「異文化交流」

 食事を終えた後なのに食べ物を食べたという感覚がなかった。確かにお腹は満たされたのだが、例えるなら水を大量に飲んでお腹がいっぱいになったようなあの何ともいえないお腹の異物感である。

(あんな顔をされたら食べないわけにもいかなかったしな、それに・・・)

 あの少女の食べっぷりを見ていると雫を思い出すのであった。雄二が初めて一目惚れをし、初めて心を完全に開くことのできた相手だった。結果として友達として一緒にいられた期間はかなり短いものになってしまったが、雄二にとってかけがえのない時間だった。家族と同様にもう会うことは叶わないと思うと心を引き裂かれるような感覚に陥るのであった。

 やはりまだその現実を受け入れられておらず、心の中でまたあの生活に戻りたいと願っていたのであった。確かに天使という職業にロマンを感じるのだが、今のところ愛する人との別れの悲しみを紛らわせられるほどではなかった。


 その次の日からもレナのレッスンは毎日のように続いた。一週間が経過し、雄二は天界語の文法を大分理解し始めていた。そこまで難しい文法ではないという事もあるが、雄二の体が天界の環境に馴染んでいくことによって記憶力が飛躍的に上昇していたからである。

「前の自分では考えられないですよ、こんなことは」

 雄二は驚きを隠せないでいた。現在、彼はレナの家で毎日の日課であるレッスンを受けている最中である。

「これが天界パワーってやつよ。まだまだこれは序の口だからね」

 レナはそう言って笑顔を向けた。

 今のところ雄二の体の変化は脳が覚醒し始めたというだけである。この後には身体能力の向上、天界術式が使用可能等の変化を何段階も残しているため、これだけで驚いてはいられないのである。

「そんなんじゃ天界術式を使えるようになった時にはもう卒倒しちゃうよ」

「だって、こんな事地上に住んでた時にはありえなかったですもん」

 雄二が地上にいた時は勉強をする際は要点をノートにまとめ、それを口に出しながら何回も書きだすことによってようやくそれを覚えることが出来ていたのだが、今は単語や要点を一回見ただけで覚えることができるのだ。

「凄いです。これならあっという間に全ての勉強を終えることが出来るんじゃないですか」

 そう雄二が喜んでいるとレナはやや険しい表情をした。

「それがそうでもないのよね。記憶力が高くなっても覚えることは半端なく多いのよ。まず数千にも上る世界の言語を全て覚えなきゃならないし、言語が終わったら情勢や歴史について、それに加えて術式をマスターしなくちゃならないしね」

「う、うえぇ・・・」

「君の頑張り次第で直ぐに終わらせることもできるけどね」

 雄二が元居た世界でも勉強しなければならないことは結構多かった。しかし、言語は世界共通語である英語のみを覚えればよかったし歴史も彼がいた世界のことを勉強するだけで良かったのである。それに対しここでは数えるのも嫌になるような数の世界に関して全て勉強しなければならないのだ。

 とはいっても体が天界に馴染んでいけば今ある完全記憶力に加えて人知を超えた速読力も手に入るため、天使になるために必要な勉強を終えるまでは多く見積もっても3~4年ほどしかかからない。

「ま、君が地上でするはずだった勉強を今やってると思えばどっていう事ないでしょ」

「それもそうですが、量が全然違いますよ・・・」

「天界ブーストがあるから体感で感じる量は地上でやる勉強量とそんなに変わらないよ」

「そんなもんですかね」

 小さなため息をついた雄二は目の前の天界語の教科書を再度読み始めた。もはやその内容を見なくても詠唱できるくらいになっている。とはいってもまだまだ完全にマスターしたわけではないため、まだ天界語で自由に会話ができるレベルまでには至ってはいない。今は発音がぎこちなく、軽い日常会話ができるくらいである。

 それでもカルマと会話するうえで結構役に立っており、最初期の全く会話ができない状態よりも意思疎通が簡単になった。

「そういえばこの前私見ちゃったんだけどさ、なんか最近可愛い女の子と仲良くなってるみたいじゃないの」

 レナはそう言って無邪気に笑う。それに対し雄二は冷静に応対した。

「いや、ここではどんなに仲良くなっても男女の関係になることはないでしょ」

「まぁそうなんだけどね。二人が望めば地上でまた普通の人間として暮らす事だって可能なんだよ」

「え、どういう事ですか?」

 雄二は驚いた表情をする。そんな選択肢はもう存在しないと思っていたからである。

「人間がここで過ごしていくと魂が無くなるって話は以前にしたよね。でもある特殊な術式を使えばもう一度魂を復元することが可能になるんだ。そうすると生殖機能の復活して体が時間とともに劣化するようになるんだよ」

「そうするともう天使になることは不可能になるんですか?」

「うーん、そういう事は天界のルールで禁止されてるんだよね。ルールを破る勇気があるなら可能っちゃ可能だけど」

「破るとどうなるんですかね・・・」

「別にどうともならないよ。高確率で後々後悔することになるというだけ」

「なんか逆に怖いですねそれ」

「まぁ地上からここに来る子達は大抵一度はルールに背いた行動をしてしまうんだけどね」

「え、そうなんですか。その人たちってその後どうなりました・・・?」

 雄二は恐る恐る聞いた。

「そうだねぇ・・・これはちょっと今のゆうじくんには刺激が強いからなぁ、多分後で知ることになるだろうから今は話さないでおくよ」

「そうですか・・・」

 雄二は何かもの凄く不穏な感じがしたため、それ以上その話題に踏み込もうとはしなかった。

「それと天界の存在を地上の人に知られるようなことは無いようにしてね。その場合は記憶処理を行わなきゃならなくなるから」

「気を付けないとですね」

「もうゆうじくんも分かっていると思うけど・・・そういう関係で君の家族や友達にはもう会えないんだよね・・・」

「そこら辺は僕も分かってます・・・」

 死んだ後にもう一度愛する人たちに会うことができるという上手い話なんてあるわけがないという事に関して雄二は既に理解していた。

 その後今日の授業を終えた雄二はレナの家を後にし、いつもの待ち合わせ場所へ向かった。

 玉ねぎのような形をした屋根が特徴的な建物の前に着くと、目的の人物を探した。すると、その目的の人物である光り輝くような金髪で遠くから見てもかなり目立つ帽子をかぶっている少女を発見した。そう、カルマである。

「おーい、カルマー」

 雄二は彼女に気が付くと聞こえるのに十分な声で呼んだ。そして彼女がそれに気が付いて振り向くとそれに向かって手を振った。カルマはそれに答えるように手を振り返す。

「ゆうじ、今日はバドミントムを教えて」

「違う、バドミントン、いいよ。それじゃあ広場行こ」

 お互い天界語で会話をするがまだ片言である。今回カルマがバドミントンをやりたいと言ったのは、昨日雄二と元の世界の文化の話になった際に雄二がそのスポーツを話題に上げたからである。

 雄二はスポーツが好きというわけではないが、文化という言葉で一番最初に思い出したのがバドミントンだったのである。 それが最初に思い浮かんだ理由という物は、小学生の時によく父親と公園でやっていたからである。凄く楽しかったというわけではないが、父親との思い出の一つとして印象に残っていた。

二人は近くにある雑貨屋へ入っていった。バドミントンセットが売ってないかを見るためである。正直雄二はあまり期待はしていなかったが念のため探してみることになった。

 中は学校の教室5つ分ほどの広さで雄二の世界には無いような珍しい雑貨も売られている。スポーツ用品も売られているのかは分からなかったがとりあえず店内を回ってみることにした。

 ラケットやシャトルの形は雄二しか知らないため彼は周囲深く周りを見回していた。一方カルマの方は興味深そうに雑貨を物色し、面白いものがあるとそれをもって嬉しそうに雄二へ見せていた。

「ゆうじー、これー」

「んー?ナニコレ、部族のお面?」

「にしし」

 お面を顔に当てながらカルマは変な笑いの真似をした。二人でしばらく笑いあった後探索を再開した。

 それから30秒ほど経って。

「ゆうじー、これこれー」

「んー?これは何だ?」

「わかんない」

 それは長方形で側面に翼の生えた犬のような絵が描かれた物体だった。それが何なのかは双方分からずじまいだった。

 そしてすぐその後も

「ゆうじー、これもー」

「これは?本?」

 本の形をしたそれを開くと四足歩行の動物と思われるものの映像が空中に浮かび上がり、どこから発せられているのかは分からないが犬の遠吠えのような鳴き声が聞こえてきた。

「これは凄いな・・・」

 しばらく楽しんだ後探索を再開した。

 しかし、ものの数分もしないうちにまたカルマは何かを見つけてきた。

「ゆうじ、みてー」

「どれどれー」

(これじゃあ全然見つけられないよ)

 そんなことを雄二は考えていたがそんなに悪い気はしていなかった。カルマとこのように店の中でいろんなものを見て回るのはとても楽しいと感じていたからである。

 こんな感じにスローペースで探していると、スポーツ用品と見られるものが一か所にかたまっているエリアを見つけた。

すると奇跡的に目的のものが置いてあった。

「こ、これだ・・・まさか、置いてあるとは・・・」

「へぇー、こんな感じなんだ」

 二人は早速それを購入した。ちなみに天使を目指す人たちには仕事が出来るようになるまで一定の金額のお小遣いが週一程度の頻度で支給される。お金の単位はマルクで、価値は1マルクで100円と言ったところだろうか。今回の購入したものは4マルクであった。結構な安物ではあるが軽く遊ぶ分には問題ない。

 二人は芝生の生い茂る広場へ向かった。天界にはいくつかこういう何もない広場が存在し、住民たちはそこで昼寝や本を読んだり、雄二たちのように体を動かしたりしている。

 こういう自由に遊ぶことのできる広場は存在するが、地上世界にあるようなカラオケやゲーセンなどの娯楽施設は存在しない。そういう施設で遊びたい場合は地上に行けば良いからである。

 ちなみに地上から天界に来た人間の場合は、元居た世界へ行くことは禁止されている。

 広場に着くと雄二は早速バドミントンのやり方を説明し始めた。

「羽をこうやって持って、これで打つんだ」

 そう言ってシャトルをカルマの目の前まで飛ばした。

「やってみて」

 カルマはさっき教えられたようにラケットを使ってシャトルを雄二の方へ飛ばした。筋が良いらしく綺麗な弧を描いて雄二の目の前にポトリと落ちた。いきなり打ち返してしまうと驚かせてしまうと思ったため、あえて打ち返さずに様子を見た。

「それじゃあ、次は僕が打ったのを、打ち返して」

「分かった」

 雄二はもう一度カルマの方へシャトルを飛ばした。すると彼女はラケットを使って器用にそれを彼の方へ打ち返した。しかも彼の位置へ正確に飛ばしていた。

 それを雄二はそれに驚きながらもカルマの方へ打ち返す。

(う、うめぇ・・・本当に初心者か・・・)

 カルマの動きはどう見ても初心者とは思えなかった。

「こんな感じで良いの?」

 カルマはシャトルを打ち合いながらそう聞いた。

「うん、こんな感じ、上手いよ」

「そう?」

 最初の方はカルマがミスする回数は割と多かったものの、回数を重ねていくうちにかなり上達していった。そしてある一定の回数を超えた時にミスする回数は雄二の方が多くなっていった。

「これ結構楽しいかも」

 カルマは新しくおもちゃを手に入れた子供のように笑ってそう言った。一方雄二はというと笑ってはいたがかなり悔しさを感じていた。

(僕の方がやってる時間は圧倒的に多いはずなのに・・・なぜここまで差が付いた・・・)

 カルマの運動神経はかなり高く。あっという間に雄二の実力を超えてしまったのだ。少し情けなさを感じたが、カルマのとても楽しそうに笑う姿を見ていると、まぁいっかという気持ちになった。

 その後もバドミントンをしばらく続けた。続ける言ってもネットなどの用意は無いため、キャッチボールの要領で打ち合うだけである。

 お互い汗を流し、夢中になって遊んでいた。

(こんないい汗をかいたのは久しぶりかもな)

 地上では学校に行く時以外は家に引きこもることが多かったため、このように誰か一緒に体を動かすのは父親と公園に行ったとき以来である。

 そんな二人の様子を遠目から見つめている黒目が雄二よりも二回りほど大きな少年がいた。芝生で寝ころびながら空をみていた彼は、二人の様子が何となく気になったのである。話しかけようか迷ったが、楽しそうに遊ぶ二人の邪魔をするのは気が引けたため、今回は断念した。

 会う機会はいくらでもあるだろうし、その時にでも話しかけてみようと考えた彼は、二人の様子をしばらくボーっと見つめていた。

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