前世薬師の悪役令嬢は、周りから愛されるようです ~調薬スキルで領地を豊かにしようと思います~

桜井悠

1話 悪役令嬢に転生してしまったようです


「……嘘でしょう?」 


 彼と出会った瞬間、私は呆然と呟いていた。


「あなたは……」


 唇から零れ落ちた声は、幼く高い少女のものだ。


 ……幼い少女?

 そんなのあり得ないはずだ。

 私はもうアラサー。とっくに成人していて―――――


「痛っ……!!」


 頭を押さえふらつく。

 痛い。痛い。どうして?

 痛くて頭が割れそうでたまらなくて、私は誰で、私は、私は、私は私は私は――――


「……そ……ういう……ことなのね」


 ――――私は記憶を、前世の人生を思い出したのだった。



☆☆☆☆☆☆



 私の前世の名前は水野あき。

 ごく普通の日本人女性だった。


 大学を出て、薬剤師として働いていて。

 休日にはたまった家事をした後、ごろ寝してゲームを遊んだりしていた。


 そこそこ忙しくて、それなりに幸せ。

 そんな私の日常は、健康診断に引っ掛かり一変することになった。


 精密検査の結果、ステージ4の肺癌だと判明。

 ステージ4とは、全身に腫瘍が転移し広がった状態だ。

 手術は既に不可能で、抗がん剤による化学療法にすがるしかなかった。


 ……それからの日々は、二度と経験したくない辛いものだ。

 腫瘍に蝕まれていく体と、繰り返される投薬による副作用。

 苦痛と恐怖から逃れようと、私は必死に医学書を調べた。


 何か、何か。

 まだ広く知られていない新しい薬を使えば。

 助かるのでは無いかと信じて、私は貪欲に知識を収集した。


 調べて調べて調べて―――――でも結局、そんな都合のいい薬は見つからなくて。


 肺癌だと発覚して三年。

 私は指一本動かせない、危篤状態になっていた。


 死にたくたない、生きたい、まだ生きていたい。

 痛いのは嫌だ。苦しい。どうか楽にしてくれ。

 そんな本能の叫びと同時に、一つの後悔が浮かび上がってきたのを覚えている。


 ――――――死ぬ前にあの乙女ゲーをクリアしたかった、と。 



☆☆☆☆☆☆



「瀕死の状態で思い浮かんだのが、やり残した乙女ゲームのことって……」


 前世の私残念すぎる!!


 セルフつっこみを入れた私がいるのは、自室の寝台の上だ。

 前世を思い出した衝撃に襲われつつも、どうにか寝室に戻って一人になり、ようやく落ち着いてきたところだった。


「死ぬ間際、意識が混濁していたとはいえなぜ乙女ゲーを思い出したんだろう……?」


 タイトルは「君との恋に囚われて」。

 通称「きみとら」という、ヨーロッパ風のファンタジーな国が舞台の乙女ゲーだ。


「きみとら」には大好きな声優さんが出演していて、イラストもとても豪華だった。

 魅力的なキャラに、ボリュームのあるシナリオ。

 萌え萌えしながら進めていたところで、肺癌が発覚して放置してしまったのだ。

 

 心残りではあったけど、まさか前世最期の記憶が、乙女ゲーへの未練になるなんて……。


「前世の私の人生とはいったい……?」


 思わず遠い目になってしまう。

 他に何か、家族とか友達のこととか、走馬灯っぽいものが無かったかと記憶を探ってみる。


 ――――こちらの世界へ来てくれ。


 知らない、なのに何故か聞き覚えのある声を、今わの際に聞いた気がする。


「……もしかして、神様……?」


 正気を疑われそうな発言だけど、私はしごく真面目だった。

 死ぬ間際に神様とか、なんかそんな感じのすごい存在の介入があったなら、今のこの状況も納得だ。


「だってここ、『きみとら』の舞台の世界よね?」


 呟く私の肩からさらりと、薄紫の髪がこぼれ落ちる。

 地球の人間の、地毛では有り得ない髪の色だ。


 ため息をつき寝台から降り、姿見の前に立つ。

 映っているのは、まだ幼い少女だ

 吊り目がちだが顔立ちは整っていて、数年もすれば美女になるのが期待できそうだった。


「……と言うか、間違いなく美女になるよね。今の私は、イリス・エセルバートなんだもん」


 イリス・エセルバートという名前。

 そして薄紫の髪に吊り目がちの瞳の持ち主とくれば、「きみとら」の登場人物のイリスに違いなかった。


「なぜ、どうしてよりによってイリスなのよ……」


 がっくりとうなだれてしまう。

 公爵令嬢であるイリスの役どころは、主人公の恋路を邪魔する悪役だった。

 前世で見たいくつかのゲームルートで、いずれもイリスは死亡していたはずだ。


「せっかく生まれ変わったのに、また死にたくなんてないよ……」


 闘病中に感じた、死への恐怖が蘇る。

 底なし穴のふちに立たされたような、芯からの震えが這い上がってきた。


 ……人間である以上、死が避けられないものなのだとしても。

 せめてアラサーで命を落とした前世より、今度こそ長生きしたかった。


「どうしよう……」


 前世で見たイリス――私の死は、ゲーム攻略対象のイケメンと関わった結果だ。

 彼らと接触しないのが一番だが、私の立場ではそれも難しそうだ。


「―――――イリス、体はもう大丈夫かな?」

「は、はいっ!!」


 部屋の外から聞こえたお父様の声に、反射的に返事をしてしまった。

 こちらの世界で生を受けてから八年。

 お父様の言葉にはすぐ答えるよう、体に染みついていたのだ。


 部屋に入ってきたお父様—―エセルバート公爵ディグレーは少年を一人連れている。

 その少年こそが、おそらく。

 私が前世の記憶を取り戻した原因だ。


「リオン……」


 黒い髪にアッシュブルーの瞳のリオンは、ゲームの攻略対象だ。

 先ほど彼と出会い名乗りを聞いたことで、前世の記憶が蘇ったようだった。


 リオンは攻略対象だけあり、顔立ちは幼いながらも整っている。

 年齢は、私の1歳上だから9歳になるはず。

 あと数年もしたら、誰もが振り返るイケメンに育つに違いない。

 

「ん? どうしたんだいイリス? リオンが気に障るのかな?」

 

 お父様がリオンの背中を小突いた。

 よろけたリオンの瞳は暗く、顔には無表情が張り付いている。


「イリス、おまえは先ほど、リオンと会ってすぐ、顔を青くして逃げ出してしまったが……。リオンのせいで、気分が悪くなってしまったのかい? それなら私がリオンに、キツイ罰を与えて――――」

「やめてくださいっ!!」


 慌ててお父様の言葉を否定する。

 お父様に反論するという、今までの私ではありえない行動に、お父様の眉が跳ね上がる。


「イリス、どうしたんだ? まだ具合が悪いのかい?」

「……体は、もう大丈夫です。昨日、夜遅くまで眠れなくて、立ち眩みをおこしたんです。リオンは何も関係ありません」


 それらしい言い訳を並べ、リオンは無関係だと主張する。


 私はかなり必死だ。

 うっかりここで、体調不良はリオンのせいでした、なんて認めたら。

 お父様はリオンを罵り処罰するに違いない。


 リオンを理不尽な罵倒に晒してはいけない。

 私なりの正義感もあるけど、それだけでは無い切実な理由があった。


 リオンは「きみとら」の攻略対象だ。

 容姿はとても整っているし、それ以外も色々とハイスペックなのだが……一つ問題があった。


 「きみとら」にはこの手の乙女ゲーの例にもれず、作品テーマが設定されている。

 ……テーマを一言で表すと、ヤンデレ。

 深く歪な愛を、攻略対象が向けてくるのだ。


 私はリオンのルートは未攻略だったけど、ゲームのキャラクター紹介ページに、


『にこやかな笑顔で公爵令嬢イリスのわがままに従う青年』


 と書かれていたのを覚えている。


 リオンの主であるイリス……ゲームの中での私の言動は、それはもう酷いものだった。

 ざっと思い出せるセリフだけでも――――


『私の前に立つってことは、足蹴にされたいってことね?』

『私は公爵令嬢よ。あなた達が何を喚こうが無駄ですわ』

『いいざまねぇ? 平民らしい、惨めで素敵なお顔よ』


 ――――酷すぎる。

 

 公爵家の権力を振りかざし、これでもかと悪行を重ねまくる。

 従者のリオンへの扱いも酷いもので、人間扱いせず無茶ぶりばかりだ。

 そんなイリスに対しても、リオンは苦言を呈するでもなく笑顔で従っていた。

 ……否、従うフリをしていたのだ。


 リオンは笑顔のままイリスへの復讐心を募らせ、ついには各ルートのエンディングにおいて、その恨みを晴らすことになる。


 私、イリスが破滅し命を落とすことになる原因。

 その一端を担っているのが、目の前にいるリオンなのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る