第57話 「もし子供が生まれたら、こんな感じなのかな」

 祈ることの大事さを再確認したので、江ノ島神社に祀られている神を本坪鈴で呼ぶときも、賽銭にお金を入れて二礼二泊一礼をする時も、しっかりとイメージした。

 隣で小さい背を曲げて、真剣に祈っている少女との未来を。

 

 このまま神様に背を押してもらうには、俺が答えだすしかない。

 でも、その道のりで、もう少しだけ結夢と幸せを育んでもいいよね? と神様に問う。

 神様からは何も返ってこなかった。

 だって、その幸せは俺が叶えるものだから。

 でも、こうやって祈った行為にはきっと意味があるから。

 

「エスカレーターあるのか」

「本当ですね……」


 なんと自然の要塞を思わせるこの島に、頂上付近まで続くエスカレーターが設置されていた。

 どうやら江ノ島エスカーと呼ばれるもので、これも観光スポットの一つらしい。

 確かにこの先、頂上までは20分かかるらしい。

 エスカレーターを覗くと、確かに果てしなくトンネルが続いていた。

 俺も結夢も、絶句。

 

「乗られますか?」


 案内係のお姉さんが差したが、遠慮した。

 これ、有料らしいし、エスカレーターに乗ってしまうと外の景色が見えない。

 意外と俺たち二人は歩くことが得意なんだと、ミモザ公園でのピクニックが証明している。

 

「あっ、礼人さん……あそこ、登ってみたいです!」


 案外登ってみればすぐだった坂道の頂上では、更に天へ伸びる展望灯台が拝めた。


「結夢って高所恐怖症じゃなかったっけ?」

「あ、あのくらいなら大丈夫です……む、昔は、それは、ひ、酷かったですけど……」


 ここで結夢の説明。

 軽度ではあるが、俺の記憶では結夢は高所恐怖症なのだ。

 勿論家のベランダとか、ミモザ公園の丘とかその程度なら問題ないのだけれど、一回幼い時に事件があった。

 東京タワーに結夢の家族含め、遊びに行った時の事。一望する世界に俺も菜々緒も幼いながらに感動していた時、結夢だけ――。


「ま、ママああああああああああああああああああああああああああ」


 って感じで母親に縋りつきながら、大泣きしていたっけ。

 いや待て。ちょっと待て。

 これ結夢の泣き声じゃないぞ!?


 ……これだけ人がいるのに、まだ小学校にも行っていない様な男の子の泣き声は良く響いていた。

 周りに親らしき人物はいない。駆け寄る両親は見えない。

 ママと何度も縋っても、そのママがいない。

 江ノ島の中心でママを叫ぶ声は、留まることを知らない。


「ママ!? ママあああああああああああああああああああああああ」


 人目もはばからず、男の子は大粒の涙を流してその声量を見せつける。

 通りかかる人も、運が無い事に心配そうな眼線だけ送っては擦れ違っていく。

 ……流石に無視できねえな。


「迷子だな、こりゃあ……」

「……」


 係員さんの所まで送っていくか。

 と、俺が足を動かした頃には小走りで駆け付ける小さな影があった。

 結夢の後姿。

 俺よりも小さかった体は、しゃがんだ事で男の子よりも小さくなった。


「大丈夫?」


 いつもと変わらない、優しさに溢れた声。

 下から覗くような目線も、一切傷つけない天使のような表情だった。

 

「お母さん、どうしたの?」

「……ママ、いなくなっちゃった……」

「そうか……怖かったね、よしよし……」


 結夢の小さな手が、男の子の後頭部を撫でる。

 男の子の泣き声が、段々と止まり始めた。


「ママが見つかるまで、代わりに私がいてあげるからね……」

「うん……!」


 ……遠い遠い、昔。

 東京タワーで母親に抱き着く事しか知らなかった幼女が、泣きじゃくる男の子の手を掴み、その涙腺を塞き止めていた。

 震える男の子の肩が、不思議と止まっていた。

 

 今もどこかでもう一人の妹の様にも思っていた少女は、ちょっとだけ大きく見えていた。

 何だか、母としての才能を持って生まれていたんだな、って。

 

「……あの、この子としばらく居て上げても」

「ああ」


 結夢の母親みたいな姿、もう少し見ていたいしな。

 何だか、子供が生まれたらこんな感じなのかなって。

 

「……お兄ちゃんも」

「ん?」


 と俺が聞いたのもつかの間。

 涙目の男の子が、俺に手を伸ばした。

 その手に、俺が掴む。

 

「……これって」

「……」


 さっきまで母親みたいだった結夢が、普通の女の子に戻っちゃった。

 俺もだ。

 この両手で俺達を繋ぐ男の子を通して、俺と結夢が繋がってる。

 

 まるで。

 間に子供を置いた。

 夫婦みたいに。

 

 

「どうも、ありがとうございます……!」


 心配そうに母親は駆け付けてきた。

 平謝りをする母親の隣で、男の子は手を振っていた。

 

「ばいばい」


 去っていく親子を眺めながら、未だ興奮が納まりきらないと言った様子で、結夢が心の声を漏らす。 

 

「……子供、生まれたら……あんな感じ……なのかな」


 この子は本当になんて心の声を漏らすんだ。

 俺も思ったよ。それ。

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