なんでもない日常

山本清流

 ファンクラブの運営スタッフ

 溜息がこぼれた。何度目だろう。ダメだとは思いながらも、ついつい喉の奥から込み上げてきて、吐き出したくなる。わたしは、吐いた溜息を吸いこむように肩で息を吸ってから、目の前の仕事に向かった。


 山のように資料が積まれたデスクの上は、ファンクラブ会員からの要望書であふれていた。これほどまでに要望書が届いたのは初めてだ。以前は、仕事の合間に時間を見つけて目を通すくらいだったが、いまは、要望書に目を通すこと自体が立派な仕事になっている。


 わたしは、溜息をこぼさないように気をつけながら、要望書のひとつずつに目を通していった。


 わたしは、最近流行りのバンド、『レッドドラゴン』のファンクラブの運営スタッフだ。主に雑用をしているだけだが、ファンクラブの改善のために、さまざまな企画を立て、いくつか実施してきた。もちろん、ファンクラブというのは、アーティストの活動を支えるうえで大切な母体であるし、ファンとの交流でもあるし、ぶっちゃけてしまえば、「多くのお金を払ってくれるヘビーのファン層」にお金をたくさん払ってもらうための仕組みでもある。


 わたしは、要望書のきつめの言葉に目を通しながら、思う。やりがいがなかったわけではない。もともと、エンターテインメントに携わりたいと思っていたし、トップアーティストのファンクラブ運営に携われるなんて、恵まれているとも思う。しかし、その肝心のアーティストが、不倫するとは、いただけない。


 そのことを頭に浮かべると、また、溜息がこぼれそうになった。


 『レッドドラゴン』のボーカルの不倫が報じられたせいで、現在、『レッドドラゴン』のファンクラブ会員の脱退が急激に進んでいる。ファンクラブ会員からの怒りの声は留まるところを知らない。要望書などと称して、『レッドドラゴン』のボーカルを痛烈に批判するような内容の文章を、さきほどから、ずっと読みつづけている。


 許せない、だの、信じて応援してきたのに、だの。


 わたしは、思うのだ。同感です、と。


 いったい、わたしはなにをしているんだろう。人を悲しませるために活動しているわけではなかったのに。いままでの活動はなんだったのだろう。そして、いま現在のわたしの活動はなにになるんだろう。


 わたしは、要望書に目を通していき、返答すべきものには返答していった。その中に、『応援しています』というメッセージがあった。わたしは、ちょっとだけ嬉しくなった。


 ちょっとだけ、だけど。


 仕事の帰りに、大好きなイチゴケーキをひとつ買って、ひとり、ゆっくり食べようという計画が不意に頭に浮かんできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る