第20話 堀尾泰晴、再び軽くキレる
新地家が北伊勢三郡を領地に組み込み、ようやく状況が落ち着いてきた永禄六年の春。
新しい領地でも開発が進んでいた。
新しく領地になった揖斐川西岸と員弁川の治水工事に、新田の開墾なども始まっている。
相変わらず長島には手を出していないが、寺院再建で忙しい隙を狙って桑名の支配を進めていた。
この地には、『十楽の津』という有力商人が自治を行う港があったが、光輝はこれに直接手を出していない。
元々商売の取引と銅銭の交換で新地家は悪く思われておらず、彼らは桑名の新地家支配を容認した。
一向宗の門徒も多かったが、新地家では他宗派の普通の寺を保護している。
天罰火災事件もあって門徒は自然と減りつつあり、改宗する者も徐々に増えていた。
新地家では、武力や広大な寺領を持たない寺には金銭を出して保護している。
異宗派との武力を用いた争いは禁止し、揉めた際には公開討論を行う場所を用意した。
『寺なんだから、教義の内容で争うべし』
という決まりになったのだ。
伊勢・尾張国内で一向宗の力が徐々に落ちていったが、摂津石山の本山は新地家に何も言ってこなかった。
新地家が、積極的に一向宗を弾圧している証拠がないからだ。
むしろ、取引による利益の方が大きい。
現場でのトラブルはたまにあったが、一向宗の本部がある石山は何も言ってこなかった。
「今年は、新領地の把握に忙しいですな」
「人材もか」
「それは、何とかなります」
滅ぶか没落した北勢四十八家の生き残った親族に、分家や非嫡子で冷遇されていた者など、そんな連中が仕官してきたらしい。
「うちで出世できれば本家を見返せるとか、そんな感じですね」
銭で雇われるというシステムに戸惑っていたようだが、嫌な奴は元から仕官しないので大きな問題は起こっていないそうだ。
たまに、領地奪還のために一揆を扇動する者もいたが、あまり人数も集まらずに警備隊に鎮圧されるケースが多かった。
農民を保護し、食糧増産のために開墾を奨励している新地家への反乱に、兵力となる農民達が参加しなかったのだ。
「今年は、種籾の盗難が多かったですな」
品種改良米を盗み、自分の領地でも栽培して収穫量を増やそうとしたらしい。
大勢を捕まえて処断したが、中には盗難に成功した者もいるはずだ。
「警戒を密にしないとな」
「そうですな」
とはいえ、大したダメージでもない。
なぜなら、品種改良米は全てF1種だったからだ。
その代はほぼ能力を発揮するが、収穫した種籾で栽培を続けても、代を経るごとに以前の米に近くなってしまう。
品種改良米の種籾を栽培可能なのは新地家だけなので、そこまでのダメージはないはずだ。
麦、粟、稗、蕎麦なども同じで、これらは稲作に不向きな土地で生産を拡大するので、やはり盗難対策は取っていた。
領地が広がるにつれて、種籾を栽培する専門の田畑の拡張も続けている。
「統治の方は何とかします。それで、兵力の増強ですが……」
「できる限り増やして、訓練もしないとな」
今回の戦で北伊勢三郡を領地に組み込んだ新地家であったが、敵対する勢力は増えた。
中伊勢鈴鹿郡の関氏に、伊賀には六角氏の一族である佐々木氏などもいる。
六角氏は畿内で三好長慶との戦いに忙しかったが、北伊勢を諦めたわけではない。
警戒が必要であった。
「水軍の強化も必要ですな」
船はあるのだが、人手が足りない。
これまでは九鬼衆から人手を借りていたのだが、九鬼嘉隆と話し合って九鬼家を分割する事になったのだ。
実は嘉隆は三男で、九鬼家の当主は兄の子澄隆であった。
嘉隆はまだ幼い甥を後見する立場なのだが、段々と嘉隆の方が力を増して澄隆は傀儡になりつつあった。
九鬼衆の中でも嘉隆派と澄隆派に割れてしまい、これを懸念した信長が裁定案を出した。
事情が事情なので織田家に残る嘉隆が独立し、澄隆は新地家の水軍を率いる家臣となる。
正当な当主である澄隆の方が陪臣になってしまうが、我慢して欲しいと。
子供の頃から苦労続きの澄隆はこの案を受け入れ、澄隆派の家臣も新地家に移籍した。
双方遺恨なしという決まりになり、両家は船員の訓練などで交流を続ける事になる。
嘉隆は独立できて気が楽になったようで、信長と光輝にお礼を述べていた。
もしこのままだと、最悪澄隆を排除しないといけないと思っていたからだ。
「奥方様、お腹のお子に障るので、船に乗るのはどうかと思いますけど……」
そして、当の澄隆は伊勢湾で船を使った訓練を指揮していた。
とはいえ、彼はまだ若輩の身だ。
一族の年配者達の補佐を受けている。
彼は早く一人前になろうと努力していたが、苦労人資質が祟って船に乗って訓練に参加している今日子の身を心配している。
なぜなら、彼女は二人目の子供を妊娠していたからだ。
嫡子誕生が期待されていたので、澄隆は何かあっては大変だと気が気でなかったのだ。
「大丈夫よ、もう安定期だから」
「いえ、もし何かあったらですね……」
「みんな、早く磁石と羅針盤の使い方を覚えてね」
「覚えますから!」
こうして、九鬼澄隆は新地水軍を率いる優秀な家臣として成長していく事となる。
永禄六年の秋、新地領は今年も豊作だった。
他も収穫は例年通りだったので、食料を得るために攻めてくる者はいなかったが……。
「それでも、北伊勢を得るために正式な戦を挑むわけだ」
「絶好の好機と思ったのでしょうな……」
収穫が終わると、鈴鹿郡を拠点とする関氏、河曲郡を拠点とする神戸氏などが周辺の国人衆を率いて攻めてきた。
その数は七千人ほど。
迎え撃つは、茂助達が苦労して揃えた警備隊五千人あまり。
数では不利であったが、種子島の装備数や、全員が常備兵で厳しい訓練を受けてきたので有利だと光輝は思う事にした。
そう思わないと、戦なんてやっていられないというわけだ。
「みっちゃん、私もようやく初陣だよ」
「それは、出来れば避けたかったんだけど……」
今回は、新地家の本陣に武装した今日子の姿があった。
収穫前に嫡男太郎を産んだので、もういいだろうと光輝に付いてきたのだ。
二人の傍にいる堀尾方泰が、何となく嫌そうな顔をしている。
この時代は縁起を担いで、戦の前には女性に触れない男性が多かったからだ。
だが主君の妻なので何も言えないし、実力で言えば光輝よりも遥かに強い。
新地家警備隊で一番強いと言われている茂助ですら、今日子には絶対に勝てないのだから。
「戦い方は同じだよね?」
「遠距離戦の方が犠牲は出ませんからな」
新地軍のみならず、この時代の戦はみんなそうだ。
死傷者の七割が、弓、鉄砲、投石が原因であったと資料に記載されているのを今日子は見ている。
よほど乱戦にならないと、槍や刀を使っての戦いなど起こらないのだ。
新地家では鉄砲の照準をつけて敵を撃てる兵士が大半だし、早号を使えば一分に四発は撃てる。
弾薬も豊富と、おかげで今まで戦った敵軍死傷者の半分以上が銃弾によるものであった。
「いくら私でも、槍を持って敵陣になんて突っ込まないから」
「お願いですから、絶対にしないでくださいね」
方泰が、半分涙目で懇願する。
今日子ならやりかねないと思っているのだ。
「さあ始まるぞ。全員、持ち場につけ」
光輝の命令で新地軍が綺麗に陣形を整えてからすぐ、敵軍が突撃を開始、両軍による戦いが始まった。
「向こうは数が少ないが精鋭だな」
「整然と陣形を整えておる」
新地領へと攻め込んだ関氏の当主盛信と、神戸氏の当主具盛は同じ陣地にいた。
北伊勢の取り合いなどで先代同士は揉めていたのを具盛が関係を改善したので、共に異心はないと周囲に宣伝するためであった。
「種子島の装備数も多いぞ」
「だが、それはもう限界であろう」
今回の戦いに際し、盛信は綿密に情報を集めていた。
「服部左京進、北伊勢四十八家と連戦して、さすがに新地家も玉薬が限界のはずだ。何しろ、玉薬は高いからの」
「なるほど。だが、本当にそうなのか?」
「新地家が新たに硝石を購入した情報はない。もう限界なのだ」
「という事は、あの種子島は脅しか?」
「であろう。奪えば、我らの勝利ぞ」
北伊勢も奪い、力を蓄えれば南伊勢の北畠家も領地も獲れるはずだ。
そうすれば、自分が北畠家を乗っ取って国主になるのも夢ではない。
盛信は心の中でそのような野心を燃やしていた。
勿論、具盛も同じように思っているが。
近い将来、伊勢の覇権を賭けて戦う必要があるはずだが、今は無駄な仲違いはせず新地軍に集中すべきであろう。
二人とも、意識を前面の新地軍に向ける。
だが、戦況は二人の予想を大きく超えてしまう。
それも、悪い方にだ。
「盛信殿、種子島の発射が一向に途切れる気配がないが……」
新地軍による種子島の連射で、まだ接近もできていないのに味方が大量に戦死した。
数百名が、銃で撃たれて地面に倒れている。
二人が知る鉄砲とはここまで命中率がいいものではなく、加えて犠牲の多さに背筋が少し寒くなった。
「もう少しの辛抱だ」
だが、そんな状況もあと少しで終わるであろうと、盛信が予想する。
新地軍の弾切れとともに。
「さすがに、もうそろそろ玉薬が切れるはずだ」
ところが、その後も一向に新地軍の銃撃が衰える気配がなく、ようやく近接戦闘に持ち込んではみたが向こうも槍や刀で応じてくる。
それで勝てればよかったのだが、報告は味方討ち死にの報ばかりであった。
「これは、どういうことなのだ?」
具盛が盛信に詰め寄ろうとした瞬間、横合いから爆音が響く。
荷車に積まれた大筒を防備した新地軍が、伊勢国人衆軍の横合いから散弾を発射したのだ。
この攻撃で、本陣は大混乱に陥った。
多くの兵達が、血まみれで倒れている。
「盛信殿!」
「今は一時撤退して、体勢を立て直すのだ!」
まがりなりにも、中伊勢で勢力を誇ってきた両者だ。
無能ではないので、一時撤退の命令を出して馬に乗った。
「亀山城付近で迎え撃とうぞ!」
「それがよかろう」
だが、両者は茂助と一豊からの追撃によって首を獲られる事になる。
これにより関氏と神戸氏の一族は崩壊し、他にも新地家に降ったり、滅ぼされる国人衆も増えた。
一か月ほどで、三重郡、鈴鹿郡、河曲郡、奄芸郡、安濃郡の五郡が新地家によって併合されるのであった。
「殿! また一度に五郡もなんて! もう少しこちらの苦労も考えてください!」
光輝は責任者である泰晴から、再び怒られる事となる。
それでも泰晴は、涙目になりながらも五郡を支配下に治める事に成功するのであった。
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