第14話 ゆるい茶会
「いやぁーーー、暑いですなぁ。一益殿」
「確かに今日は異常な暑さだな、藤吉郎」
とある夏の日、今日は清須の商家が貸してくれた庵で茶会を開こうと皆で集まったのだが、この日はとても暑かった。
そのせいか、光輝以下、今日子も、藤吉郎も、小一郎も、一益も、あまりの暑さに誰も茶会をおこなう気が起きない。
釜で湯を沸かすという行為に、みんな辟易したのだ。
「新地様、私はここに来る途中で、暑さのあまり倒れた老人を見ましたぞ」
小一郎が、行きに熱射病で倒れてしまった人がいたと教えてくれた。
この時代は小氷河期に入っているのだが、まったく猛暑の日がないというわけでもない。
光輝が持参した温度計を見ると、この日の気温は三十三度を指していた。
「新地殿、それは?」
温度計に興味を持った藤吉郎が、光輝に尋ねる。
「暑さを計る器具ですよ」
「そうなのですか。前に婚礼のお祝いでいただいた時計といい、南蛮には便利な物があるのですな」
藤吉郎は、温度計を興味深そうに見ている。
結婚のお祝いで時計を貰ったのだが、それに匹敵する凄い物だと思っているようだ。
「確か、殿にも献上していましたよね?」
「はい」
「殿は、昔から暑いのが苦手でしてな。以前はすぐに水遊びに出かけてしまったのですが、今のお立場ではそれもできないでしょう」
光輝と今日子は、一益から昔の信長の話を聞く事が多かった。
幼名吉法師は、織田家の嫡男とは思えない格好で領内を遊びまわり、馬の上で柿を手掴みでムシャムシャと食べたり、川で泳ぎ獲った魚を焼いて食べたり、家臣の子供や農民の子供と相撲に興じるなど、なかなかにワイルドな生活を送っていたそうだ。
「(元ヤンキーが、親から継いだ会社を成果主義にして大きくしているようなものなのか……能力は凄いからなぁ)」
正しいかどうかはわからないが、光輝は自分なりに信長についてこのように評価した。
もっとも信長自身は、その若さ故の無軌道な行動の因果は受けている。
品行方正な弟信勝こそが織田家の当主に相応しいと謀反を起こされ、一度は許したが結局信勝を討つ羽目になってしまった。
この弟信勝の謀反には、現在筆頭宿老である林秀貞と、三番手の宿老柴田勝家も信勝方として参加したそうだ。
今は信長の力量を認めて心服しているが、だからこそ勝家は、信長に忠実たろうとして暑苦しいのだと光輝は思う事にした。
だとしても、嫌な奴だとは思っているが。
秀貞についてはわからない。
偉い人なのに、いまいち印象が薄いからだ。
「今頃殿は、温度計と睨み合っているかもしれませぬな」
気軽に川遊びにも行けなくなった以上は、小姓から団扇で仰いでもらうしかないというわけだ。
「今日は趣向を変えましょう。正式な茶会ではないですけど」
指南役の今日子はお湯を沸かすのを止め、新地から持参したお菓子と飲み物を全員に出した。
お茶は冷やしたアイスティーで綺麗なグラス入り、お菓子は水羊羹、カステラ、プリン、くず餅などで、すべて冷たく冷やしてあった。
冷蔵機能つきのボックスを持参して、その中に入れてきたのだ。
なお、すべて今日子の手作りである。
彼女は喪女であったが多才で、料理とお菓子作りも得意であった。
「これをすべて今日子殿が作ったのですか。いやあ凄いですな。それに食べた事がないお菓子ばかりで美味しい」
「美味しいうえに、冷やしてあって、暑い日には最高ではないですか」
「体から暑さが取れるようです」
この日は茶会は中止になったが、秀吉も、小一郎も、一益も、冷たいお茶とお菓子を堪能して大満足であった。
そして、それから一週間後……。
「今日も、とんでもない暑さだな」
この日は、今までにない暑さであった。
温度計は三十五度を指し、酷暑というレベルになっている。
この日は何とか茶会を実行したが、全員暑いお茶を飲んだせいで汗まみれになってしまう。
「今日子、こういう暑い日には逆に熱いお茶を飲むと涼しくなるって聞いた事があるけど、あれは嘘だな」
「みっちゃん、それは限度があるんだよ」
「過去の人間め、嘘をつきやがって!」
そう文句を言いたくなるくらい、今日は異常に暑かった。
「暑いぞ! 俺はかき氷を作るんだ!」
あまりの暑さにキレた光輝は、持参した冷凍ボックスの中に入っている氷を取り出すと、同じく持参したかき氷器で削ってかき氷を作り始めた。
かき氷器は家庭用の物で、涼しさをイメージしたペンギンの形をしている。
昔にホームセンターで購入した代物だ。
「今日子は、何味にする?」
「私はイチゴがいいな」
「俺はマンゴーにするか……」
かき氷にかけるシロップは合成した物ではなく、今日子がカナガワの自動農園内で採取した果物から作った本物のシロップであった。
イチゴの他にも、メロン、レモン、マンゴー、パイナップルのシロップを準備してある。
「藤吉郎殿は、何味にします?」
「新地殿、本当によろしいのですか?」
藤吉郎が遠慮するのも無理はない。
この時代に冷凍庫など存在しないので、氷を食べたければ冬の内に氷室などに仕舞っておく必要があったからだ。
当然庶民に手が届くような品ではなく、よほどの権力者か大金持ちではないと夏に氷を食べるなど不可能であった。
「こちらが招待しているのですから、遠慮なくどうぞ」
「それはありがたい。氷なんて高級品、生まれて初めて食べますわ。しかし、変わった色の蜜ですな」
藤吉郎は、かき氷用のシロップを見てどれを選んでよいのやらという表情をする。
「全部、果物の味ですよ」
「では、このぱいなっぷるという果物の蜜にしてくだされ」
藤吉郎はパイナップル、小一郎はレモン、一益はメロンのシロップを選び、みんなでかき氷を食べ始める。
「甘くて、冷たくて、美味しいですな」
「暑い日には最高です」
「贅沢な気分にもなれますよ」
この日は暑かったが、かき氷のおかげで何とか乗り切る事ができた。
そして、また数週間後。
「前ほどではないが、暑いですな」
一益が温度計を見たら三十一度を指しているので、ゲンナリとした顔をしている。
「今日は、お茶請けを変えてみました」
今日子は、茶会で出すお菓子を自家製の『抹茶アイスクリーム』にした。
多目に作って冷凍ボックスに入れて持参している。
「初めて見るお菓子ですな」
小一郎は、ガラス製の皿に載った抹茶アイスクリームを興味深そうに見ている。
「今日子様、これも冷たいお菓子なのですか?」
「はい、とても美味しいですよ。他の茶会では出ないと思いますが、茶道の心得は一期一会、相手へのおもてなしこそが真髄ですからね」
完全に他人が言った発言のパクリであったが、今日子は気にしないで抹茶アイスクリームを出した。
「これは美味しいですな」
「確かに、これはいい物を食べさせてもらった」
「抹茶を使用した冷たいお菓子とは凄い」
抹茶アイスクリームの評判は上々で、藤吉郎達は喜んで食べている。
「これは、お替りをいただきたいですな」
「どうぞ」
今日子が抹茶アイスのお替りを藤吉郎に渡し、彼が再び食べ始めようとしたところで、不意に誰かからの視線を感じた。
気になって周囲を見回すと、庵の垣根の間から誰かがこちらを覗いている。
誰なのかと藤吉郎が視線を集中すると、それは自分の主君信長であった。
「殿?」
「美味そうな物を食べておるな」
信長は、不機嫌そうな表情で藤吉郎に声をかける。
「これは、茶会のお茶請けでして……」
信長に言い訳しつつも、藤吉郎は抹茶アイスを食べるのを止めなかった。
よほど気に入ったらしい。
「サル、まだ小身の身で教養を身につけようと努力する気概は褒めてやる。だが……」
「だが何でしょうか? 殿」
「こういう面白そうな席には我も誘え! 一益もだぞ!」
信長の無茶ぶりに、藤吉郎と一益は絶句した。
どこの世界に、『同僚から茶会に誘われたのですが、殿もいらっしゃいませんか?』などと主君に言う家臣がいるのかと。
主催している光輝が誘うのならともかく、誘われている藤吉郎と一益が勝手に誘ったら、光輝に対して失礼になってしまうのだから。
第一、可哀想でもある。
「冷たいお菓子に、あの酷暑の日には氷まで食べたらしいな! なぜ我も誘わぬ?」
「(主君を誘ったら、緊張するからです)」
とは言えないので光輝は黙っていたが、同時にこうも感じていた。
織田信長という人物は、意外と食い意地が張っているのだと。
「しかし、なぜ前回と前々回のお茶請けが殿に知られている?」
「一益が五郎左と話をしているのを聞いたぞ!」
一益は、五郎左こと丹羽長秀との世間話で茶会の事を話した。
長秀は羨ましいと言っていたが、それを信長が盗み聞きしていたようだ。
「(なぜ殿はこんなに怒っているのです?)」
「(そうだ! 殿は甘い物が好きだったのだ!)」
一益は、実は信長は下戸で、甘い物が大好きなのだという情報を光輝に教えてくれた。
ただし、若干情報が遅かったように思える。
信長が怒っているのでどうしようかと思ったその時に、今日子が助け船を出した。
「殿もご一緒にいかがですか?」
「そうだな、我はそれなり茶道を心得ておる。うぬらの作法を見てやろう」
今日子から茶会に誘われた信長が上機嫌になり、庵にあがってから光輝達の茶道の腕前をチェックし始める。
「今日子を除くと、うぬらもまだまだよな」
超未来の裏千家師範の免状取りは、信長の目から見ても十分に合格点のようだ。
今日子の作法を褒めた。
「殿、お茶請けです」
「抹茶を使った冷たいお菓子か。甘いだけでなく、抹茶の後味が口の中を爽やかにするな」
この日は信長が直接茶道を指導したせいで、光輝達は緊張のあまり抹茶の味すらわからなくなった。
逆に信長の方は上機嫌で、抹茶アイスを三回もお替りし、他にも今日子が作って持参していた日持ちのするお菓子をお土産に持ち帰った。
「いつもは無理だが、たまにミツの茶会に出てやる」
光輝が主催しているサークル的な茶会なのに、それに出てやると平気で言ってのける主君信長。
おかげで光輝達は、暫くは緊張でお茶の味がわからない時間を過ごすのであった。
「今日のお菓子は『しゃーべっと』と言うのですか。あいすくりーむとは違った口当たりで美味しいですな」
そして、一益のツテで丹羽長秀も茶会に参加するようになった。
さり気なく参加し、光輝達もおかしいと思わないところが、長秀のコミュニケーション能力の高さである。
「いやあ、今まで参加できなかったのを悔やむほどですよ。今日子殿、しゃーべっとのお替りをくだされ」
後日、信長の命令で茶会は許可制になったが、光輝、秀吉、一益、長秀は無事に茶会を開く許可をもらえたのであった。
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