あたしも聖女をしております

斉藤加奈子

第一章

第1話 始まりの前

 マリエッタは今、王城のとある一室の扉の前に立っている。


 目の前には百合のレリーフが施された美しい木製の扉。


扉の取っ手は純金製で、扉でさえもその豪奢な作りに自分が場違いな所に来てしまったと再び思い知る。


しかも扉の向こうでは王女であるエリザベートが待っていると思うと、あまりの緊張に今にも嘔吐いてしまいそうだった。




 今朝は早くから父親に連れられて、マリエッタは登城した。


王城で暮らす王女であるエリザベートの『学友』となるためだ。今年で七才になるエリザベートの教育が本格的に始まる事に伴い、共に学び、共に成長し、時に友として支え合う『学友』としてマリエッタが選ばれた。




 マリエッタの生まれは領地無しの男爵家だ。


父親の名はフランツ・シューツェントといい、宮廷音楽団の団長をしている。髪は栗毛でエメラルド色の瞳を持った、とても穏和な性格で子供に甘い父親である。



母親の名はマーガレット・シューツェント。結婚するまで宮廷音楽団のピアニストをしており、フランツとの結婚を機に引退していたが、三年前に復帰した。


ブロンドの髪にブラウンの瞳、垂れ目に泣きぼくろが印象的なおっとりとした美女だ。


三つ上の兄の名はフィリップス。父親から受け継いだ栗毛の髪にエメラルド色の瞳、母親から受け継いだ垂れ目をしている。


微笑むとへにゃリと相好を崩した表情は『癒し系』と言われ婦女子に大変人気がある。


将来、父親に負けないくらいの音楽家になるため、日々バイオリンの練習を積み重ねている努力家だ。


そんな優しい家族に囲まれて、音楽の溢れる家庭ですくすくと育ったマリエッタであった。



 そして昨夜、誕生日でもないのに夕食はマリエッタの好きな料理ばかりが並び、デザートも二つも出された。


「お誕生日でもないのに、どうしてあたしの好きなお料理ばかり作ってくれたの?」


嬉しいはずの特別な料理が、なぜかマリエッタを不安にさせる。

マリエッタが理由を聞いてもその場では教えてもらえず、夕食後に家族の集うサロンで説明を受けた。


「マリエッタ。マリエッタは栄誉な事に今年七才になられるエリザベート王女様の『学友』に選ばれたのだよ。」


フランツは『栄誉な事』と言いながら、どこか神妙な面持ちだった。


「がくゆう、ですか?」


「ああ。そうだよ。明日からは、マリエッタは王城で暮らして王女様と一緒にお勉強するんだ。」


「あたし一人ですか?お父様とお母様は一緒ではないのですか?」


「そうだよ。でも私もお母様もお仕事で王城へはよく行くんだ。時々会いに行けるから大丈夫だよ。」


優しく言い聞かせるようにフランツは説明した。


「そうよ。マリエッタ。私も会いに行くから、寂しくないわ。

エリザベート王女様とのお勉強はきっと楽しいし、一流の教育が受けられる。

大きくなったら母より素晴らしい淑女になれるから。」


そう慰めるマーガレットもどこか浮かない顔だった。


「あっ、あっ、あたひはっ、ぐしっ、こ、このお屋敷から出たく、えっ、えぐっ、あ、あ、ありましぇん。」


「マリエッタ。すごいじゃないか。男爵家の者が王族と仲良くなれることはすごいよ。ぼくはマリエッタを誇りに思うよ。」


泣きじゃくるマリエッタにいいこいいこしながら、兄のフィリップスは懸命に慰めた。


その夜は泣きじゃくるマリエッタをなだめながら、家族みんなで寝かしつけた。


そして今朝、フランツに連れられて馬車に乗り、登城したのである。



 城門をくぐり、王族の住まう城の大扉の前へ馬車を着けると、王宮筆頭執事のベルナルドが出迎えた。


年の頃はフランツよりも少し年上だろうか。立ち振る舞いは丁寧だが、どこか淡々としたベルナルドの挨拶を受けると、一人の女性を紹介された。


「メリッサ、前へ。」


「はい。」


「マリエッタ様の身の回りのお手伝いに、メリッサをご紹介させて下さい。

王城での生活で必要な事は全て仕込んでございます。きっとマリエッタ様のお役に立てる事と存じます。」


「・・・はい。よろしくたのみます。私がマリエッタです。」


「ありがとうございます。マリエッタ様。メリッサと申します。何かご用命等ございましたら、何なりとお申し付け下さいませ。」


「ではメリッサ。マリエッタ様をご案内差し上げて。」


「はい。ではマリエッタ様、先ずはマリエッタ様のお使いになるお部屋へご案内致します。」


 そのままマリエッタだけが連れて行かれ、後ろ髪を引かれる思いでフランツと別れるとメリッサの案内で王城の一室へ通された。



 与えられた部屋はとても広く、白い壁、白い天井、植物をモチーフとした金色の装飾、ひらひらとフリルの付いたピンクのカーテン、ひらひらの天蓋つきベッド、きらきら三面鏡のドレッサー・・・。


眩しいほどひらひらきらきらした部屋はマリエッタには分不相応な部屋だった。


「まるでお姫さまみたい・・・。」


「おっしゃる通りです。エリザベート王女様と同じ部屋の設えとなっています。」


なぜ、王女と同じ設えの部屋を用意してもらえるのか訳が分からなかった。


メリッサはそれが当然と言わんばかりの顔をしながら、クローゼットから水色のドレスを出した。


「今からこちらのドレスへお着替え頂きます。こちらへどうぞ。」


そう言われると、可愛らしく質のいい水色のドレスに着替えさせられ、髪は縦巻きに整えられた。


着替えが終わると、「王女様が学習室でお待ちです。」とまさに今、エリザベートの待つ部屋前まで案内されたところだった。

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