第25話 お市の新地家生活
新地領への北畠軍侵入により、光輝とお市の新婚生活開始は三か月ほど延期された。
それでも、逆に攻め込んだ北畠家の方が伊勢志摩を追われてしまったのだから、お市は光輝が凄い人だと思っている。
彼は家臣達に残務処理を任せて新地に戻り、再び新婚生活が始まった。
「……旦那様?」
朝早く目を醒ますと、同じ床で寝ていた光輝がいなかった。
お市は、布団から出て彼を探す。
光輝達が使っている布団は羽毛布団というそうで、中に水鳥の羽が入っているらしい。
とても軽く、暖かくて、織田家でも使っていない高級品であった。
「朝駆けに出かけられたのでしょうか?」
お市の兄信長は、朝早くに起きて小姓達と馬に乗り朝駆けに出かけたり、弓矢や鉄砲の稽古をする事が多い。
あまりそういう事が得意そうに見えない光輝でも、そういう稽古を行うのかとお市は思ってしまう。
「もう眠れませんか」
目が醒めてしまったお市が部屋を出ると、部屋の外には女中が控えていた。
「旦那様はどこに行かれたのです?」
「殿は、今日子様と鍛錬をしております」
「そうですか、見てみたいですね」
お市は、今日子が毎朝鍛錬をしているのを知っていたが、まさか新地に戻って来たばかりの光輝までもがそれに参加しているとは思わなかった。
「ご案内いたします」
「頼みます」
お市が女中の案内で新地城の外縁部に向かうと、そこで光輝と今日子がランニングをしていた。
「おはよう、お市ちゃん」
「おはよう、お市」
「おはようございます、旦那様、今日子さん」
光輝の出陣中に、今日子とお市は仲良くなっていた。
今日子はお市をちゃん付けで呼び、お市も今日子をさん付けで呼んでいる。
最初は様付けで呼んでいたのだが、それは止めてほしいと今日子に言われたからだ。
「旦那様も鍛錬に参加しているのですね」
「走るくらいはね」
宇宙船の船員は定期的な体力トレーニングを推奨されるので、その頃の癖で光輝は訓練に参加していた。
なお清輝は、元々運動が嫌いである。
運動神経も並であったし今は宇宙船の船員ではないと、自発的に訓練をサボっていた。
「ですが、意外でした」
「みっちゃんは、意外と体力と持久力はあるんだよ」
今日子は、光輝の運動神経と腕っ節は常人並、銃と銃剣の扱いは並よりも少しマシ、そして体力や持久力はかなり優れていると評価していた。
でなければ、いくらお飾りの大将でも長期の軍事行動に耐えられるはずがない。
「昨日も、結構凄かったでしょう?」
お市は、女性である今日子から昨晩の夜の生活の事を聞かれて顔を赤く染めた。
少し冗談も混じっているが、そういう事をしなければ子供が生まれないし、お市も子供が産めなければ妻としての立場が悪くなってしまう。
だから今日子は、光輝とお市を同衾させる日を増やしていた。
「清輝様はいらっしゃらないのですね」
「キヨちゃんが、トレーニングなんてしないもの」
今日子が呆れたように言うが、実は清輝はトレーニングが面倒だという理由の他に、夜更かしする事が多くて早起きできないのを知っていた。
「とれーにんぐですか?」
「南蛮の言葉で、鍛錬の事だよ」
「今日子さんは、外国の言葉もわかるのですね」
今日子はエリート軍人だったので、英語、北京語、スペイン語、フランス語、ドイツ語に堪能であった。
光輝は、英語と北京語が少し話せるくらいだ。
もっとも、未来では自動翻訳機があるので無理に覚える必要はないのだが。
「新地家の財政などを司る清輝様に、武芸は必要ありませんからね」
「お市ちゃんは優しいな」
今日子は、朝起きない清輝を庇うお市の優しさに感動した。
「あっ、そうだ。新しいお布団はどう?」
夫婦二人で寝るための低反発マットレスの敷布団に、頸椎、首、頭に負担が少ないマクラ、そして高級羽毛掛け布団の二人用を今日子が準備したので、その使い心地をお市に聞いた。
「とても寝心地がよかったです」
「それはよかったわ」
光輝と今日子のトレーニングが終わると、二人はシャワーを浴びてから朝食を取る。
お市は初めて見るシャワーに驚いたが、毎回汗をかく度に風呂に入るのも面倒なので素晴らしい発明だと思った。
備え付けてある石鹸に、シャンプーという髪を洗う液体の石鹸、リンスという髪の状態を整える薬など。
これも自分で実際に使って、その素晴らしさを実感していた。
「おはよう……」
「キヨちゃん、今日は珍しく早いね」
珍しく起床が朝食の時間に間に合った清輝に、今日子が声をかける。
「それがさ、義姉さん。全然新刊の案が出なくてさ。珍しく少し早めに寝たんだ」
「新刊ねぇ……」
「今は、太平記の登場人物をすべて女性化した作品の制作をね」
「キヨちゃん、全員女性にする意味があるの?」
「萌えるじゃないか」
太平記の登場人物が全員女性とか、萌えるとか、お市にはよく理解できなかった。
お市からすると、清輝は今までに見た事がないような変わり者に見える。
『お市ちゃん、チョコ食べる?』
話をしてみると、温和で優しくて悪い人ではないのがわかったが。
「「「「いただきます」」」」
早速四人で朝食を取る。
メニューは、白米と麦や雑穀も混じったご飯、ワカメと豆腐の味噌汁、アジの開き、水菜のお浸し、温泉卵、納豆、漬物佃煮各種と、お市には豪勢に感じるが、新地家では通常のメニューであった。
卵や獣の肉も普通に食べ、お市も新地家に合わせるように食べ始めたが、とても美味しい物だと感じた。
食べ物に関しては、南蛮や明の料理も順番に出るし、貴重な砂糖を使ったお菓子も間食の時間に出た。
食べ物のよさでは、織田家よりも新地家の方が圧倒的に上だとお市は思う。
「今日子さん、私も少し体を鍛えた方がいいでしょうか?」
「そうだねぇ、足腰を鍛えると妊娠した時に安産になりやすいかな? やりすぎる必要はないけど」
ならばやっておこうと、お市は思った。
周囲では、出産で命を落としたり、産後の肥立ちが悪くて早くに死んだりする女性も多かったからだ。
今日子は医者でもあるそうで、ならば彼女の勧めに従っておこうとお市は思ったのだ。
「出産も体力がいるからね、私が訓練内容を組んであげよう」
「ありがとうございます」
そんなやり取りがあり、お市も翌朝から鍛錬に参加する事になった。
内容は軽いランニングと筋力トレーニング、あとはストレッチ体操などだ。
「この程度でいいのですか?」
「警備隊の鍛錬じゃないからね。毎日じゃなくても、週に三回くらいで十分に効果があるから。それにしても、似合うなぁ」
「そうですか?」
お市は専用のジャージを今日子から贈られ、早速着用していた。
「確かに似合うな。部活女子みたい」
新刊のアイデアが出ないと悩む清輝が様子を見にきて、お市のジャージ姿に萌えていた。
「確かに、部活女子みたいだね」
「ぶかつって何ですか?」
「ええと、同じ鍛錬をする人達の集まりかな?」
清輝の説明を聞いたお市は、信長が若い家臣や小姓達に相撲を取らせている光景を思い出す。
「ところで、ブルマーは?」
「ぶるまーですか?」
「キヨちゃんは、新刊の構想か、通常のお仕事に戻りなさーーーい!」
今日子からの強い口調で恐れをなし、清輝は逃げるように自分の執務室へと戻った。
その様子に、お市は『ぶるまー』が何なのかを聞いてはいけないのだと本能で理解する。
「いいモデルがいて、創作意欲が沸くなぁ。悲運の名将北畠顕家は、お市ちゃんを参考にしよう」
少し勇み足をして今日子には叱られたが、清輝は無事に『太平記』の登場人物全員女性バージョンを完成させる。
だが、発表当初は『なぜ登場人物が全員女性なのか?』という批判に晒され、評価を受けるようになったのは清輝の死後、大分経ってからであった。
「『新地家では驚く事も多いですが、旦那様や今日子さんから大変によくしてもらっております』か……」
お市が嫁いでから三か月後、信長はお市からの手紙を読んでひと安心していた。
そして……。
「ああ……この布団は最高だな。朝、床から出たくなくなるほどだ」
信長は、お市から贈られてきた布団セットの寝心地のよさに喜び。
「このじゃーじという服は、鍛錬にはちょうどいいな」
信長は、早駆けや武芸の鍛錬で同じくお市からもらったジャージを必ず着るようになった。
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