」


 怒号と共にさすまたを持った黒い鎧の兵士が走り寄ってくる。

 すかさず身を翻してそれを避けたが、避けた先にいた見覚えのある将校のさすまたに捕まった。


 壁に拘束され、身動きがとれない。


「でかしたぞ!カエルラ!」


 そこへ、背の低い、立派な口髭を貯えた軍服の男が悠々と現れた。

 手にしていた馬の尻を打つ鞭で、スガヤの顔面を思いきり打ち付ける。


 バチンバチンと激しい打撃音がいくつも鳴り響いた。


 しかしスガヤの眼光は衰えることを知らない。鋭く口髭の男を睨み付ける。


「小生意気な女だ。カエルラ!さすまたを外せ!」

「はっ!」


 カエルラと、一瞬だけ目が合う。

 だがカエルラからは何の感情も察せられなかった。


 さすまたが外された瞬間、カエルラに足をかけられスガヤはその場に倒された。


「どけ!カエルラ!」


 すかさず口髭の男は駆け寄って、スガヤの腹を力任せに蹴りあげた。


「ぐわっ」


 衝撃にスガヤの声が漏れる。


「このクソ女が!手間かけさせやがって!」


 執拗に何度も蹴られて、スガヤはその場で嘔吐した。だが暴行は止まることがない。


 だが、


「お、おい、見ろあれ、」


 数名の兵士がどよめき立つ。


 刹那、ガシャンと大きな音がこだました。


 口髭の男が顔を上げると、視線の先で黒い何かが蠢いた。


 そして再びガシャンと冷たい金属音が轟く。


「な、なんだ、・・・カ、カエルラ、コイツは瀕死だったのではないのか!」


 口髭の男に声をかけられ、カエルラは溢れる笑みを隠すように片手で口元を抑え、「そうですね」とだけ答えた。


『その女から離れろ』


 低い、声にならない声が響く。


 誰一人、この言葉は聞き取れなかったが、全員がその言葉の意味を理解した。


 兵士たちはその威圧に気圧されじりじりと後退する。


『その女から、離れろ』


 そして空気が激しく震えた。


 放電しているかのように、小さな火花がいくつも飛び交う。


 低い唸り声が地を這い、空気が揺れる。


「・・・素晴らしい」


 カエルラが小さく呟いた。


 刹那、片羽の漆黒の翼が一気に大きく開かれた。


『その女から離れろ!』


 激しい恫喝は突風となって口髭の男に襲いかかり、男はよろめいて後ろに倒れる。


「やめろ!」


 半身をもたげたスガヤは、喉がジリジリと痛むほどの大声で叫んだ。


「やめろ!黒!」


 黒は、赤く光る漆黒の瞳で、ゆっくりとスガヤを捕らえた。



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