タバコの匂い

リュウタ

タバコの匂い

 君が居なくなってどの位の時がたっただろうか。数時間な気もするし、永遠に近い時間かも知れない。私は不死身な人間じゃないただのOLだし後者はありえないか、と一人で使うには大きすぎるソファーで、彼のものだった等身大のクッションと一緒に自問自答。


 物思いにふけり、ぼーっと天井を眺める。天井の壁には薄黒いグレー色のシミが数箇所。喫煙者の彼が残したタバコのヤニだった。

 賃貸なのにシミつけてどうするのって私が叱ると、大家さんには僕が伝えるから、と全然反省してない態度。大家さんに叱られるんじゃないかって本当に心配したんだからね。

 ソファーの横の机。その上には注意しても部屋でタバコを吸うから私が買ってあげたガラス製の灰皿。新品のように輝いている灰皿。


 同棲当初はタバコは吸わなかったのに深夜までサービス残業と上司のパワハラで重度の喫煙者になっていたのは気づいていたよ。

 だから言わないでおこうと思ってたけど、あまりにも部屋でタバコを吸うから、『匂いが嫌いだから外で吸って!』ってきつく言ったら、ボサボサの頭を掻いて残念そうな顔をしたね。

 あの時もっと優しくすれば良かったと後悔してるよ。

 感傷に浸っていると、する筈のないタバコの匂いがする。

 鼻の奥に残る嫌な残り香は、私に彼との世界を思い出させる。


 ふと人肌が恋しくなってきた。誰でもいいから抱き締めたいと思った。誰でもいいと言ってるのに、癖っ毛でナヨナヨした頼りない彼を強く求めている私は寂しがり屋なのだろうか。

 抱き締めたい人がいないから、近くにあるクッションで代用する。


「あああああああ!!!」


 私は寂しい、悲しい、誰かが恋しいとき、他にも理由は色々あるけど、無性に叫びたくなる時がある。今がそうだ。

 深夜一時。こんな時間に叫んだら近所迷惑に違いない。


「ど、どうしたの⁉︎ そんな叫んで」


 私の足元から声がした。

 ヨレヨレのネクタイに、一目見て天パだと分かる髪型、手にはしっかりタバコを持っている、スーツ姿の彼がいた。


「寂しくてつい……いつ帰ってきたの?」


「……何事かと思った。丁度今さっき、君が叫んだ時だよ」


 安堵したのか彼はタバコを口に加え、一服。灰皿に灰を落とし荷物を床に置く。


「あれ? 灰皿綺麗になってる」


 新品同様に見える灰皿に気づいたのか、彼は少し驚く。


「うん。帰ってくるまで暇だったから」


「そっか、ありがとう」


 ありがとう、といった彼はボサボサの頭を搔く。きっと照れ隠しだろう。


「どういたしまして……あっ」


「ん? どうしたの?」


「おかえり」

「あぁ、ただいま」


 今日のタバコの匂いは、なんだか嫌いではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タバコの匂い リュウタ @Ryuta_0107

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ