第51話 ホカホカ肉まんと、温かい君の手
文化祭が終わり、その後すぐに2学期末テスト週間に入った。学校内は文化祭の浮かれモードからテストモードに切り替わる。
それは私も同様だ。休日朝イチで研究都市内にある図書館にやって来たが、席は満席。
「あ」
「…珍しい。戌井が勉強してる…」
「どういう意味だそれ」
私は相席してもらえそうな席を探していたのだが、そこで隆一郎君と戌井が一緒に勉強していたのだ。
「駆は前回の中間テストでいくつか赤点をとったから…それで…」
「おいバラすなよお前」
なるほど、面倒見のいい彼が戌井の学力を心配して引っ張り出してきたってことか。確かに戌井は勤勉な質ではないよね。
「席が空いてないんでしょ、ここ座りなよ」
そう言って隆一郎君が荷物をどかして座れるように空けてくれた。
「ありがとう」
ありがたく隣に座らせてもらうと、彼がニコリと優しく微笑みかけてくれた。もうそれだけで私は朝から幸せな気分になった。
違うクラスだから一緒に勉強する機会はないし、こうして勉強している彼の横顔盗み見したりして…気を抜いたら勉強忘れてしまいそうになるから、ちゃんと勉強しなきゃ。
それから約数十分後。私が勉強する隣で、戌井に勉強を教える隆一郎君のヒソヒソ声が聞こえてくる。
いいなぁ戌井。マンツーマンで教えてもらえて。私がちらりとそっちを見ると、視線に気づいた戌井と目が合った。
「なんだよ、藤もわかんねぇのか?」
「いや…そういうわけじゃ」
教えてもらえて羨ましいな、代われ戌井。と見ていたのがバレてしまう。私は平常を装って首を横に振った。
「どこ?」
フッとテキストの白いページが陰った。顔を上げると、目と鼻の先に彼の顔。私が勉強でつまづいていると思った隆一郎君が覗き込んできただけなのだが、顔が近い。顔だけでなく、体全身の血液が2度位上昇したような気がする。
暑い…ここは暖房が強すぎないか…
「あ、ごめん」
「ううん! 大丈夫!」
私の様子に気づいた隆一郎君がパッと離れる。それが残念に思えて私は内心がっかりした。
だけど彼の前で平常を装うなんて無理だ。もっと近づきたいのに、近いと緊張してしまって挙動不審になってしまうのだ。そのせいで余計な誤解を産んでいるような気がする。
変に思ってないかな? ちらりと視線を向けると、彼と目が合った。恥ずかしくて私は目をそらしてしまったのだ。
そんな私達を見ていた戌井は、シャーペンのヘッド部分を顎でカチカチとさせながらこちらを胡乱に見ていた。
「なんかやっぱお前ら変だよな」
うるさいよ、おこちゃま戌井。
朝から勉強して、たまに休憩して。
気づけば時刻は15時になっていた。
「あー、もう無理。腹が減った」
「勉強はここまでにしてなにか食べに行こうか」
戌井が限界を告げたことで、勉強は切り上げ。私達は図書館を出て遅いお昼ごはんならぬ、おやつを食べに行くこととなった。
「あれっ!? 藤っちに隆! なになに? ふたりで図書館デート?」
その前にトイレに行きたい、と言う戌井を図書館の外で待っていたのだが、そこで休日スタイルの澤口さんとばったり遭遇した。彼女は私と彼を見比べるやいなや、ニヤニヤして冷やかしをしてきた。
「そうじゃなくて、たまたま図書館で遭遇したんだよ」
澤口さんの言葉に隆一郎君は苦笑いを浮かべていた。彼は本当のことを言っているだけなのだが、デートを否定されてちょっとがっかりしたりして……
「今日は戌井と隆一郎君が一緒に勉強しに来てるところに私がお邪魔しただけなんだ。これからなにか食べに行くんだけど、澤口さんも一緒にどう?」
私は気を取り直して、彼女も誘った。どうせ2人きりじゃないんだ。一人増えようと何も変わらないさ。
「えっ…?」
「わりぃわりぃ。便所混んでてさ」
私の言葉に微妙な顔を浮かべた澤口さんは、トイレから戻ってきた戌井の存在を確認すると、目をカッと見開いた。
彼女はシュバッと素早く戌井の背後に回ると、彼の両腕を後ろから握り込んだ。
「ううん、やめとく! 私達は帰るね」
「え? おい、飯は!?」
澤口さんの中では、何故か戌井まで帰ることになっており、腹減り戌井は苦情を申し立てていた。
「わかったわかった、牛丼でいい?」
「丼ものならかつ丼がいい」
さすがクラスメイト。戌井の扱いは慣れているのだろう。これから2人でお食事に……あれ、それならば…
「じゃあねー! 藤っち、隆!」
私達も一緒に、と言おうとしたのだが、その前に澤口さんは戌井の腕を引っ張って逃げるように駆けて行った。まるで私と隆一郎君をふたりきりにするべく、邪魔者は排除とばかりに。
「…藤ちゃんも丼ものが食べたいの?」
「あ、いや…」
私が澤口さんになにか言いかけようとしたポーズで固まっていたので、隆一郎君に誤解された。
丼もの嫌いじゃないけど、好きな人と食べに行きたいかと言われたら、ちょっと…。もう少し可愛げのあるものを食べたいです。
「隆一郎君は何食べたい?」
「僕はなんでも…あ、じゃああのお店に行こう」
なにか閃いた様子の彼は私の手を取ると、歩き始めた。どこに向かうか教えられていない私はただ彼についていくしかない。
街なかを突っ切っていると、休日モードの人々が街を行き交っている。その人混みに紛れ込むかのように歩いていたら、急に路地裏に入り込んでいった。道が狭く、自転車2台がすれ違えるかどうかの道幅。まだ夕方なのに建物の影になっていて薄暗いその路地裏。
「寄り道してよく食べに行くんだ」
なにやら隆一郎君行きつけのお店がこの中にあるらしい。
なんか飲み屋っぽい看板があったりして、入ってはいけない場所のような気もするが、研究都市学園生活の長い彼が歩いているから…多分安全なのだろう。
なにがあるのかわからないがとにかく黙ってついていくと、角を曲がった辺りでごま油の香ばしい香りがあたりに漂ってきた。
「ここのを食べ慣れたら、コンビニの肉まんで満足できなくなるよ。おばちゃん、いつものあれ2つね」
彼は慣れた風に顔見知りらしい店主のおばさんとやり取りしていた。いつものっていうくらいだから常連なんだな。
「なんだい、女の子をこんなきったない店連れてきて…情緒がないねぇ」
おばさんの辛辣な言葉に隆一郎君は苦笑いを浮かべている。
狭い店だ。テイクアウト専門のようで、店先にお客さんと受け答えできる小さな出窓がある。そこで注文を受けて商品を受け渡ししているそうだ。注文を受け付けて作る料理もあるみたいで、狭い路地裏に古ぼけた丸椅子が数個置かれている。
「意外。隆一郎君は裏路地とかに入り込まなそうなのに」
このお店が危険なわけじゃないけど、途中大人の酒場もあったし、子どもにはよろしくないお店もあるだろうに…隆一郎君は冒険とかしなさそうだと思っていた。
「動き回れる範囲で探索してるんだ。新しい発見とかあって楽しいよ」
その言葉に私は思い直した。
そうだ、私を含めてこの街に住む子どもたちは外には出られない。籠の鳥なんだった。
私だってこの学校に来るまでは外の世界で自由に移動していたけど、その常識はこの都市内では非常識なのだ。
家族に会えないのはもちろんのこと、大好きなガールズバンドのライブなんて行けない。ネットもできないから外の情報なんか入ってこない。
みんな、こうして許された範囲で動き回るしかできないんだよね。この街の中に居住食が取り揃っているとはいえ、みんながみんな閉じ込められて平気な訳がない。
……彼も心の奥底ではもっと自由に動き回りたいと思っているのかもしれないなぁ。
「……成人したらさ、もっと広い世界を見に行こうよ」
「…え?」
「外に出られる年になった時、隆一郎君は10年近くハンデがあるけど、私はせいぜい数年だし、そんなに外の世界は変わっていないと思うんだよねぇ。ナビは任せてよ」
外の世界は刺激的で、恐ろしいものでもあるけど、きっと楽しいこともいっぱいあるからさ。
私の唐突な外へのお誘いに隆一郎君は目を丸くしていた。まだ先のことだから驚いたのかな。彼はふふ、と小さく笑い声を漏らすと、くすぐったそうに笑っていた。
「…心強いな。…楽しみにしてる」
「車が襲ってきても、私がこの手で止めてあげるから、大船に乗ったつもりでいて!」
「うん、藤ちゃんは急に調子に乗るよね。駄目だよ? また能力枯渇起こすから」
あれ? 安心させようと思って言ったのに、彼には調子こいているように見えたらしい。
おかしいなぁ。いやでもその頃には能力枯渇起こさずに暴走車止められてるかも知んないじゃん?
「肉まん蒸し上がったよ。熱いからヤケドに気をつけるんだよ」
店のおばちゃんが肉まんの入った紙袋を差し出してこっちを胡乱に見上げていた。
私達は店を離れると、二人して無言で肉まんを頬張っていた。肉まんは美味しかった。確かにこれとコンビニのものを比べてはあのお店に失礼だ。肉まんからふわふわと湯気が立ち上がる。
寒くなったな。もう12月なんだ。
「…寒くない?」
問いかけられた言葉に彼を見上げると、私は「平気」と返す。
「鼻が赤くなってるよ」
「えっ嘘!」
「風邪ひいたら大変だから、もう戻ろうか。送るよ」
赤っ鼻とか恥ずかしい。私が鼻を手で隠していると、隆一郎君が寮に帰ろうと言い出した。
そんな、まだ門限じゃないのに。テスト前だから勉強しないといけないのはわかってる、体調を崩したらまずいってのもわかってるんだ。
だけどまだ一緒にいたかった。
「…もう少しだけ」
「…?」
「あと15分だけでいいから、こうして歩いていたい」
一緒にいたい。少しばかりのわがままだった。
隣にあった彼の手を掴むと、その手はすっかり冷えていた。
「もう少し、一緒にいたいの」
きっと赤っ鼻どころじゃなく、顔がトマトみたいに赤く色づいていることだろう。私は恥ずかしくて彼の目を見れなかった。
もしかしたら「馬鹿なこと言わないの」と窘められるかもしれない。それでももう少し一緒にいたかったのだ。
「……ちょっとだけだよ?」
私のわがままを聞き入れてくれた隆一郎君は、私が掴んだ手を握り返してくれた。
会話なんてない。緊張していた私は、気の利いた言葉すら思いつかなかった。
冷たく冷えていたお互いの手がほのかにあたたかくなった頃、私は女子寮に到着してしまう。わざとゆっくり歩いていたのに、あっという間に到着してしまった。
「…暖かくして、ちゃんと休むんだよ」
「うん…送ってくれてありがと」
私は送ってくれた彼を見上げてお礼を言うと、目が合った。優しいおひさまの瞳。私はその目を見ていると心がじんわり温かくなり、そのぬくもりに手を伸ばしたくなるのだ。
隆一郎君はすっと手を持ち上げると、私の頬に触れようとして……ピタッとその手を止めた。そして何事もなかったかのように腕を下ろすと、踵を返していったのだった。
何だったんだろう…顔になんか付いていたのかな…私は頬を擦りながら女子寮の門をくぐり、高等部女子寮に入って行ったのである。
寮に帰ると、売店で購入したおやつを袋に下げた澤口さんに呼び止められた。
「藤っち、隆と何処まで行ったの!?」
ワクワクと鼻息荒く問い詰めようとする彼女の勢いに私はのけぞった。
何処まで行ったって……
「えっと、裏路地のテイクアウト専門中華料理店まで…」
「……ちがうよ、そうじゃない」
「肉まんを食べたかな…?」
「そうじゃないんだよ…」
正直に答えたのに、笑顔だった澤口さんの顔が真顔になった。その落差の激しさに私はビビった。
「はぁーっ隆にはがっかりした! 奥手かよ、へたれかよ!」
澤口さんは何を期待していたのだろう。隆一郎君に失望したと言わんばかりに文句つけながらさっさと自室のあるフロアに帰っていった。
取り残された私はその場でうろたえていたのであった。
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