第37話 今、魔法の言葉で留めてきた少女の心が現れる

「三年前、本当に礼人さんは……私の事を、そういう目で見ていなかったんだと思います……」

「……三年前」

「でも、礼人さんは私の事を心配してくれていました……私、礼人さんに言われた通り、こうやって握られている感覚、思い出してました……そうしてたから……何とかこの三年間……頑張って、生きてこれた……」


 辛い時は、俺が握った手を思い出せ。

 心はいつも、隣にいる。

 俺がかけた、魔法じゅばく言葉のろい……だと思っていたもの。


 ……今思えば、なんて無責任な言葉を放ってしまっていたのだろう。

 結夢がずっと俺の事を忘れずにいたのは、そんな励ましを送ってしまったからではないのか。

 健気に忠実に、何かあった時に柊礼人という幻を隣に置いてきたんだろう。

 

 こんな言葉さえなければ。

 結夢は普通の少女の様に、同年代の誰かを好きになれたんじゃないか。

 俺の事なんて忘れて、俺の『やさしさ』なんて忘れて、こんな辛さも味わう必要は無かったんじゃないのか。

 

「でもきっと私のこの想いは叶う事はないと……思ってました。礼人さん、好きな人いたから……」

「……」

「『空野ことな』さん……ですよね。礼人さんが、緑ヶ山高校を受験しようと思った理由……そして、礼人さんが好きな人……」

「……知っていたのか」

「礼人さんも、『ご存じの通り』……空野さん、この辺じゃ……知らない人いませんから」


 ご存じの通り――空野ことなとは、結夢も菜々緒も知っている程の有名人である。

 その異質さは、正直色々物理法則だけで語るには余りあるのだが……それは別の話。

 もう俺には関係のない事だ。話す事じゃない。

 

「礼人さん、空野さんを見る時だけ、なんというか違う目になってました……ななちゃんに聞いて、確認できました。礼人さん、恋してるなって……」

「……そうだったのか」


 結夢は一呼吸を置いて。


「こ、今度は……その違う目、私にしていました……」

「……」

「……私、嬉しかった……嬉しかった……嬉しい…………嬉しい…………勘違いだったら、勘違いって、言ってください」

「……」


 何も言えなかった。

 沈黙は肯定と受け取られるなんて、分かっているのに。

 結夢の綺麗な笑顔を見たら、何も言えなかった。

 

「……だからね。だからですね……私に対していやらしい気持ちになったって聞いた時も……私を、そんな目で見てくれてるって思って……やっぱり、うれ、嬉しかったんです……そういう事、恥ずかしい事なのに……」

「……怖いって思わないのかい」

「礼人さんは……でも優しくて、ずっと誰かの気持ちに立って考えられる……先生に向いている人だから……不思議と、安心してます……」

「……」

「だから、ね……先生……あの……心の声とかじゃなくて……」

「……」

「……好きです……」

「……うん」

「……好き」

「うん」

「……好き……好き……好き……好き……好き……好き……」

「……うん」

「……」

「……」

「……」

「……」


 導火線の火が切れた後の様に。

 台風が過ぎ去った後の畦道の様に。

 ライブが終わった後のコンサート会場の様に。

 

 ずっと、部屋は静寂だった。

 菜々緒の眠り声すらも聞こえないくらいに、静寂だった。

 何もなく、間違いなく、ここには俺たち二人がいた。

 

 手を繋いだまま。

 俺と結夢は、俺達が反射した液晶ディスプレイを見つめていた。

 

 真っ黒な液晶の向こうにいた二人は、今まで見たことの無い顔になっていた。

 いつも見ている結夢の顔も、朝の洗顔以外見ない俺の顔も。

 

「無理に……返事……しなくて、……いいです……よ」


 液晶の向こうから、結夢が俺を見ていた。

 俺を慮って、心配してくれていた。

 

「私……卒業まで……三年間……また、待つつもりですから……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……また三年間も、君を待たせる訳には行かない」

「……」

「ずっと、待っていてくれた君を……また、待たせたくない」

「……」

「……」

「……」

「……」

「君を三年間、哀しい顔をさせたくない。君に、ずっと笑っていてほしい。多分、それだけは確かだ……」

「……」

「……」

「……」

「……そして、俺はやっとできた理想に反する行動も取りたくない」

「……じゃあ」

「だから、物凄い我儘を言う。失望してくれて構わない」

「……?」



「…………一緒に、どうすれば好き合っている先生と生徒が、幸せになれるかを考えてくれないか。具体例は、俺と……君」



 ソファに置かれた掌を握る結夢の片手。それが両手になった時。

 結夢が、やっとたどり着いたと言わんばかりの感動に満ち溢れた顔になっていた時。

 哀しい顔じゃなく、きっと見てきた中で一番心の底から笑っていた顔になっていた時。

 

「……私で、よければ」


 そんな返事を聞いた時、ふと――森末さんの問題が頭に過った。

 

『貴方はどうして先生と生徒が恋愛をしちゃいけないなんて言われているのか、その『そもそも』を考えたことがある?』

『ヒントは――恋と愛の違いは何か』


 同時に、ある恋愛小説の一節も頭を掠めた。

 

『その相手の笑顔が思い浮かびますか? 悲しい顔も思い浮かびますか? 二つ思い浮かんだら、それは立派な愛でしょう』

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