十六話 総統

 僕は数時間前のそんな出来事を思い出した。


 にっこりと、優しげな笑顔を見せる少年を前にして、誰も何も言わない。というか、何を言ったらいいのか分からない。

 クセのあるふわふわとした焦げ茶色の髪。後ろ髪を三つ編みにしてまとめている。紫のブラウスに茶色いベスト……

 自身の記憶に残る総統の姿と、似ても似つかない。というか、見た目が若すぎる。あの蓄えた髭はどこに?いやいや、それよりもこの少年は明らかに先ほどあの庭園で出会った少年じゃないか。

 ……もしかしてこれは、笑うところか?

 思考がまとまらず混乱していると、少年を無言で凝視する僕たちの後ろで、「くくく」と笑いを堪えるような声が聞こえた。声の主はもちろんアフェット隊長だ。

 やはり笑いどころだったのか、などと思っていると、少年が口を開いた。


「ふふふ、驚かせたかな?」

「いや……え?」


 ノンが戸惑って、少年と隊長を交互に見ている。


「冗談?もしかして俺ら、からかわれてる?」

「冗談でもないし、からかってもいないよ。ほら、アフェット。笑ってないで」


 困惑する僕らを横切り、少年はアフェット隊長の隣に並んだ。僕らはテーブルを挟んで向かい合うことになる。

 少年は、先ほどまで隊長が持っていた書類を紐解いてテーブルの上に広げ始めた。

 するとリアンが動揺のかけらもなく、平常のトーンで訊く。


「本当に本人?」


 少年は引き出しを開けて地図を取り出し、それを見ながら答える。


「本人だよ。アフェットが証明してくれる」

「え?隊長が?」と僕は思わず反応する。

「ああ、さっき言っただろう?総統閣下に呼び出されていたって。その時、俺たちの目の前でこの姿に変わったんだ。最高の術者であることは当然知っていたが、まさかこんなことまでできるなんて驚いたもんだよ」

「ふーん」とリアンが興味無さそうに言う。「まあ、あんなふうに空間魔術使えるなんて総統くらいしかいなさそうだし、本当に本人っぽい」


 リアンの言葉に引っかかるものがあった。空間魔術?

 疑問の視線を受けて、リアンは少し呆れ気味に僕を見返した。


「倫もノンも気付かなかった?」

「……あっ」逡巡して、僕は気付く。「さっき部屋に入ってきた時のことか?」


 リアンが肯定した。

 さっきは入ってくる人間のことにばかり気を取られていたが、よく思い返してみると扉の向こう側の空間が、廊下とは違う景色だった気がする。

 しかし、作戦室の扉には何かの術式が記されているわけではない。本来ならば、転移ゲートのようにあらかじめ術式を置いて、移動先にも同じくそれを置くことでその二間を繋ぐことができる。術式もなく、魔術陣すら出さず、別々の扉と扉を繋げて移動するなんて……たしかに、これは並大抵の術者では扱えない魔術だ。

 アフェット隊長の話や空間魔術のことからして、この少年は総統閣下本人で間違いなさそうだ。つまり……あの庭園で出会ったのは総統閣下本人で間違いないということだ。

 あの時僕はどういう応対をしていたっけ?はっきり言って、僕は愛想の良い方ではない。おまけによく目つきが悪いと言われている。

 …………。

 僕は腰を直角に折り曲げて頭を下げた。そしてこう言う。


「申し訳ありませんでした」

「えっ?」少年……じゃない、総統が虚を突かれたような声を上げる。「急にどうしたの?」

「いえ、先ほどお会いした時には、まさか総統閣下だとは思わず……知らぬこととはいえ、無礼な態度をとったこと、お許しください」


 処分内容は除隊以外ならなんでもいい。己の不用意な行いで、この隊にいられなくなることだけは避けたい。僕のせいで隊長に悪印象がつくこともだ。総統閣下はなんでもなさそうな反応だが、とにかくこれは謝るべきだ。……冷や汗が出てきた。

 ノンが訳がわからないというように「え?は?」と戸惑う声が聞こえる。リアンは「倫はもう会ってたんだ」とぽつりと言う。


「さっきのこと?全然気にしなくていいから!ほら、顔上げて」


 総統は優しくそう促す。僕はそうっと顔を上げて相手の表情を見る。

 ……怒りの色はない。というか困り気味だ。子どもの姿をしているからか、何か罪悪感すら湧く。


「ね?ボクはまったく気にしてないから。むしろ、あのままの態度で接してくれていいんだよ?」

「なんだ倫、お前はこの姿のアルフェともう会っていたのか。そりゃ吃驚して当然だ」と隊長が笑う。

「アフェットから聞いていた通り、キミは真面目なんだね」


 総統も笑っている。僕はその笑顔に安堵し、ようやく姿勢を戻す。そういえば今、隊長はこの人のことを「アルフェ」と呼んだ。こんな姿とはいえ、そこまで距離の近い接し方で良いものなのか……?


「倫、そんなに真面目だとこの先苦労するぞ。お前はこれから長い間、この総統閣下と一緒にいることになるんだからな」

「はい……?」どういうことだ。聞き間違いか?

「この姿なら、接しやすいと思ったんだけど……まあ、きっとそのうち慣れるよ」


 自身の体を見ながら少し残念そうにしている総統だが、すぐにその顔に微笑みをたたえて言う。


「とりあえず、ボクのことはアルフェとか、アルって呼んでほしいな。総統閣下とか、身分が分かるような呼び方で呼ぶのは禁止。敬語もダメだよ?キミだけじゃなくて、リアンとノンの二人も」

「え!?俺らも!?」

「わかった」


 突然矛先を向けられて驚くノンと、あっさり承諾するリアン。リアンがいつも動じない性格なのは、以前から知っていたことだが……流石にいつも通りすぎやしないか?こいつ、何なら驚くんだ。


「ボクたちはこれから長い付き合いになるはずだからね。いちいち立場を気にしている暇なんて無いよ」


 そこで僕はおずおずと手を挙げて、先ほどから気になっていたことを口に出した。


「あの、長い間とか、長い付き合いとか、全く話が見えないのですが……」


 すると総統はにっこりと笑って僕の疑問に答えた。


「キミにはこれから、ボクと一緒に旅へ出てもらいたいんだ」

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