異常
一年以上関わりがなかった女子と久しぶりに話したからといって、劇的に世界が変わるわけではないはずだった。
……昨日までは。
早めに就寝したにも関わらずいつも通りの時間に起きた俺が、諸々の支度をして外に出ると、家から歩いてすぐのところにそいつはいた。
「あ、おはよー」
「……は?」
七瀬だ。七瀬がいる。
確かに中学が一緒ということもあって、俺と七瀬の家は近所にある。
とはいえ、七瀬の家の方が北雪学園には近いから、一年の頃はこんなことは起こり得なかった。
つまり、七瀬がここにいるということは、自分の意志でわざわざ学園から遠ざかってきたということ。
「どちら様ですか?」
「え、その誤魔化しはさすがにきつくない? 昨日一昨日と学園で話してたのに」
他人のフリをして通り過ぎようとした俺に、七瀬が食いついてくる。
おかげで、まるでカップルで登校しているかのような距離感になってしまう。
やめてくれ、チキンレースはしたくないぞ。
「話してないだろ。一度も」
「あれ、そんなことを知ってるなんてお知り合い様ですか?」
「違います」
「あはは」
七瀬が笑う。笑い声は最近になって何度も聞いたが、こうして笑顔を見るのは久しぶりだ。
七瀬は、本当に楽しそうに笑う。
屈託のない笑顔ってこういうものなんだろうな、と昔は何度も思わされた。
「久しぶりだよね。ちゃんと話すの」
「話すには話してただろ。昨日一昨日」
「そういう意味じゃなくてさー」
そう言って、七瀬は耳にかかった髪の毛をかきあげる。
「……今日は普通のロングなんだな」
「え?」
「髪型」
学園に入ってからの七瀬は、よく髪型を変えていた。
しかし、今日は何も着飾らない、少しハネ気味のストレートロングだった。
「あ、あ~……気づいてた、の?」
「まあ、七瀬は目立つからな」
「いつも見てくれてたんだ」
「そんなわけないだろ。たまにだよ、たまに」
なにせ、今の七瀬はいつも多くの人に囲まれいるからな。
廊下の人だかりが邪魔だなと思って脇を抜けようとすると、その中心に七瀬がいるのが見えた、なんてことはしょっちゅうあったりする。
だから、嫌でも目に入ってくる。どれだけ見ないようにしていても。
「しかしまたなんで今日はロングなんだ? 時間なかったのか?」
「えー、これはこれで手が込んでるんだけどなぁ」
「そうだったのか。ごめん、そういうのあまりわからないからさ」
「まあ、いいけどねー。時間がないわけじゃなかったんだけど、なんていうか……さ」
七瀬は言いづらそうに口を動かしながら、目線を曖昧に空に向けた。
「桜井くんが好きなキャラクターって、ロングの子が多かったでしょ?」
「だから?」
「あはは、わかんないかなー」
そう言って、七瀬はまた笑う。わけがわからない。
そもそも俺は別にロングヘアーが好きというわけではないから、媚びを売ってるんだとしたら見当違いだ。
まあ、ハッキリ言ってそれはどうでもいい。七瀬の気分の問題だから。
今は、それよりも明確な問題が進行方向に横たわっている。
「それで、いつになったら距離を取ってくれるんだ?」
「え?」
「俺たちは友達じゃないんだぞ。近すぎるだろ」
「…………うーん、桜井くんの方が意識しすぎなんじゃない?」
「は?」
昨日まであれだけ共有してきた不文律を明文化した途端、七瀬はすっとぼけてみせた。
「私たちは、他人でしょ?」
「そうだな」
「たまたま進行方向が同じ他人同士が、たまたま同じぐらいの時間に居合わせたら、一緒に登校するのは、別におかしなことじゃないよね?」
「……ははぁ」
そうきたか、と思わず唸ってしまう。
七瀬の言ってることは実に理に適っていて、それでいて今の俺にとっては実にタチが悪い。
本当は、言いたいことは山ほどある。
「明らかに待ち伏せしてただろ」とか「いつもと登校時間が違うだろ」とか。
でも、今の七瀬には全部敵わないだろう。
友達だった頃みたいに、対等な距離感で無遠慮に言葉を放ってくる今の七瀬には。
だから、俺は暴論を持ち出すしかない。
「帰るわ」
「……………………え?」
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと待って!」
踵を返し、家に向かう俺の肩を、七瀬が慌てて掴んでくる。
「な……なんで? もう学園行かなきゃ」
「別に一日ぐらい休んでも大丈夫だろ。これまで無欠席だし」
「だけど……だけどさ……ストーカーがきてないか、見ててくれるんじゃなかったの?」
「このままだと俺がそのストーカーに恨まれて刺されそうだしな。それに、ボディーガードはしないって言っただろ」
本当は、そんなことは別に気にしてはいない。
こんなのは七瀬との会話の主導権を強引に握るための、捻じくれた論理でしかない。
「ご、ごめん」
「…………」
「そうだよね……迷惑だよね。こんなの。本当にごめんなさい」
すがるように背後から俺の上着を摘まんでくる七瀬の手を、身をよじって振り払う。
首を捻って視線を向けると、七瀬は泣きそうな顔をしていた。
いじめられた日に何度も見たその顔を、今度は俺が作り出してしまった罪悪感が、俺の心から染み出して、足を縫い留める。
「もうしないから。お願い、許して」
言うだけ言って、七瀬は顔を覆いながら、小走りに遠ざかっていく。
そしてすぐに道の突き当りを曲がって、見えなくなった。
「………………はぁ、わけわかんねぇ」
お前、友達がたくさん欲しいってあんなに言ってたじゃないかよ。今が幸せなんじゃないのかよ。
俺なんか捨てていくべきだろ。多かれ少なかれ、みんなそうして次の人間関係を作ってるだろ。
俺みたいな奴の人生の行く末なんて決まってるんだから。
俺は、お前の人生には不必要な蛇足にすぎないんだから。偶然混じっただけにすぎないんだから。
だから、放っておいてくれよ。
さっさと素敵な彼氏でも作って、そのまま幸せな家庭を築いて、こんな出来損ないの人間のことなんか見下してやれよ。
「あー、くっそ」
ムシャクシャして、道端の小石を蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた小石は、そのまま側溝に落ちていった。
誰かさんの人生みたいだな。
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