第59話 不可抗力の、抱きしめ合い~江ノ島から七里ヶ浜まで①~

 江ノ島電鉄えのでん沿い。

 次に向かうのは鎌倉駅と藤沢駅の間にある海岸。


 良く映画とかで使われる海岸や、ロケーションが存在するらしい。

 聖地巡礼じゃないが、それも行きたくなる観光スポットの条件だ。

 ひとまず次に降りる駅は『七里ヶ浜』と呼ばれる駅なのだが、まず語るべき問題が発生した問題は江ノ島電鉄えのでんの車両内だった。

 

「朝より人、多くなってねえか?」


 何故か平日の昼前なのに、乗っていた人間が多かった。

 朝は簡単に座れる程がらんどうだったのに、今は隣の人間と体が当たる程度には混んでいる。

 江ノ島電鉄の車両は結構狭い。故に少しの人数で簡単にいっぱいになる。

 あまり人混みが得意ではない結夢も、少し苦笑いをしながら一つの事実に行き当っていた。

 

「……そ、そういえば、調べている時に映画の撮影、こ、この近くでやってると……今日だとは、思いませんでした……」

「成程な……」


 先程も言った通り、この辺りは映画スポットとしても扱われる。

 しかもどうやらテレビ引っ張りだこの俳優やら女優やらが出演するらしい。

 残念ながら今はSNSで簡単に情報が入手できる時代。漏れてしまった撮影情報に釣られた野次馬たちで、この車両はしっちゃかめっちゃかになっているらしい。


『腰越~腰越~お出口は左側です~』


 という何気ないアナウンスとと同時に、乗客が更にどっと押し寄せてくる。

 別の線路とのアクセスに使う駅でもないのに、どうしてこんなに人が入ってくるんだ?

 明らかに定員数を振り切った車内で自由を保てるわけもなく、人々の濁流に俺も結夢も流されていった。

 

「うわっ」

「……」


 開いたドアとは反対側。

 俺と結夢が押し込まれたのはそこだった。

 結夢がドアに背中を着けて、俺がその前で必死に結夢とのスペースを確保する。

 

 何で壁ドンみたいな体勢になってまで、必死に後ろから迫る不可抗力の圧力に耐えているかって?

 結夢が潰れちゃうだろ。

 物理的にも、精神的にも。

 

 結夢がめっちゃ顔を赤くして、口を波打たせながら俯いてしまった。

 そりゃこの人口密度は、この人見知りには相当な猛毒だからな。

 

「後二駅だから……我慢できるか?」

「だ、大丈夫です……でも……」


 結夢が本当に身を縮めてしまっている理由を聞いた。

 

「……ち、かい……です」

「えっ?」

「礼人さんの……胸が……顔が……こんなに、ちかく……息が、かからないように……してます……」


 ……俺自身、再確認。

 結夢の近くなると赤くなって恥ずかしくなって最悪気絶という病状もんだいは、緩和されたとはいえまだ潜在している。

 故に今の状況。距離にして10cm確保するのがやっとな状態。

 外なら一瞬だけ近づいて、結夢が恥ずかしがって距離を置くのが定石なんだが、ここは日本の文化満員電車。

 生憎距離を取るという戦法は、実質封印されている。

 

 そんな照れ切った顔を見せられると、これ以上結夢に近づくわけにはいかない。

 この状態が長く続けば結夢が疲弊する。

 物凄い力が壁ドンの体勢で堪えている右腕にかかっている訳だが、ここが柊礼人。男の見せ所だ。

 

「……礼人さん、物凄い、が、我慢してますか……?」

「えっ?」

「……そんな、気にされなくていいですよ……し、仕方ないです……」


 恐る恐るといった様子だが。勇気を振り絞った、赤らめた顔のままだが。

 結夢は周りの邪魔にならないくらいの広さで、ハグを準備するかのように両腕を広げたのだった。

 

「とと、とびこんで、きて、どうぞ……」

「……えーと、マジで? いいの?」

「ぱ、ぱっちこーい、で、です……!」

 

 もう一度言います。

 この天使な生徒は、天使な幼馴染は、ハグを許容しているのだ。

 否。ハグをご所望だった。

 それが分かったのは。

 電車の揺れで、俺の腕にかかった負荷が限界を超えた時だった。

 

 俺が結夢の方に倒れる前に、結夢の方から明らかに一歩踏み出して。

 スカートの下、スニーカーを踏み出して。

 俺に抱き着いて、支えてきたのだ。

 

「だ、だいじょうぶ、ですか……」


 結夢、暖かい。

 今日熱いはずなのに、そんな空気より結夢の体温を俺の体は敏感に読み取っていた。

 結夢の前身の全てを、俺の前身は感じ取っていた。

 

 俺の胸に沈む、結夢の頭部と眼鏡。

 そして俺の腹に押し付ける形となった、二つの柔らかさ。

 俺の後ろに腕を回していただけあって、服や下着越しに――これはまたブラジャー着けてないんだろうか、特に二つの母星の塊の柔らかさが良く伝わっていた。

 運悪く、というか運がよく、というか。

 バランスが崩れた時に、俺の左手が腹に来ていたせいで――結夢の胸に、俺の手の甲が密接に繋がっているから。

 

「礼人さん……鼓動、すごい……」

「すごいのは結夢もだよ……ごめん、胸に……俺の手、当たっちゃってる」


 正直、手の甲で十分なくらい。

 俺の手の甲が、結夢の乳の形を認識している。

 柔軟さを、そしてその下の骨の感触を、そして更に奥の心臓の鼓動を。

 めっちゃ脈打ってる感覚を、俺に教えている。

 

 結夢は自分の胸を見ながら、物凄い顔を真っ赤にしていた。

 そりゃそうだ。要はおっぱい揉まれてるのも変わらないんだから。こんな人ごみの中で。


「だい……じょうぶ……です」

 

 早く終われ。

 でも、長く続け。

 俺の中で、そんな二つの矛盾した天使と悪魔が戦い続けているのを感じた。

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