第29話 後輩達それぞれの思い

「……でさ。」「へぇ、そうなんだ!」「え?ちょっとちょっと、あれはね……」


 女子高生のおしゃべり雀たちの楽しげな笑い声が街角に聞こえてきます。いつの時代も、女子校生たちなどの若い女の子のファッションやグッズ、スイーツにグルメなどの流行やトレンドは、彼女たちを中心にして作られていき、その時代の世相や文化を産み出していきます。


 そしてまた、それに付随して様々な噂や話題も、彼女たちを発信源として、また、時には伝達者として、様々に社会の中に流布されていきます。良い意味でも悪い意味でも、彼女たちは大切な時代の担い手であることに変わりはありません。


「ん?……久美子、……あれ、足立先輩じゃない?」


 話題を急に打ち切り、一人の女子高生が声を上げます。


「え?どれどれ?……どこ?」


 声をかけられたボーイッシュな短髪の背の高い女の子が、首を伸ばし辺りを見渡します。


「ほら、あそこで自転車を引いて、城東の女の子と立ち話をしている人……。」


「あ、本当だ!」


 視線の先には彼女たちの中学の先輩の男子高校生とセーラー服姿の女子高生が立ち話をしている様子が見えました。


「あれ?足立先輩の彼女って、城東の人だっけ?」


 その女子高生のセーラー服は普通に濃紺の上下でしたが、特徴的だったのは、そのスカーフが漆黒のスカーフだったのです。それは久美子が通っている私立の城東女子高等学校の久美子と同じ制服でした。


「いや、違うよ。確か……、中央に行った三枝先輩だよね。」


「じゃあ、なんで?」


 自分たちの親しい先輩が、付き合っている彼女とは違う女性と親しげに話をしている姿が、彼女たちには不思議だったようです。


 久美子もその女子高生の顔には見覚えがありますし、確かに城東女子の3年生であることは間違いありませんが、自分たちと同じ中学の出身でないことも間違いありませんし、足立先輩との接点が久美子には分かりませんでした。


「確か、中央高校の子から聞いたんだけど、先輩の彼女の三枝先輩って、お父さんの仕事でヨーロッパの方に行って一年間休学してるって聞いたよ。」


「え!じゃあ、今、足立先輩には彼女いないの……ま、まさか……う・わ・き?……。」


 いつの時代も、また、どの世代にとっても、スキャンダルというのは、女の子たちにとって禁断の果実です。


「いや、そんなわけないっしょ!だって、足立先輩と彼女って、すっごく仲がいいって聞いたよ。」


「わたしも見たことあるし、すっごい羨ましいくらいに普通に自然で、もう、妬けちゃうぐらいなんだから。」


「だよねだよね、じゃあ、……浮気じゃないなら……ふ・り・ん?……。」


「何でそうなるの!あの先輩に限って、そんなことあるわけないじゃん!」


「……だよねぇ。」


 堂々巡りの女子トークにケリをつけたのは、やはり久美子でした。


「多分、何かの知り合いでしょ。でも、みんな、これ、朋美に言っちゃだめだよ。あいつ、びっくりしてショック受けちゃうからね。」


 久美子は真偽がどうかよりも、親友の朋美のことが心配になってしまいます。


「だよね、あいつ、足立先輩に憧れまくっているから、こんなこと聞いたら卒倒しちゃうよ。」


「私なら、ひょっとして自分にもワンチャンありかな、って思うけどね。」


「朋美はあんたとは違うの、あいつはアンモナイトの化石並みに純粋純情で一途なんだから。」


「ひど~い!じゃあ、あたしは何なのよ~!」


……少女たちの話題には際限がありません。


*****


 理恵子の葬式が終わってまもなく、まだ慎一だけでなく、理恵子の同級生たちもショックを引きずっている頃でした。同級生たちだけではなく、理恵子や慎一と同じ中学の後輩たちにも、まだその影響が残っていました。


 その日も、仲良し女子高生たちが、川沿いの道を楽しく賑やかに話しながら歩いていました。


「ねえ、久美子。あそこに歩いてるの、足立先輩じゃない?」


「またぁ、こんなとこに先輩がいるわけないじゃん、うちらの家の方向とは逆だよ。」


 また噂好きの好奇心探偵が始まったかと、少々うんざり気味に久美子が答えます。


「でも、ほら、先輩の高校の近くだし、あれ間違いなく足立先輩だったよ。なんか、セーラー服の女の子と歩いてるよ。」


「そんなわけないよ。」


 すると、別の女子が、その噂好き女子の話しを裏付けるように、またまた別の話しを披露します。


「でもさ、なんか変な噂聞くよね。三枝先輩が死ぬ前から、足立先輩がどこかの女の子と付き合ってるっ、て。」


「バカなこと言わないの、噂でしょ。あの先輩がそんなことするわけないじゃん。」


 久美子は、自分も好意を持っている先輩の話しだけに、変な噂話には取り合う気もありません。第一、大切な彼女を亡くして、あの優しい先輩がどれだけのショックを受けているかと考えると、無責任な噂に乗っかるなんて残酷なことは絶対に出来ません。


「ちょっとちょっと、じゃぁ、来てよ、みんな、行こう。」


「まったく……。」


 久美子は仕方なく友人たちに引っ張られていきます。


「ほら、あそこ。ベンチに並んで座ってるよ。」


「どれどれ、遠くてよくわかんないよ。」


「あっ、あたし、オペラグラス、持ってる。」


「さすが、アイドル追っかけ!いつも持ってんの?」


「いいじゃんよ!」


「ごめん、ちょっと貸して!」


 いい加減に親友たちの好奇心本位の噂話を打ち消すためにも、久美子はそのオペラグラスをひったくるように親友の手から取り上げました。


 久美子がオペラグラスの倍率を上げ、焦点を合わせながら、その河原のベンチに座っている二人を眺めました。確かに、男子高校生は足立先輩に間違いありません。そして、隣にいる女子高校生は、先日、足立先輩と一緒にいるところを見かけた女子高生と同じ人のように見えます。


 二人は何か、深刻そうに話をしています。とても、楽しそうに話をしている雰囲気とは、何かちょっと違うように見えました。久美子は、三枝先輩の友人の女の子と三枝先輩のことを話しているんじゃないかと、最初はそう思っていました。でも、次の瞬間、久美子は予想外の行動を見せられることになりました。それも決定的な行動を。


 その時突然、2人の姿が重なり合ったのです。


(!!……。)


 それはどう見ても その2人が抱き合って口づけをかわしているようにしか見えませんでした。そして、いつの間にか足立先輩の手も彼女の背中に回っているように見えたのです。つまり、足立先輩もその女性を抱きしめているのです。


(えっ!…ええっ!…。)


 この瞬間、久美子の頭の中で何かがはじけてしまいました。


 久美子の中の思い出の先輩の優しい笑顔、楽しかった先輩やみんなとの合宿生活、つらかったけど足立先輩から元気づけられながら朋美たちと頑張った部活動、その思い出が一瞬にして粉々に砕け散ったように感じました。


(あ、あなたは、…あなたは一体誰?…あなたは、今、そこで何をしているの?…きっと、あなたは先輩じゃない。私の知っている足立先輩とは違う全く別の人…。)


 久美子は愕然とし、その思いは千々に乱れました。


(先輩…、わたしも、先輩のことが…大好きだったのに…。朋美と同じように、先輩を…本当に、信じていたのに…。)


 突然に久美子の瞳から、とめどなく涙が溢れ出てきました。そして、その溢れ出る熱いもので久美子の視界がにじみぼやけて前が見えなくなりました。


(何も見えない…いえ、見たくない…このまま、何も見えなくていい。…見なければ、…見なければ良かった…。)


 何が何だか分からない久美子の友人たちが、もどかしそうに久美子の肩を揺さぶります。


「あれ何、何?え?どうしたの?ほら、なんか2人して抱き合ってる?何それ?久美子、見えてんでしょ!何があったの?あれ、何してんの?」


 矢継ぎ早の友人の問いには答えず、久美子はゆっくりとオペラグラスを外しました。しかし、久美子は溢れ出る涙を拭おうともせず、そのまま、宙を見上げます。河原の向こうにいる久美子が大好きだった人の姿から視線を外し、何か思いをまとめるように、そのまま天を仰いでいました。


「久美子、どうしたの?何で泣いてるの?」


 ゆっくりと顔を戻し、そして、両手で涙を拭った久美子は、目を吊り上げ、静かな怒りをたたえた声音で答えます。


「あんなやつ、先輩じゃない。」


 わけが分からない友人たちは、重ねて久美子に聞き返します。


「だって、あれ、足立先輩でしょ?」


 しかし、久美子の返答はにべもないものでした。


「あんなやつ、私は知らない。あれは私の先輩じゃない!」


 久美子には何が何だか分からなくなりました。ただ、なぜか無性に腹立たしくてしょうがなくなってしまい、そのまま、もと来た道を駆け出してしまいました。とにかく、その場所から一刻も早く立ち去りたい、決して見たくもないものがあるその場所から1㎝でも遠ざかりたい、そんな思いに駆られて久美子は駆け続けます。


「ちょ、ちょっと、久美子!待ってよ~~~~~!」


 友人たちは慌てて久美子の後を追いかけます。


 しかし、久美子の脳裏に浮かんだのはそこにいる親友たちでも先輩の姿でもありませんでした。それは久美子の親友の笑顔でした


(久美子、あんたがやらなきゃいけないことわかってるよね。あんな最低なヤツのために、あの子を悲しませちゃいけない。私が絶対にそんなこと、させない!させちゃいけない!)


 再び溢れ出始めた涙を拭おうともせず、駆け続けていく久美子は、密かに自分に誓うのでした。

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