第9話 黒髪の剣士
ルーベン側からの侵攻を想定していないコロル領への侵入は比較的簡単だった。
だが、樹海を抜けた先は悪路の山道が続く。整備されていない道の、湿地に足をとられながら、途中何度も休憩を挟み、結局山道を抜けるだけで3日かかった。
慣れない悪路に息が上がる。
山道を抜けた先の雑木林は少し開けており、疎らな木の隙間から遠くに時折人影が見えた。
(迂闊には近づけないな)
雑木林の中で一旦夜になるのを待つべく、スガヤは枝ぶりのよい木に登った。
少しの仮眠を取る。
どれほどの時間が過ぎたか。
西日が深いオレンジ色へと変わる頃、スガヤの耳に、微かに草を踏みしめた音が響いて目を覚ました。
(なんだ、今の音は、)
また聞こえる微細な違和感。
風に揺れる木々の音に混じり、不自然な草の音がやはり聞こえる。
スガヤは枝の上に立ち、辺りを見回した。
だが変わった様子は見当たらない。
再び身を低くして足元の枝に手をかけ、飛び降りようと枝から足を下ろした瞬間、金属音と風切り音が耳をつんざいた。
「!」
慌てて枝の上に戻り、体勢を整え下を覗き込んで息を飲んだ。
(え?クマか!?)
黒い眼光が、こちらを見上げていたのた。
大きな体躯、黒いボサボサの髪。
それが人間だと理解するのに一拍必要だった。
「ちっ」
舌打ち、スガヤはすかさず一番近い木に飛び移ろうとして、一瞬重心を後ろにずらした瞬間、木の幹をドンと激しく蹴られた。
「うわっ!」
バランスを崩し、スガヤは地面に落ちた。すかさずスガヤめがけて閃光が走り、風が舞う。
上体をひねってその一撃をかわし、刹那スガヤは後ろへ飛び退いた。
身を低くして腰の短刀を眼前に構える。
(マズいな、こいつは手練れだ)
スガヤの背中は冷や汗でびっしょり濡れていた。
真っ正面から戦っても勝ち目がない。
ジリジリと後退しながら太股に手をかけた時、黒髪の男が白刃を平たく構えて突っ込んできた。
(早い!)
右にかわすと、男は踏みとどまって体を回し、太い足で蹴りをくり出した。スガヤは飛んでそれを避けると手にしていた短刀を男めがけて投げつけた。
男は短刀を白刃で弾く。
その一瞬でスガヤは両太股のクナイを一気に抜き取り一気に投げつけ、その勢いのまま後方へ駆け出す。
だが男も大きな体のわりに俊敏な動きでスガヤを追った。
雑木林を駆け抜け、視界が一気に開ける。
整備された道に出た瞬間、二本目の短刀を抜きながら振り返ると、既に男は白刃を左下から大きく振り上げていた。
辛うじて短刀で受け流し、だがその勢いに押されてスガヤは後方へ吹き飛んだ。
刹那男に腹の上に乗られ、見たことのない片刃の細身の剣を喉元に突きつけられた。
(くそっ、ここまで来て、)
「大人しくしろ。お前はルーベンの兵士だな?」
低い声で問われ、スガヤはキッと男を睨む。
「この態勢でも虚勢を張るのか。まるで黒猫だな。」
「黒猫?」
「そう黒猫だ。こんなにすばしっこいヤツは初めて見たよ」
そして男は喉の奥でククっと笑った。
「・・・」
興が削がれたのか、笑う男から殺気はすっかり消えており、スガヤも若干素を取り戻した。
(あ、こいつ黒髪だ、珍しい。・・・少し、黒に似てるな)
喉元に切先を突きつけられてはいたが、スガヤは今更ながら男の風貌をまじまじと見据えた。
黒いボサボサの頭に、190cmはあろうかという大男。ルーベンは黒髪が珍しいと言われていたが、コロルは違うのかと、どうでもいいことが脳裏を過った瞬間だった。
「コダ二等兵!二番地区に有翼人が現れた!警邏を中止し急行せよ!」
早馬の地響きが鳴り、馬に乗った細身の男が離れた位置からこちらへ叫んでいる。
おそらく伝令兵だ。その伝令兵の怒号に、コダと呼ばれた黒髪の男は立ち上がり、剣を鞘に納めた。
「お、おい、有翼人が現れたってどういう意味だ。」
突然解放され、拍子抜けしつつも、先程の伝令兵の言葉を聞き逃すことができず、スガヤはコダの腕を掴む。
「・・・」
コダはコダで、逃げるチャンスを与えてやったにもかかわらず、自分の腕を掴むこの女兵士に面食らった。
「有翼人は有翼人だろ。知らねぇのか?」
「いや、知ってはいるが、有翼人が現れたらどうだって言うんだ?」
「奴らは人間を襲うから、俺たちで駆除するんだよ」
「駆除?駆除って、・・・殺すのか?」
「そりゃそうだろ。」
コダは事も無げに言うと、指笛を鳴らし愛馬を呼んだ。すると何処からともなく青鹿毛の大きな馬が砂埃を巻き上げ駆けてくる。
馬はコダを見つけると立ち止まった。コダは馬の首を擦りつつ鐙に足をかけ、一気に馬に股がった。
そしてそのまま手綱を弾く。
「え、ちょっ、待ってくれ!私も連れてってくれ!」
スガヤは慌てて立ち上がり、駆け出そうとするコダの馬の前に飛び出て、進路を妨害するように両手を広げた。
「何言ってんだ。不法入国者を連れて行けるわけねぇだろ。見逃してやるからさっさとルーベンに戻れ」
「その有翼人は、私の知り合いかもしれないんだ!頼む!連れてってくれ!」
スガヤは深く頭を下げた。
「知り合い?」
コダは無精髭だらけの顎を擦りながらしばらく思案を巡らせていたが、
「お前の知り合いの有翼人の、翼の色は何色だ。」
低い声音で静かに問った。
「漆黒だ。」
「・・・やはりそうか」
スガヤの答えにコダは薄く笑った。
刹那コダは馬の胴を鐙で強く打ち、嘶いた馬が駆け出したと同時にスガヤの腕を掴んでスガヤの身体を浮かした。
スガヤはその勢いのままコダの肩を掴んで、身を翻し、コダの後ろに股がった。
二人を乗せた馬は、北へ向けて砂埃を巻き上げ走り抜けていった。
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