「罪」から始まる物語 ~あの日の誓いと今の誓い~

久野真一

第1話 僕らの背負った「罪」

 母さんは、とても優しくて、同時に、世間知らずだった。

 同時に、僕も、世間を知らない、単なる子どもだった。

 だから、あんな事になってしまったのかもしれない-


◆◆◆◆


「か、母さん……?」


 目の前の光景が信じられない。

 昨日まで、母さんは、僕らを迎えてくれたじゃないか。

 なんで、なんで……。


 そこに居たのは、ぶら下がった一つのモノだった。

 顔に生気はなく、その身体は、もう彼女がこの世のものでない事を告げていた。

 

誠子せいこさん……?」


 同じく隣で呆然としているのは、仲の良い女の子である優美ゆうみちゃん。

 今日も、作ったお菓子を、一緒に差し入れに来たところだった。

 と、彼女が力なく、崩折れる。


「優美ちゃん!」


 崩折れた彼女を抱きとめる。気を失っている。

 僕も、今すぐ気を失ってしまいたい。

 でも、彼女がいるという事実がかろうじて僕を現実に繋ぎ止めていた。


「そ、そうだ。警察……」


 いや、救急車?とにかく、連絡しないと。

 信じられない現実に呆然としながらも、なんとか110番で連絡する。

 110番を終えて、気を失う直前に見たのは、

 「誠一と優美ちゃんへ 4年後に読んで下さい 母より」という文字だった。


◇◇◇◇


 首吊り自殺だった。

 1年前に離婚した母さんの生活が気になって足繁く通っていた僕たち。

 生活苦に喘ぎながらも、前日まで死を仄めかすそぶりはなかった。

 ただ、仕事が続かなくて悩んでいた母さんだ。自殺はそのせいだろう。

 だから、根本的には僕が原因だ。

 

◆◆◆◆


 きっかけは、些細な一言だった。


「今日、優美ちゃんの家に行ったら、大きい天体望遠鏡があったんだ」


 はしゃぎながら母さんに今日の出来事を報告する僕。


「優美ちゃんの家はお金持ちだものね。それで?」


 嬉しそうに先を促す母さん。


「昼間だから、星は見られなかったんだけど、毎晩、望遠鏡で、月や星を見てるんだって!目で見るのと違って、綺麗だって自慢してたよ」


 昼間、優美ちゃんの家に遊びに行ったときに、自慢気に披露された天体望遠鏡。

 きっと、これなら、月や星がとっても綺麗に見えるんだろうなと思った。


「それは、私も見てみたいわね。誠一せいいちは欲しいの?」


 優しげな目で僕を見下ろす母さん。欲しいことは欲しいけど……。


「きっと、すごく高いよ。無理だって」


 それくらいは僕にだってわかる。


「確かにそうね。でも、もし買えたとしたら……?」


 意味のわからない問い。


「本当は……欲しいかな。タダならだけど」

 

 うちがそれほど裕福ではない事は僕も知っていた。

 だから、もし、タダなら欲しいかな、くらいの気持ち。

 でも、言わなければ良かった。あんな事になると知っていれば。

 

「そう……いつも我慢させてごめんなさい」


 申し訳無さそうな母さん。なんで謝るのだろう。


「別に我慢なんてしてないよ」


 最初から、あんな高価なものが買えないことは、僕にもわかる。


◇◇◇◇


 それから、しばらく経った夜。何やら口論が聞こえてきた。

 僕は、母さんたちの寝室をそっと覗いた。すると。


「誠子さん。いくらなんでも、やっていいことと悪いことがあるだろう!」


 そう怒鳴りつける父さん。


「ご、ごめんなさい。でも、あの子のために何かしてあげたかったの」


 謝る母さんは、よくわからない言い訳をしていた。僕のため?


「だからって、勝手に家の金であんな高価なものを買うなんて……!」


 怒りが押さえきれないといった様子の父さん。


「ごめんなさい。本当に、出来心で。反省してるわ」


 母さんは土下座して平謝り。


「許さない。俺はそういう大嫌いだって、言ってるだろう」


 どういうことだろう。


「だって、あの子が欲しいものを買ってあげたくなるのは人情でしょう?」


 え?


「君は馬鹿か!なんで、その前に僕に相談してくれないんだ!」


 再び怒る父さん。


「だって、相談しても、あなたは、ケチくさいこと言って、絶対に首を盾に振らないじゃないの!」


 平謝りだった母さんが抗弁し出す。


「ケチくさいとは何だ!うちの家計にそんなに余裕がないことは、君だって知っているだろう?たかが、子どものプレゼントのために50万円もする高価な望遠鏡とか、非常識にも程があるよ!」


 高価な望遠鏡って……。そういえば、やけに大きな荷物が届いていると思った。


「何よ!あの子の面倒をろくに見たこともないくせに!」


 口論がヒートアップしていって、とっつかみ合いの喧嘩になった。

 僕はといえば、何も言えずそれを見ているだけだった。


 そして、即日、父さんは母さんを家から放り出した。

 最低限の手切れ金だけを渡して。


 そんな出来事の後、しばらくして正式に離婚をした母さんたち。

 僕は、望遠鏡が欲しいなんて言わなければ良かった、と後悔していた。


◇◇◇◇


 僕は、足繁く母さんの家に通った。

 家から放り出された母さんは、近くに、ワンルームの部屋を借りた。

 その部屋はとても狭くて、窮屈そうに見えた。

 母さんがした事は怒られても無理はない。

 でも、何もここまでの仕打ちを、と思った。


 その後、どこからか事情が漏れたのか。

 優美ちゃんも、自分が発端になったのだと気にし出した。

 そんなだから、二人で母さんの家を訪問したり。

 時には、優美ちゃんの作ったお菓子を差し入れに行ったりした。


 母さんはといえば、


「私の自業自得だから、別にいいのよ?」


 と、力なく笑っていることが多かった。


「そんなことないって!きっと、お仕事だって、なんとかなるから」


 母さんは、仕事が続かなくていつも悩んでいた。

 

「そうですよ。誠子さん。その……私の家から援助することだって」


 優美ちゃんも一緒に励ます。


「いいのよ。優美ちゃんの家からのお金は……さすがに、受け取れないわ」


 痛々しくて、いつも見ていられなかった。

 でも、僕らは母さんに立ち直って欲しかった。


◇◇◇◇


 そんな日々を1年程続けた挙げ句の首吊り自殺。

 棺桶に横たわる母さんの生気のない顔を見て。

 ああ、これが死体なんだなあと漠然と感じた。


 母さんが死んでからの僕は、生きる気力を一気に失った。

 僕があんな事を言わなければ。

 1年間の間に、何か出来れば、と、繰り返し後悔が押し寄せてくる。

 1年間もあれば、父さんを説得して、生活費を出してもらうことだって……。

 でも、全て後の祭りだ。

 繰り返し後悔する内に、いつしか学校に行く気力も失っていた。


「誠一君?居るの?学校、行こ?」


 そんな風に引きこもった僕の元に通い詰めてくれた優美ちゃん。

 でも、インターフォン越しの言葉は僕には届かなかった。

 ちょっと話をする気力もなかった。

 父さんも、最初こそ「学校は行きなさい」と言っていたけど、諦めた。


 そんな、後悔を繰り返す日々が変わったのは、それから1ヶ月後のこと。


「あの。学校は行かないでいいから、聞いて?誠子さんが死んだのは、私が悪いの。絶対、誠一君のせいじゃない。だから、自分を責めるのは止めて」


 優美ちゃんのせい?

 そんなわけがない。僕の言葉のせいに決まっている。

 そりゃ、きっかけは彼女かもしれないけど、それで責任を感じるのはおかしい。

 だから、それだけはおかしいと言うために、扉を開けて、彼女を招き入れた。


「久しぶり、優美ちゃん。だいぶ痩せた?」


 見るからに元気の無い顔。

 母さんが自殺する前は、こんなに青白い顔じゃなかった。

 ああ、そうか。優美ちゃんも、ずっと思いつめていたんだと悟る。


「ダイエットって奴だよ」


 無理をして強がる優美ちゃんだけど、そんなわけはない。

 不登校で不健康な僕から見ても、やせ細って不健康そうだ。


「そういうジョークはいいから。本題に入るけど、優美ちゃんは絶対に悪くないよ」


 僕はいくら後悔してもいいけど、彼女が責任を感じるのはおかしい。

 だから、その事だけを伝えたかった。


「ううん。私が悪いの」


「いや、僕が悪い」


「ううん、私が」


 お互い、僕、私が悪いと一歩も引かない。


「どうしても、誠一君は、自分が悪いって言い張るの?」


「だって、君は悪くないから」


 絶対にそうだ。


「わかった。じゃあ、はんぶんこ、しよう?」


 提案の意味がすぐにわからなかった。


「はんぶんこ?」


「私が半分悪くて、誠一君が半分悪い。そういうこと」


「はあぁ?ちょっと、それは無理がある論理だよ」


 なんで、そこまでして自分も悪いことにしたがるのか。


「無理じゃない!もし認めないのなら、私も死ぬから!」


 本気の声に、ぎょっとした。

 母さんだけじゃなくて、彼女まで、なんて耐えられない。


「わかったよ。認める。どっちも悪い」


 心の底では思っていなかったけど、認めないとほんとに死にかねない。


「これからは、私がずっと一緒にいるから。二人で背負えば、少しは楽になるよ」


 怖いくらい真剣な目。


「ねえ、どうして、君は、そこまで僕のことを……」


 彼女と仲は良かったけど、そこまでしてもらう程じゃない、と思う。


「私は、あなたの事が好きだから」


 そして、返って来たのはそんな返事。

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