もう限界ですぅー⋯⋯って女神様から退職代行の依頼がきたんだが?
大宮 葉月
女神より入電あり
「お願いしますぅぅぅ。もう限界なんですぅぅぅぅ⋯⋯」
受話器の送話口から疲れ切った可愛らしい声がこだまする。
最新式の電話機であればスピーカー機能くらいついてるだろうが、狭いオフィスに一台だけあるアウトレットでお安く購入した型落ち品にそんな機能はついていない。
にも関わらず、まるで送話口が生き物の口のように動き、あまつさえ音声をハウリングさせている不思議な現象を目の当たりにした。
「えーと、退職代行の依頼でよろしいでしょうか?」
「もちろんですぅぅぅ!! とにかくこの劣悪すぎる担当世界から一刻も早く逃げたいのですぅぅぅ!!」
担当⋯⋯世界? 何それ? 受話器を握りしめた退職代行会社『ザ・グレートエスケープ』の、若き一人社長兼社員の
普通、勤め先だとか勤めてる会社、職場という表現を使うはずだ。
——世界って何? というのが正直な感想だった。
電話の向こうの依頼主はそもそも一般常識が無いのかピーチク、パーチクつらつらと不満を立て続けに述べ始める。
「信じられますぅぅぅ? 学校を卒業して、やっと女神の資格を取って、これからバリバリ転生させちゃうゾ! と張り切ってたのにまさかの転生希望者数前年割れ。ソウルショックという未曾有の神界大不況で血反吐吐くような神活戦争を勝ち抜いた末に採用された『世界管理機構』から出向で向かった先が、まさかの転生者バトルロワイヤル世界ですよ!? これ以上、貴重な異世界の転生者の魂減らしてどないせーっちゅうねん!!」
「は、はぁ⋯⋯」
丸沢は突っ込んだら負けだと自らの心に釘を差す。
退職代行会社としては駆け出しにも程がある丸沢の会社には、この手のイタズラ電話もぶっちゃけ多い。丸沢当人は弁護士資格も持っている法律のプロではあるが、生来の人の良さも相まって荒唐無稽な話にも辛抱強く聞かないと失礼であるという考えの持ち主でもあった。
けれども、ここまでぶっ飛んだ妄想を聞かされるのも初めてであり、どうせ今日も閑古鳥が鳴いてるしこのまま話を合わせることにした。
「あのー、ところで依頼者様のお名前は?」
「これは失礼いたしました。わたくし、見習い女神のソフィと申します」
可愛らしい少女のような声で女神と堂々と名乗られ、面食らう丸沢。
しかし、これは通話。プライバシーの観点から依頼はWEBページからの申込か、電話による直接受付の為、丸沢が依頼者の顔を拝むことは基本無い。
丸沢はデスクの上にあるメモ用紙に手を伸ばし達筆な字で『見習い女神ソフィ様 入電 16:03』と記載した。
「ところでソフィ様?」
「なんでしょう?」
「弊社はどちらでお知りになられました?」
「つい最近、担当世界に転生してきた女性の方からですわ。なんでも、生前の記憶ではそちらを使ってぶらっくきぎょう? から無事に退職し、直後に次の会社から内定をもらった矢先にトラックに跳ねられたというお方からです」
なに⋯⋯!? 丸沢は思わずガタッと椅子から立ちがろうとし、膝を強かに引き出しにぶつけた。声なき痛みに喘ぐ声を聞きつけたソフィが「もし? 聞こえてますのー?」と受話器の向こうから声を掛ける。
3ヶ月前のことだ。
20代半ばくらいの女性から退職代行の依頼があった。
なんでも、勤めている会社の上司から執拗にセクハラを受けており、何度注意しようが上司がそれを止めることは無く、上も上司の素行に目を瞑っていた為、一刻も早く退職したいという依頼だった。
セクハラに関しては依頼者が証拠を握っていた為、労基にも相談済みだったので退職自体はつつがなく行うことができた。依頼者の女性は元々優秀な社員だったので、次の転職先もあっさり決まり、丸沢としても心の底から安堵した案件である。
それなのに、あんなことが起こるとは想像もしていなかった。
「——信じてくださる気になられました?」
「⋯⋯お話を伺いましょう。少なくともソフィ様が嘘をついていないことだけは承知いたしました」
「結構。ところで、そちら対面でお話を聞いてはいただけませんの?」
「プライバシーを守る観点からWEBか、電話でのご依頼受付のみとさせていただいております」
「なら、このまま
念話ときたか⋯⋯。その前にこれ電話なんだけど——。丸沢は詳しく聞きたい気持ちをぐっと堪える。いかな縁かは知らないが、受話器の向こうの女神様は丸沢の評判を聞きつけてこうして依頼をしてきたのだ。既に、立派なお客様である。
それに退職代行とは当人が本当にやむを得ない理由で会社から去る時に、ご利用いただくサービスだ。会社を企業して一年ちょっとだが、信じられないクソみたいな上司と電話でやり合うのは慣れている。問題は今回の相手はそれがクソ上司ではなくクソみたいな神⋯⋯? であることだろうか。
「それでソフィ様は現在でお勤めになられている『世界管理機構』から退職されたいということですね?」
「そうです。面接で聞いた労働条件は守られるどころか、その殆どが不履行であり、正女神採用と
いわゆる求人詐称の類に引っかかったのか、ソフィは鼻息が送話口から聞こえるほど憤慨している。そしてこの時点で退職代行を利用する大義名分も立っていた。
丸沢はメモ帳に『求人詐称 正社員雇用では無く、契約社員採用』と記入した。
「——それはまた、随分と雇用主が不義理を働いておりますね」
「ええ、ええ。そうでございましょう?」
「そちらに⋯⋯労働基準監督署のようなものは無いのですか?」
「はい? ロウドウキジュンカントクショ? なんですの? その舌噛みそうなショとは?」
丸沢は戦慄した。労働基準監督署が⋯⋯無い⋯⋯だと!?
「えーと、そうですね⋯⋯。分かりやすく説明いたしますと法律に背いて雇用主が従業員を不当に取り扱っていないか監督、指導する機関ですね」
「なんとなく分かるような、分からないような⋯⋯」
ここら辺は文化? の違いというやつだろうか。よく分かっていなさそうなソフィに丸沢は詳しく説明することとする。
「そうですね具体的な例を申し上げますと、長時間労働、サービス残業の常態化、賃金の未払い、パワハラやセクハラによる被害などです。ソフィ様は勤め先で不遇な扱いを受けているのですよね? 詳細について詳しくお聞きしても?」
「ああ、そういうこと。ええ、それでは聞いてくださる?」
今の説明で分かる⋯⋯のか? 丸沢は別の意味で驚愕した。
学生時代、勉強の息抜きでトラックに跳ねられた現代人が異世界に転生するというWEB小説なら読んでいた。なんとも荒唐無稽な話だと思っていたし、フィクションの世界ならそういうこともあるのかもなぁと読み流す程度だったのだが。
(まさに事実は小説より奇なり、だな⋯⋯)
こうして異世界の女神から電話がかかってきて、その応対をしている時点で自分がいるこの世界も普通では無いのかもしれない——。それでもトラックに轢かれるのだけはゴメンではあるが。
「それでは聞いてくださいまし。語るも涙、毎晩枕を濡らし続けた地獄のような日々を」
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