第10話 有翼人亜種
有翼人と呼ぶには醜くすぎる。
人間と呼ぶには不完全すぎる。
自然の摂理に背いた人工的な生命体は、人間を噛み殺すことしかできないただのバケモノだった。
「あれが、有翼人だと?」
羽根の生えた、茶色い人の形の「何か」が、オレンジ色の夕焼け空に数十体舞っている。それが時折飛来しては、人々に襲いかかっていた。
茶色い「何か」の口から垂れる鮮血が、雨のように降り注ぐ。
「あれは有翼人亜種だ。有翼人の『武器』ってところだな。あいつらを使って有翼人は人間を殲滅してるのさ。」
有翼人亜種の飛来する二番地区から少し離れた位置でコダは馬を止めた。
そして空を指差し、スガヤに言う。
「あの上空高く、2体の、紫色と黄緑色の翼が見えるだろう?あれが有翼人だ。個体によって羽根の色が違うみたいだな」
「・・・」
スガヤは、自分の知識の浅さに愕然としながら空を見上げた。
「コロルは、こんな厄災に襲われているのか、」
「そうさ。だから人間は有翼人を憎む。わかっただろ、お前にできることは何もねぇよ。もうルーベンへ帰れ。さあ、もう降りろ」
コダは上半身をひねってスガヤの腕をつかむと、半ば強引に馬から引きずり下ろした。スガヤも素直にそれに応じた。
そしてそのままコダは、有翼人亜種の襲撃に遭っている二番地区へ向けて、迷うことなく馬を走らせた。
スガヤは、有翼人というものをわかっていなかった。
惨状を目の当たりにして、未知なるものへの恐怖心が沸かないわけではなかった。
(それでも、)
それでもスガヤは黒にもう一度会いたいと、強く思う。
だが情報が足りない現状に歯噛みする。
一縷の望みをかけ、スガヤはコダの馬を追いかけて走り出した。
・・・
日に日に悪化していく黒への暴力が、軍幹部にも知られる事態となった。第一大隊近衛部隊所属、カエルラ中佐は、近衛部隊長リビードー少将へ、その事実を報告に上がった。だが、
「そんなことは我々も周知しておる。しかし若い兵士たちのガス抜きになるなら丁度良いではないか。メトゥス様もお喜びだぞ」
話にならないと心で悪態つきながら、カエルラは爽やかな笑顔で「出すぎた真似をしました」と頭を下げた。
・・・
黒の、漆黒の翼の一部が折れている。
黒はその痛みで3日前から眠ることさえできなかった。
身体の傷はすぐに癒える。
しかし翼の傷だけは異常に治りが悪い。
奴隷の少女は、手桶の水で手拭いを絞りながら、何度も黒の翼を優しく清める。
だが、
『そこはいい。無駄だ。触るな』
黒が言葉にならない言葉で言った。
奴隷の少女は辛そうに眉根を寄せた。
黒は、最近は身体を起こすことさえ気だるくなったようで、一日のほとんどの時間を横たわって過ごしている。
話もほとんどしなくなった。
奴隷の少女は切なそうに俯く。
「おい、32番、いつまでそんなことをしている!メトゥス様がお呼びだぞ!奉仕に上がれ!」
壮年の兵士が地下牢の上から大きな声をかけた。
それは近頃毎日聞く。
黒は漆黒の瞳を奴隷の少女に一瞬向けたが、少女は黒を見ようとはしない。
黒は少女から目を反らし、再び虚空をぼんやりと眺めた。
・・・
スガヤが駆けつけた時には、有翼人亜種と呼ばれる茶色い「何か」の死骸が無数に転がっていた。そのほとんどの首が落とされている。
「お嬢さん、近づかない方がいい。こいつらは首だけでも数分生きてるから噛みつかれるぞ」
初老の男に背後から声をかけられた。
「そうなのか?」
スガヤが振り返ると初老の男は大きく頷いた。
「ああ、奴らは痛覚がないから、首を落とすか心臓を貫かないと死なない。田舎の者はほとんどそんなこと知らないだろうが、わしらには常識だ」
「・・・」
若干田舎者扱いにムッとしながら、スガヤは未だに滑空する有翼人亜種を討伐すべく短刀を抜き、戦闘の中央部へ向け駆け出した。
一般市民は既に退避させているのか、そこでは黒い鎧を身に纏った兵士たちが満身創痍で戦っていた。
(・・・いた)
そんな中でも一際大きく、やはり珍しい黒いボサボサの髪を見つけてスガヤは駆け寄った。
「てめぇ!何してやがる!何でこんなとこまで付いてきた!」
コダに怒鳴られながらもスガヤは背中合わせに立ち、飛来する有翼人亜種の頸動脈を斬りつけた。
「首を斬るだけじゃ駄目だ!死なねぇぞ!首を落とせ!」
「了解」
しかしスガヤの短刀では首を落とすまでには至らない。
「ちっ、何なんだてめえは。これを使え。俺は軍の剣を借りてくる」
そう言うと、コダは自身の細身の剣をスガヤに手渡した。それは細いわりにずっしりと重い。
「これは、」
「日本刀だ。横の衝撃に弱いからな!折るんじゃねぇぞ!」
刀を指差し怒鳴りながらコダはどこかへと走り去った。
スガヤはしばらく刀をどう持つべきが考えていたが、飛来する有翼人亜種を何体か斬りつけることでコツを掴んでいった。
(凄い!なんて切れ味だ。)
手に馴染むこの武器を、スガヤは心底欲しいと思った。
そのスガヤの太刀筋を遠くに眺め、コダは「ほう」と感嘆の息を漏らし、楽しそうに笑った。
「コダさん、あんたの刀を振り回してるあの黒い女の人、誰ですか?」
不意に背後から声をかけられ驚き振り返る。
「サ、サンディークス、・・・少尉」
「あの女の人は誰なんですか?」
真っ赤な髪をした若い将校が、赤い瞳でコダを睨んでいた。
「えっと、あれは、ですね」
コダは目を泳がせて言葉を濁す。
どう誤魔化そうかと思案を巡らすが不器用なコダは良案が浮かばない。
「あの貧相な服装、まさかルーベンの兵士なんですか?ああ、あの国、軍人いないんでしたかね、じゃああんたと同じ傭兵か。」
まずいなと一瞬コダは思いはしたが、同時に自業自得だろうとも思い、黙認した。
そんなコダに一瞥をくれることもなく、サンディークスはスガヤに向け走り出した。
「あんた、ルーベンの人?」
いきなり背後から見知らぬ赤髪の男に声をかけられ、返り血まみれのスガヤは振り返り目を丸くした。
「・・・あいつがしゃべったのか」
スガヤの黒い瞳が鋭く光る。
「あいつってコダさんですか?あの人はそんな無粋な事はしませんよ。無粋な人ではありますがね。あんた、ルーベンの人間なら、不法入国の罪で逮捕しますね」
「え?」
そしてスガヤはあっさり捕まった。
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