第67話 ご褒美は世界で一番ピュアなキス

 今日の勉強会はそれなりに充実していた。ある一点を除いて。

 木稲このみさんの家が近かったので、車で家まで送り返した後(念の為塾の先生の家に行っていたという事を言わない様に箝口令を敷いた)、比較して遠くに会った結夢の家に車で向かっていた。

 

 今日の勉強会で気を引いた事があったとしたら一つ。

 途中から結夢が元気が無かったことだ。

 

「どうしたんだ? 今日、途中から口数が少なかったじゃないか。体、どっか悪くしたか?」

「……あの、反省してました」

「反省?」


 助手席で、小さくなりながら罪悪感いっぱいの顔がバックミラー越しに見えた。

 

「礼人さん、途中で初音さんの胸に触れてしまって……初音さんの胸、やっぱりすごいから礼人さんも最初気にしているみたいで、やっぱりお胸は……大きい人が、良かったのかな……私なんかでよかったのかな、って思ってしまったんです」


 忘れる訳が無い。

 あれが世界がうらやむ巨乳なんだって、ブレザー越しでも十二分に伝わってきた。

 木稲さん、あれは無意識でやったんだろうか。

 それとも俺をからかうつもりでやったんだろうか。

 確かにふわふわしていて菜々緒以上に掴めない子ではあったが……。


「でも、礼人さんはその一瞬で切り替えていて……しっかりと三人の先生をやっていて……それからは初音さんのすごい胸に、気が行かなかった……」

「そ、そうか」

「私、ただ嫉妬していた、だけだって……一瞬でも、礼人さんの事、遠くに行っちゃったような自分が……許せなくて」

「なんだ……具合悪かったのかなって思ってたよ」


 ある意味で言うと、心の具合が悪かったといえるのかもしれないが。

 しかし本当に具合が悪そうに俯く結夢は、まるで溜まっていた様に言霊を発した。

 

「ごめん、なさい……」

「結夢は真面目過ぎるんだよ……そのくせ」


 信号で丁度止まっていたのだ。

 膝の上で握りこぶしになっていた結夢の小さな手に、俺の手をのせた。

 ……うわ、俺まで毛肌立つくらいにドキドキする。

 

「は、わあ……きゅ、きゅうに、なにを……」

 

 だから結夢なんて、口をあんぐりと空けて頭からキノコ雲を発生させていた。

 

「すぐに照れて目の前が見えなくなる」

「……うぅ……前にも言ったと思いますが、こういうの、わ、私は慣れたくなくて……」

「それがいい所ってんだ」


 彼女はいたことは無いが、一番ピュアなキスなんてきっと恋人同士が出来るのは、最初の一回だけだろう。

 それからは何回もキスを重ねて、経験も重ねていくうちに、何百回、何千回とキスしていくうちに――ピュアの味を忘れていくのだろう。

 悪い事だけじゃないのかもしれない。だけど、確実に何かを失ってそのカップルは成長していく。

 

「……もし良ければ、そのままの君でいてほしい」


 勿論結夢とて、これから恋人としての毎日を積み重ねていく内、その純白さは薄れていくのかもしれない。

 未来は分からないし、未来はいつだって残酷なものだ。願うものと大体反転する。

 かつてばかな初恋をした一人の少年が、馬鹿で無謀な志望校に挑戦し、一人落ちた事もある。

 かつて清い恋をした隣の少女は、その恋心にすら気づいてもらえず、無責任な励ましだけを手元に三年も待ちぼうけた事もある。

 

「……にへ、にへへへ……」


 それでも、この結夢の様にそうあろうとする気持ちに間違いは無いと思う。

 だから結夢と、いつまでもピュアな関係のまま、ゴールという名のスタート地点に立てるとさえ、思っている。

 いつか、俺の問題も解けた状態で。


「ただ、だからこそ悪い人に騙されないかが、俺は心配だ」

「……し、心配してくれて、ありがとうございます……」

「安易に何でもかんでも鵜呑みにするなって事だ」

「……でも、礼人さんの事は、信じたいです」


 俺は何も返せなかった。

 これ以上、この子のピュアさのデメリットを穿るのは罰当たりな気がしたからだ。

 俺が結夢を信じてやらないでどうするってんだ。

 

 


「あの……礼人さん」


 結夢のアパートに着いたところで、結夢から声があった。

 

「どうした?」

「今度の中間テスト……も、もも、もも、もし……仮に、一位になったら……一つ、お願いが、……あります」


 消え入りそうな声で、結夢は口にするのだった。

 失礼ながら、笑ってしまうくらいに儚い声だった。

 そして俺も照れてしまうくらいに、何かを期待してしまうくらいに、心が温まる様な声だった。

 

「……一位、に……なったら……き、ききききききききききき、キスを……したい、です……」


 やっぱりこの子は、ピュアだった。

 少し前に一つの宿屋で既に二回した重なりを、要求してきたのだ。

 気絶しそうなくらいに、顔を赤らめながら。

 

「……そ、そんなこと、って思ったら……ご、ごめん、なさい……」

「……」


 別にそんな事、いつでもしてやるよ、なんて男らしい台詞は絶対にNGだと思った。

 そもそも一回一位取ってるじゃないか、という野暮な突込みは絶対タブーだ。

 この子の純白さにあてられ、俺だってするのに寿命一年くらい消費しそうな行動なのだ。

 

 ……結夢にとっては、毎回が初回。

 毎回のキスが、スペシャル。

 毎回の手繋ぎが、ミラクル。

 

「……分かった。じゃあ、一緒に1位取れるように、頑張ろうか」

「は、はい……にへ、にへへへ……」


 今のはきっと、先生として学年一位を取ってほしいという願いと。

 恋人として、頑張った末の世界で一番ピュアなキスを受けたいという願いが半々だろう。

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