三十一話 昔話

「研究所について、少しだけ昔話をしようか。どういう場所なのか、ちょっとでも知っておいた方がいいと思うから」


 アルフェが歩きながら語り始める。


「翠の国にある玄の研究所が一番初めに建てられたのは、百年以上も前のこと。

 当時は今より国の数も人口も多く、戦争が起きることがしばしばあったんだ。そんな最中に建てられたのが、今ボクたちが向かっている玄の国第二研究所。

 自然と共存していくことを良しとする翠の国と、自然を大量消費する科学技術を扱う玄の国とでは、当然ながら相性は悪い。これは誰もが知っているね。なかば無理矢理に建てさせた研究所だったこともあって、反発した過激派の住民たちとの衝突が起きることもあった。

 それでも戦争にまではならなかったのは、お互い、戦争をして何かを奪い取ろう、何かを消し去ろうという目的は無かったからだろうね。……いや、これは傲慢かな。翠の地に住む者からしたら、侵略のための拠点としか思えなかっただろうから。

 それでもボクたちは、強引なやり方ではあったけど、ただ手伝ってほしかっただけなんだ。翠の国は最も多くの種族が住まう地だから、研究に必要な資料がたくさんあった。その研究は、世界中のありとあらゆる者たちにとって大事な、とても大事なものでね。まずはそれを根気よく主張し続けた。危害を加えるようなこともしない、ともね。

 場所に岬を選んだのも、彼らが重視する縄張りを避けてのことさ。まあ、住む者のいない土地も彼らにとってはある程度大事な場所だったから、歓迎なんてされなかったんだけどね。

 それでも、樹人族や獣人族、妖精族たちと交渉し続けて、数年後にようやく研究を容認された。族長たちから出された厳しい条件下で、認めない人たちも多くいたけれど、様々な支援や補償を支払うことを対価として、ようやくね。協力的になってくれる者たちも、少数ながらいたんだ。

 肝心の研究内容だけど、主に各種族の生態調査だった。血をもらったり、細胞を取ったり、生活習慣や体質を調べたりした。そうして少しずつ、ヒトではない者たちを内側から解き明かそうとした。

 うまくいっていたよ。途中までは。

 結論から言えば、イデアが全てを台無しにした。いつものことだよ。

 協力者が増えて、研究が軌道に乗って、これからもっと本格的に動いていく……そんな時に、イデアは現れた。それも一度や二度じゃない、何度も何度も。イデアの出現頻度は異常だった。当時も特化討伐部隊は存在していたけど、それでも防ぎ切ることができないような有様だった。研究員や、研究の協力者にも死人が出始めてしまったよ。

 おかげで研究所は忌避すべき場所となってしまった。玄の国はイデアと結託している、なんていう噂も立つくらいに。笑えるよ、それを本気にしている輩が大勢いるんだから。でも、状況的にそう言われても仕方のないことだったとも思う。悔しいけれど、本当のことなんて誰も信じてはくれなかった。

 その後も色々と嫌なことが起きて……今ではもう、研究所には物好きな研究員が二人だけ、いや、あの子も入れれば三人か。今はそれだけしかいない。研究も、進んでいるのかいないのか。

 建物自体も老朽化が進んでいるのか、外から見たら廃墟のようになっていたよ。中は人が住める程度に手入れされていたから、翠の国にいる間はボクらの拠点として扱うつもりでいる。

 ……さて、このくらいにしておこうか」


 アルフェは深く息を吐いて、話を終えた。

 研究所のことについては、今は事実上放棄されているということだけは聞かされていた。昔は特化討伐部隊の駐屯地としても使われていたそうだが、研究が立ち行かなくなってからはイデアの出現は激減して、立地の悪さも相まり今では廃墟同然である、と。研究員が二人いるというのは、初めて聞いた。もう一人いるようだが、研究員では無いのか。


「そんな場所なら、別のところを拠点にした方が安全じゃねーの?」とノンが疑問を口にする。

「そう思うよね。玄の国みたいな都会に住んでいると、いまいち分からないかもしれないけど、ここは村社会の集合体みたいなところだからね。どこにいたって、他所者は目立つ。探られる。だったら初めから、こっちはこっちの縄張りを使った方がいいでしょう」

「誰も寄り付かないから、ある意味好都合ということね」


 今はどうか知らないけど、とリアンが小さく付け足した。破壊された昇降機のことを気にしているのだろう。避けられているはずのこの周辺に、誰かが立ち入ったことを示す証拠なのだから、そう言うのは当然だ。

 辺りは既に草木に囲まれ、海の青は見えなくなっていた。そんなに長い距離は歩いていないので、研究所にはもうすぐ着くだろう。

 アルフェが不意に立ち止まった。


「ここが」


 不自然に言葉が途切れる。

 僕は訝しんで、アルフェの背中から、その先へと視線を向けた。


「……え?」


 そこにあったのは、とても研究所とは呼べない、瓦礫の山だった。

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