三十二話 瓦礫

 全員が警戒を強めたのが分かるほど、その場の空気が固くなった。

 そこにあるはずだった研究所は、廃墟ではなくただの残骸と化していた。先ほどの昇降機と同じように。

 瓦礫の山には太陽の光が当たっている。周りは木で囲まれた場所であるが、木の枝はかつて存在していた建造物を避けるようにして、枝葉を伸ばしている。どう考えても、こうなったのは何年も前のことではない。数日前にここを訪れているというアルフェの証言と照らし合わせれば、ごく最近のことであるのは明白だ。


「おいおい……まさか、昇降機を壊した連中と同じ奴の仕業か?」


 ノンが瓦礫に近づきながら、動揺したように言う。周辺の警戒を怠らないようにしながら、僕らも歩を進める。

 アルフェとリアンはそれぞれに、用心深く瓦礫に触れている。


「また、魔術の痕跡」リアンが目を細めてつぶやく。

「みんな、気を付けてね」アルフェが珍しく、固い声で言う。「敵はきっと、ボクらを狙っている」


 しかしすぐにハッとしたように面をあげて、アルフェは言い直した。


「いや……狙っているのは、ボクだけか」

「アルフェだけ……?しかし敵は、まるで僕たちがここに来るのを分かっていたかのような動きをしているぞ。アルフェだけとは限らないんじゃないか?」

「ボクはここを数日前に訪れている。そして、ボクはある者たちのもとへ話をしに行っていたんだよ。そこで、ボクは近いうちに再びここを訪れることを伝えている。それを知っている何者かの仕業だと、ボクは考えている」

「アルフェは、僕たちの存在については口にしていなかったのか?」

「言ってないよ。タイミング的にも、ボクを狙っているとしか思えない。何のつもりか知らないけど」


 アルフェが手を上に掲げて、金色の杖を虚空から取り出した。上部には様々な色に輝く宝珠がついており、それだけでも相当に高価な魔術道具だと分かった。

 珍しく怒気を含んだ声で、アルフェは真っ直ぐに言い放つ。


「こんなのは、ボクにとっては何の意味もない」


 杖の先端を瓦礫に向けて、軽く振った。

 すると、瓦礫が意思をもったかのように浮かび上がり、そして元の形を取り戻していく。修復魔術だ。


「おお……!」


 ノンと揃って感嘆の声を上げる。僕たち軍人も修復魔術は扱うが、これは規模が違う。一般的には手で持てる範囲のものが限界だが、これは建造物。木組みの犬小屋などではない、立派な建物だ。

 目の前には、煉瓦造りの二階建てが姿を現していた。先ほどの損壊は夢だったかのように思える。


「すっげえ!流石は大魔術師!こんなことができるなら、さっきの昇降機も直してくれれば良かったのに〜」


 ノンがそんな事を言うので、僕は非難するように肘で突く。アルフェは気にしていないように笑い、杖を虚空にしまった。


「昇降機は無くてもよかったけど、ここはボクたちが仮の住まいにする大事な場所だからね。それに、翠の国の宿屋は使いたくない。ここじゃ余所者は注目を集めすぎるから」

「まあ、たしかに、俺ら観光客って感じの格好でも無いよなぁ」

「……アルフェ」


 研究所の出入り口、その扉の前にいたリアンが、アルフェに何かを差し出した。紙の切れ端のようだが、何だろう。


「これは?」

「玄関前に落ちてた。メッセージが書いてある」

「ふむ……アルフェ様へ、研究所での生活が困難になってしまいましたので、湖上の宿へ一時的に避難しています……研究員のお二人と巡礼者のセレンさん、わたしの四人、一緒です……か。マルカブからのメッセージのようだね」


 アルフェは文面を読み上げた後、それを懐へしまい込む。今のメッセージからして、残りの巡礼祭参加者の二人はセレン、マルカブの二人らしい。


「とりあえず、中で今後のことを話し合おう」


 玄関扉を開けて、僕たちに中へ入るよう促した。

 研究所の中は、予想していたよりも片付いていた。アルフェの修復魔術のおかげかもしれないが、書類や実験器具が床に散らばっているようなことは無い。入ってすぐ、目の前の廊下の先には二階へ通じる階段があり、左右の廊下にはそれぞれ二つの扉がある。

 アルフェは左の廊下へ進み、「客間」と書かれたプレートのかかる手前の扉を開けた。

 中にはテーブルとそれを挟むように置かれた三脚のソファがあり、壁際に並ぶ棚には何かの書物や書類、動物の骨のようなものが置かれている。壁には虫の標本や空の額縁がかかっていて、客間というよりは資料室のような雰囲気だ。


「適当に座って」


 アルフェが一人掛けのソファに腰を落ち着けるのを見て、僕はその向かい側の三人掛けのソファに座り、リアンとノンが隣に座った。アルゲニブだけは窓際へ向かって、白いレースのカーテン越しに外を眺めるように立っている。外を警戒しているのだろうか。


「それじゃあ、今後の予定について話し合おう」


 そう切り出したアルフェに、僕らはうなずいた。


「まず、リアンとノンの二人だけど、予定通り玄の国へ帰還してもらう」

「ええっ」と驚きの声を上げたのはノンだ。「研究所が破壊されるような状況なのにか?」

「そう言いたい気持ちも分かるけど、これ以上特化討伐部隊に穴を開けたままにするわけにはいかない。ただでさえ人員不足なのに、上層部を抑えて総統命令で無理に連れてきてしまったからね。それに、十年前のようなことがまた起きては敵わない。キミたちの本来の仕事は、イデアの脅威から民衆を守ることだよ」

「うう……それを言われると弱い……」

「それは分かっていたことだし、異論は無いけど。どうやって帰還すればいいの?」リアンが軍帽を脱いで質問する。

「おそらく、明日か明後日頃には軍の本部塔の転移ゲートが復旧するはず。ここもかつては駐屯場所の一つとして使われていたから、転移ゲート自体は存在する。一時的に接続を復活させて、それで帰還してもらうよ。ただ、これは臨時的な処置だから、起動には使用者自身の魔力を使うことになるけどね」

「使えるの?長い間放置されていたのに」

「壊れていても、ボクが術式の修復をしておくから心配ないよ」

「はぁ、楽しい旅行……もとい警護もこれでおしまいかぁ」


 ノンは名残惜しげにぼやく。足早に通り過ぎるばかりで、観光もほとんどできないような旅路だったが、人が死ぬ場面に遭遇しないというだけで、楽しいと思える気持ちは理解できる。憎悪や悲痛な叫びを聞くことも無い日々に戻りたいと、ノンは思っているのだろう。特化討伐部隊の任務はいつでも血の匂いがする。

 僕も実際のところは、ノンと同じような気持ちなのかもしれない。たった数日、任務につかなかっただけで、憎しみの味を忘れかけている。僕にとって、それは忘れたくないことなのに。時間が感覚を薄れさせる。僕はこの感覚が嫌いだ。まるで自分で自分の過去を否定しているようで、本当が嘘になってしまうようで、嫌だ。

 だから、過去が過去として完全に過ぎ去ってしまう前に、この旅に参加することができて良かったと、心の底から安堵している。


「やることが沢山あるね。マルカブたちを呼び戻さなきゃいけないし、念のため防御結界も張っておきたいし、犯人探しもしないとだ」


 アルフェは子どものように手足を投げ出して、ソファにもたれかかる。


「必要なら、あたしとノンは外で見張りをする」

「いや、大丈夫。それはアルゲニブに任せて、ボクたちは中を見て回ろう。転移ゲートの状態も確認しなくちゃ」


 一瞬、アルゲニブが何か言いたげな視線をアルフェに向かって投げたが、何も言わずに窓を開けて外へ出て行った。上に飛んでいくのが見えたので、屋根の上にでも登ったのだろうか。ひとまず、周辺の警戒はアルゲニブに任せてよさそうだ。

 その後、僕らは研究所内を見て回り、どこに何があるのかを確認した。客間の隣はキッチンとダイニングルームがあり、誰かが作った食べかけのお菓子がテーブルの上に置かれていた。研究所が破壊された際に割れて粉々になっていたであろう食器類も全て、元の通りになっている。いや、元の通りかは知らないが、とにかく壊れているものは無かった。

 反対側の廊下の二部屋は、二人の研究員の部屋だった。私室と呼べるような生活感は無く、実験道具と瓶詰めの資料が棚から溢れ出して、移動式の黒板には複雑な専門用語と写真が所狭しと貼り付けられている。ビーカーからはなぜかコーヒーの匂いがした。薬品の匂いばかりがする中で、その匂いだけが生活感を漂わせていた。

 二階は四部屋の宿泊用の個室と、倉庫があった。四部屋のうちの二部屋は二人部屋だ。今は湖上の宿にいるという四人が帰ってくるのは早くても明日以降だろうから、その間は僕たちで部屋を使っても問題ないだろう。倉庫には使わなくなった家具や非常用の缶詰などがあった。いくつかの埃をかぶっているものは

階段の下には地下室への扉があったが、そこには入る必要は無いとアルフェが止めた。中は酷い散らかりようで、扉を開けるだけで悪臭が漂ってきてしまうらしい。数日前に訪れた際、不用意に開けて後悔したのだそうだ。


「リアンは俺と相部屋な〜」

「馬鹿」


 ノンの冗談はさておき、二人部屋のひとつを僕とノンが使い、一人部屋の一つをリアンが使うことになった。というのも、一人部屋のうちの一つは明らかにマルカブの私室と思われる部屋で、ドアにもそれが分かりやすく記されていたためである。そして二人部屋の片方にも、誰かの荷物と思われるものが散乱しており、消去法で割り振りが決まったのだった。


「なんか、学校の寮を思い出すよな」

「ああ、たった数年前のことなのに、なんだか懐かしい」


 軍学校の高等部で、途中からノンと相部屋になった時のことを思い出す。あの頃は、ここまで長い付き合いになるとは夢にも思っていなかった。


「ま、明日か明後日には帰らなきゃいけねーんだけどさ」


 ベッドに寝転がりながら、ノンは窓の外を見る。僕も窓に近付いて、下の様子を眺めた。

 裏庭の転移ゲート跡に、アルフェがいる。状態を診ているようで、転移ゲートの内部術式が可視化されて赤い光を放っていた。


「そういえば、アルフェとアルゲニブはどこに泊まるんだろう」

「今日中に湖上の宿へ行くって言ってた」


 僕の疑問に答えたのは、いつの間にか部屋に入ってきていたリアンだった。軍帽も上着も脱いで、軽装になっている。


「アルゲニブは、外で寝るって」

「え?ってことは野宿?」

「さっき、本人に聞いた」さっき?本人に?「部屋の窓から屋根に登ったら、いたから」

「そ、そうか……」

「アルフェは今転移ゲートの修復中。それが終わるまで待て、とのこと。報告終わり」


 リアンは踵を返して、部屋を出て行く。かと思いきや、振り返って僕らに手招きした。


「お腹すいた」

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