第90話プレルス領③

 改めてこの谷底の周囲を見渡してみる。


 巨大な竜がいるにも関わらず、さほど気にならないくらい広大な空間だ。

 ここが水流の終着点なのか大きな湖があり、周りには青白く発光する水晶や鈍く光る鉱石が、当たり前だが手付かずの状態で密集している。

 静かに耳を澄ますと、リィン……リィン……と水晶から様々な音色が鳴っているのに気付く。まるで谷自体が音楽を奏でているようだ。

 静寂を打ち破るように、約二十分間隔の竜の咆哮が発動すると大量の水が吹き上がっていき、水面と水晶に光が乱反射し、洞内を多彩な色が投影している。

 なんて幻想的なんだろう。


 冒険者として見逃せないのは、今まで見た事が無い、鈍く光る青色鉱石だ。

 試しにガルヴォルンソードで斬ってみるが、傷一つ付いていない。

 これはかなりの硬度なんじゃあないか?

 ちょっと持ち帰り、後でブレイダンさんに聞いてみよう。

 もしも新発見ならあの人喜ぶぞ。


 ベルフェゴールが起こした爆発によって、ここまで崩れ落ちてきた瓦礫の殆どは、湖に沈んだみたいだが、地面にはまだ幾つかの武具類が落ちている。

 全て持ち帰ろう。掘り出し物があるかもしれないし、この場所の清掃にもなるしな。


 ふと湖に目をやると、水中に光が見える。なんだあれは?

 魔力で引き揚げると、それは一振りの剣だった。

 鞘や柄の装飾はシンプルな造りだが、妖しく光る剣身からは異様な雰囲気が漂う。


【解析】

 ——聖剣ラガトシュ——

 素材:不明

 威力:不明

 効果:不明


 聖剣ラガトシュ…………

 俺の知らない素材だと解析できないのは分かっているが、威力、効果も不明ときたか。

 これも引き続きブレイダンさんに鑑定してもらうしかないか。

 試しにこの剣を持って先程の青色鉱石に向かって試し斬りしてみるが、甲高い金属音が鳴っただけでどちらも無傷だった。

 ふむう…………やはり、よく分からないな。

 しかも、どういう理屈なのか【収納】出来ないので、このまま持っていくしかない。

【収納】も万能では無いのか。


 そうこうしているうちにアルが起きたみたいだ。裸のまま連れて行けないので、とりあえず服を着せよう。

 頭がすっぽり隠れる大きいフードの付いた白いコートを羽織らせる。

 インナーは、動きやすい方がいいと言うので胸だけを覆うタイトなトップスとミニスカを適当に作り出した。

 今のところは俺好みの服を着せておくが、社会勉強も兼ねて、後々ファッションを本人に選ばせよう。

 産まれて初めてだという人間の服装を身に纏い、不慣れさと嬉しさが交互に顔に出ている。見た事の無い表情が可愛い。

 服装はこれでいいが、もう一つ問題がある。


「アル、その強大な波動が漏れると人間達が恐れる可能性がある。抑えれるか?」


「もっちろーん。竜言語魔法は万能だよー。

 でも、まだ身体が馴染んでなくてねー。

 力を抑えるのは大丈夫だけど、逆に大きな力を出そうとすれば身体が耐えきれなくて壊れちゃうかもー」


「そうか、慣れるまであまり無理をするな。

 出来たら今後パーティに加えたいからな」


「はぁーい。って、アハハハハー。

 君、本当に竜を手懐けちゃったね。

 それでさー、そのパーティって何ー?」


「そうか、人間界の情報には乏しいんだな。俺は冒険者をしている。分かりやすく言えば、一緒に冒険する仲間をパーティと呼ぶんだ」


「仲間、パーティ。新鮮だなぁー。

 いいねっ!私も君とボーケンしたいな!」


 「…………」


 ま、まぁ、これなら大丈夫そうかな。そろそろ、【転移】で戻ろう。疲れた。



 ————————



 ——ブローノ大渓谷・入り口


 まるで地獄の蓋が開いたかのような地鳴りと暴音が谷底から響き渡り、管理所は直ちに警鐘を鳴らした。

 谷口に駆けつけた管理職員数名は、突如として現れた約六十名の倒れている人達に気付く。

 同時に、数十名の冒険者達が谷から次々に飛び上がって脱出し、広がる落下傘が空を埋め尽くす。

 町からは、領民達が何事かとその様子を見に押し寄せてくる。


 まずいタイミングだったかもしれない……


 こんな群衆の前に、のこのこ顔を出そうものなら、なんて名前だったかは忘れてしまったが、あの野蛮な女団長セリーナに見つかってしまうのでは?とテツオは懸念する。

 いくら顔が可愛くても、性格が凶暴だと恐怖でしかない。お互いの為にも会わない方がいいだろう。

 それに、ジョンテ領主が、他領地の危険地帯を攻略したなんて情報が広まるのも抑えたい。

 雪崩式に余計な依頼が増え兼ねないし、在住のクランから要らぬ反感も買うかもしれない。問題は少ない方がいい。

 あまり仕事が多いと精神ストレスが増すだけだ。

 テツオは金、地位、名声、名誉、領地など歯牙にも掛けない。彼が求める報酬は、美女との交流のみ。

 悪魔退治も危険地帯攻略も、美女のご褒美が直結しているからこそ尽力するのだ。

 なので、今回の一件は、公女アデリッサの従者という名目でニーナの手柄としておきたい。


 さてさて、あの二人は何処にいるのやら?

【転移】は成功していると思うが————。


 群衆の中心に、救助された人達を囲んで円が出来ている。

 全員全身泥塗れで顔は黒く汚れ、酷く痩せ細り、鼻をつんざく悪臭から、誰も近寄ろうとしない。

 ところが、一人の冒険者が声を上げる。


「なぁ、こいつ【大渓谷ビッグバレー守護者ガード】のファットブルに似てないか?」


「そうか?あいつはもっと太ってたぜ?」


 また、ある監視員や街の商人からも。


「あ、…………ああっ!なんて事だ!

 この方はっ!行方不明になっていた神官ではっ!」


「むむっ!こっちの彼は道具屋の倅じゃないか!」


 突然の不可解な状況にどよめきが起こり始め、それが、行方不明だった人達なのだと確信変わった瞬間。


 谷中が沸いた。


 ある者は大声で歓喜する。

 ある者は咽び泣く。

 ある者はその場で気絶した。

 とてつもない奇跡に直面した時の、人間の行動は千差万別だ。

 それでも、冒険者達の動きは迅速だった。

 救うべき人達の前では、【深淵アビス監視者ウォーデン】と【大渓谷ビッグバレー守護者ガード】間に見られるクラン同士の確執などは微塵も出ず、むしろ手と手を取り合い、協力して応急処置を施していく。


「大量のお湯がいる!」「火だ!火を起こせ!」「水を用意しろ!」「布と食糧もいるぞ!」「とりあえずここに寝かせよう」


 救助者達には辛うじて体力があり、死の危険性はなさそうだが、誰もが酷く衰弱していた。魔力欠乏の症状も見られ、身体が脆くなっている。

 むやみに動かすのは良くないだろう。

 速やかに清潔にし、水分と栄養を補給し、休ませねばならない。

 商人が無償で物資を補給し、クランが救護、運搬などを一手に引き受ける。

 プレルス領民が一体となって動き、一人一人が谷に設置された簡易ベットに寝かされいく。

 見事としか言えない団結力がそこにあった。


 それをただ黙って見ていたニーナの心に、例えようのない、いくつもの感情が駆け巡る。

 彼女には、それらをまだうまく理解出来ない。

 初めて人を助けたという経験は、深く身体に刻み込まれ、救われた生命という結果は、記憶からは二度と消えないだろう。

 一体、ご主人様は私に何をさせたいのだろうか?

 私の戦闘能力と裸体だけが目当てではないのか?

 考えれば考えるほど混乱し、深みに嵌まっていく。

 ついには激しい頭痛に襲われ、意識が遠のいていった————。


 救助者の処置がある程度落ち着いてくると、領民達の間で、一体誰がこれだけの人数を助けたのか?という疑問が囁かれ始めた。

 互いに情報交換をするも、領内のクランでもプレルス城兵でも無く、肝心の監視員ですら分からないときている。

 乱れた世では、誰しもが救世主を求めるもの。人々は正体不明の英雄の出現に期待した————。


 そこへ一陣の風が通り過ぎる。


「どうした?大丈夫か!」


 いきなり姿を現したテツオは、倒れるニーナを両手で優しく受け止めた。

 何が原因かは分からないが、どうやら気絶したみたいだな。

 放心状態で地面にへたり込んでいたアデリッサは、その声に一瞬で気付くと精一杯の大声で名前を呼んだ。


「テツオ様!ご無事だったのですね!」


 そして、一直線に抱きついてきた。

 あの恥ずかしがり屋で引っ込み思案のアデリッサにしては、随分と大胆な行動だ。

 名前は言って欲しくなかったが、珍しいものが見れたから不問としよう。

 その代わり、後でたっぷりとご奉仕してもらおうか。


「二人も無事だったんだな」


「はい!テツオ様が救い出した方々も無事です!」


 おいおい、口が軽やか過ぎない?

 あーあ、ここにいるみんなの目線が俺達に釘付けになっちゃったじゃないか。

 案の定ざわざわと喧騒が起こりだす。


「おい、あの女性ってサルサーレ公の御息女じゃないか?」


「え?そうなの?俺初めて見たよ!」


「あと、今、テツオ様って言ってたよな」


「テツオって最近話題の冒険者じゃないか?」


「お前、何言ってんだよ!テツオ様といや、既に侯爵位になられて、いまやジョンテ領の領主様なんだぞ!

 様を付けないと殺されるぞ!」


「ええっ?こいつが、いやこの方が、あの魔王を倒してサルサーレを救ったと噂されるテツオ侯爵マーキスだってのか?」


 なんてこった。なんで一瞬でそこまで身バレするんだ?

 ギルドや新聞の効果もさる事ながら、この情報形態の乏しい世の中では、人同士の伝達が俺の想像以上に早いようだ。


「おおーっ!」


侯爵マーキス侯爵マーキス!」


 谷に侯爵マーキスコールが巻き起こる。


「お前やっぱり、あのテツオだったのか」


 聞いた事のある圧を含んだ声がする。

 背筋に悪寒が走った。


「貴様らどけっ!【深淵アビス監視者ウォーデン】だ!」


「うわっ、狂犬セリーナのお出ましだ」


 野次馬を押し除けて、以前一悶着あったクランの金等級ゴールド団員達がぞろぞろと現れた。

 やっぱりあの女団長の声だったか。

 セリーナは俺の前にやってきて指を突き付ける。


「ふざけやがって…………

 俺達の谷を断りもなく、勝手に攻略しやがって」


「なんて言い草だ。お前達なら攻略出来たってのか?」


「カマかけたんだよ。信じられないが、本当みたいだな。

 くそっ、悔しいがこれが噂のテツオ……侯爵マーキスの実力なのか」


 セリーナが本当に悔しそうにしているので、優越感を少しだけ抑え、貴族として寛容に会話してやろうか。


「お前らでもいい線いけそうな気がするが、今まで攻略しようとはしなかったのか?

 いつも潜ってるんだろ?」


「しようとしていたさ。だが、正体不明の魔物を不用意に刺激して取り返しのつかない事になったらどうする?

 俺達の仕事はあくまで監視者ウォーデン。谷底に踏み込み過ぎてはいけない決まりなんだよっ」


 なるほど。

 前にも聞いたが、谷底まで行かずとも、ある程度の深度まで潜れば、貴重な鉱物や強力な魔物からのドロップ品などで、充分に稼げるものらしい。

 そうであればわざわざ団員の命を危険に晒してまで、谷底に向かう必要は無いだろう。

 こいつもこいつなりに、ちゃんと団長をしてるってわけか。


「あ…………あぁ…………あぁ…………」


 ふいに地面に寝かされている救助者から呻き声が聞こえてくる。

 何か伝えようとしているようだが?


「あ、あいつだ…………あいつが、俺達を攫って…………谷に…………」


 その男はか細い声でそう言うと、痩せ痩けた手を震わせながら、こちらを指差した。

 まさか、実行犯がここにいるのか?

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