第38話 噂が噂を呼び、影を差す。
「ねぇ、大武さんだっけ?」
「え?」
女子寮内の売店でおやつを物色していた私に声を掛けてきたのは隣のBクラスの女子だった。話したことのない子に話しかけられた私は驚いて、しゃがみこんだまま彼女を見上げていた。
その子は私をまじまじ見つめ、そして尋ねてきた。
「日色君と付き合っているって本当?」
「へ?」
私の中の時間が止まった瞬間である。
「…付き合ってません」
「えっ付き合ってないの?」
数秒置いて否定すると、その子はびっくりした顔をしていた。
えっ…なに、日色君のこと狙ってるとか?
彼女は「なんだー」とぼやくと、興味をなくしたように踵を返した。えっ、何を期待して問いかけてきたの?
「付き合ってないって」
「なんだやっぱりー」
友達を待たせていたらしい。彼女たちはちらっと私を一瞥するとそれっきり、スタスタと立ち去っていってしまった。
私と日色君は友人の距離で接しているだけだよ? 他の男女のクラスメイト、友人同士の距離感で接してるつもりなんだけどな…。やっぱりSクラスの人と普通クラスの人間が一緒にいると目立っちゃうのかな……。
普段特別扱いして遠巻きにしてるくせにそういうことは気になっちゃうんだ…。私は複雑な気分で彼女たちを見送ったのである。
「あの、日色先輩とどういう関係なんですか?」
「…友達です」
「この間図書館で一緒に勉強してたって聞いたけど」
「テスト前は席が埋まってますから、相席しただけです…」
下は中等部1年生、上は高等部3年まで。生徒会を歴任していたエリート日色君が巷で有名なのは知っていたけど、普段こんな風に女の子が騒ぐわけじゃないため、こうして交際の有無を聞きに来られると引いてしまう。
…なぜ、こんな噂が立つのか…私は不思議でならなかった。
普通に廊下を歩いているだけで「ほら、あの子よ、普通クラスのくせにSクラスの日色君に近づいてるって噂の…」と陰口になってない噂を叩かれるのだ。
間違ってないけど、いやらしいんだよ言い方が。
日色君は私がこの学校に来た時に初めて出来た友人だ。そしてボッチで孤立した私とまともに会話をしてくれ、親身になってくれた人なのだ。
そんな彼と友人で居続けたいから親しくしていたのは否定しないけど、まるで下心を持って近づいているみたいな言い方をされたらあまりいい気分はしない。
S組の生徒はすごいよ。その辺はわかっているし、私かて畏敬の念をしっかり持っているさ。
だけど彼らが一人の人間だってわかってるのかな? 特別扱いを受けて孤立し続けていた子を知っているので、私は彼らのその自分勝手な噂に不快に思いながらも、日色君から離れようとは思わなかった。
日色君に彼女が出来た、好きな子ができたと言うなら私も立ち回りを考えるけど、今はそうじゃないじゃん。なんで無関係の周りがヒソヒソするんだか…全く不快である。
「あの子は? ほら中等部の」
「あの子ただの幼馴染らしいよ…」
食事中までも噂が聞こえてくる。
同席している沙羅ちゃんに本当に申し訳ない。時折彼女が気遣わしげにこちらに視線を向ける。私は笑って平然を装うしか出来ない。
やましいことがあるわけじゃないけど、どうにも居心地が悪い。
沙羅ちゃんと一緒にいることも噂されるけど、異性である日色君は視点を変えての噂だから少々鬱陶しかった。こんな風になって日色君は気を悪くしていないだろうか。
「行こっか」
「うん」
食事を終えた私達は食器を返却口に戻そうとトレイを持ち上げて席を立った。周りからの視線は感じていたが気にしないふりをして歩を進めていたのだが、サッと目の前に人が立ちふさがってきたため、びっくりして足を止めた。
「ねぇちょっと、あんたどういうつもりなの?」
相手はめぐみちゃん。日色君の幼馴染の女の子だ。彼女はイライラした様子で私を睨みつけている。
彼女が何に怒っているかは聞かなくてもわかっていた。日色君と私の噂だよね…
「…ちゃんと否定してるよ」
しかしそれで彼女が納得してくれるわけではなく、めぐみちゃんは私を睨みつけたまま、刺々しい口調で話だした。
「あんた、この間の中等部の校長先生の件で隆ちゃんを巻き込んだんでしょ」
「あ…うん、まぁ…」
それ言われるとギクッとするな。
あの時点で頼れるのが日色君くらいだったので。猶予もなかったし。あのままじゃ沙羅ちゃんが危なかったので、最後の賭けだったんだ。重ね重ね日色君には申し訳ないと思っています…。
「私が近づくなって言っているのになんで隆ちゃんに近寄るの? …また図書館で一緒に勉強していたんでしょ? …私が誘っても隆ちゃんは乗ってくれないのに…なんであんたばかり」
「いや、この間のはたまたま偶然居合わせただけで」
お誘い合わせをしたわけじゃなく、ただの偶然だよ。噂が噂を呼んで脚色されまくってるから、彼女は誤解しているんだきっと。
「うるさい! …私がずっと一緒にいたの。隆ちゃんのことをよく知っているのは私なの。……なのに、最近の隆ちゃんよくわかんない」
めぐみちゃんはそう言って泣きそうに顔を歪めた。
私には彼女と日色君が普段どんなやり取りをしているのかまではわかんないが、めぐみちゃんの言い分だとあまりうまくいっていないみたいに聞こえる。
大体、彼も前に言っていただろう。日色君には日色君の生活があるって。どんなに親しい間柄にも礼儀ってものがある。いくら昔から一緒にいたとしても、行動や交友関係を束縛するのはやりすぎじゃないかなと思うんだな。
めぐみちゃんは日色君に恋情を含めた執着心を向けている。日色君は彼女を妹としか見ていないと言っていた。……悲しいことに、二人の間では盛大なすれ違いが起きているのかもしれないな…
「あんたのせいよ…!」
「えぇ…」
そんな…私何もしてないのに…私が悪いんですか?
困り果てた私は言葉をなくして固まっていた。
「…狩野さん、それはさすがに言いすぎじゃない?」
黙り込んだ私の代わりに口を開いたのは、意外にもこの場に居合わせた沙羅ちゃんであった。
まさか沙羅ちゃんが口を挟むとは思わず、びっくりして口をぱっかーんと開けて彼女を凝視してしまった。
「…あんたには関係ないでしょ。黙っていてよ」
めぐみちゃんは眉をしかめて沙羅ちゃんを睨むと威圧した。この様子だとめぐみちゃんは沙羅ちゃんを奇跡の巫女姫と特別視していないんだな。
──2人はS組で同じ学年だ。ずっと同じクラスだったんだ。お互いのことをよく知っていてもおかしくないのに……なんだか彼女たちには見えない壁があるように見えた。
「それは日色先輩とあなたの問題でしょ? 誘っても断られるのは別に藤ちゃんのせいじゃないと思うんだけど。人のせいにして八つ当たりするのはよした方がいいと思う」
沙羅ちゃんはけっこうきっぱり反論していた。
沙羅ちゃん、本当に変わったね。私は彼女の成長を目の当たりにしてなんだか泣きそうになってしまった。
「あんたもこの女に飼い慣らされたってわけ? 普通クラスのポンコツなんかに」
「ぽっポンコツ!?」
あまりにも見下した言い方に私が反応すると、めぐみちゃんは「なにか問題でも?」とばかりに鼻を鳴らしていた。
やだ…完璧に私見下されてる…私のほうが歳上なのに…。
「そんな言い方はないでしょ。藤ちゃんの能力はすごいわ。私は何度も救われた!」
「どこにでもある能力じゃない。選ばれた私達とは違う」
めぐみちゃんはそう言うと嘲笑するように笑んだ。
彼女は超能力至上主義者なのかな。ここに住んでいる人全員とは言わないが、【超能力は選ばれた人間に与えられたもの】で【希少能力者は更に特別】であると信じて、能力に優劣をつけて差別化を図る生徒はちょいちょい見かける。無能力者を下に見ている人もいる。
悲しいが、めぐみちゃんはそういう考えの持ち主なのかもしれん……だが、そこまでバカにされるいわれはないぞ。
「超能力に優劣をつけること自体間違っているわ。人それぞれ違う能力があって、たまたま私達は扱いを厳重にしなきゃいけない珍しい能力だっただけのことでしょ」
彼女の言い分を沙羅ちゃんは不快に思ったようだ。沙羅ちゃんは今まで自分の能力に苦しんでいた。特別扱いが孤独を産んでいたので、めぐみちゃんとは違う考えを持っているのだろう。
…しかしその言葉はめぐみちゃんには伝わらなかったようだ。
「奇跡の巫女姫も形無しね」
めぐみちゃんは沙羅ちゃんを挑発した。それを受けた沙羅ちゃんの肩がピクリと揺れる。彼女は目をすぅっと細めた。
「そのあだ名、好きじゃないの。…別に奇跡だなんて呼ばれ方しても嬉しくないから」
沙羅ちゃんの声が固くなった。2人の間がどんどんギスギスしていく。
そして食堂内の生徒たちが私達を注目している……!
まずい。注目を浴び始めたし、ここは穏便に事を収めよう。
めぐみちゃんには色々思うところはあるけど、嫉妬で性格がきつくなっているだけだと思えば……可愛いものだよ、うん。
「ね、ねぇふたりとも落ち着こうか」
これ以上の喧嘩は泥沼の予感しかしない。それに沙羅ちゃんをこれ以上巻き込みたくなかった。
めぐみちゃんに罵倒されるんだろうなと覚悟して口を挟んだが、彼女は私を一瞥して、再度沙羅ちゃんに視線を戻していた。
「……前から思っていたけど、あんたみたいな女って嫌いなのよ。何考えているかわからなくて不気味なんだもん」
めぐみちゃんは、沙羅ちゃんに対して棘のある言葉を吐き捨てた。
私は思わず生唾を飲んだのである。
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