殿軍
頬を掠める弾丸。
火を押し当てられた時の様な熱を持った痛みが奔る中、僕を人質に取っていた男の頭が爆ぜて、その血を浴びる。
痛みで流れるはずの涙はそれを塗り潰す恐怖で押しつぶされて、それでもどうにか見上げた先にあるのは、機械の様に温度の無い冷たい瞳。
それが僕の心に焼き付いたセピアに彩られた原風景。
敗北の匂いがすると胸の内に浮き上がるソレの中には自分と、死体と――英雄と呼ばれる父だけがいた。
微睡みからの覚醒でセピア色の夢が砕けて消える。
人が死んでこその敗走だ。
そんな中で殿軍を勤めているせいだろうか?
濃い敗北の匂いは僕が小さく、弱かった頃の思い出を見せてくれた。
「……」
実に良い迷惑である。
そんなことを考えながら背伸びを一つ。パキパキと小気味よく背骨を鳴らしながら現状を思い返す。
現在地はスクルート・セカンドから人の領域に伸びた道の途中。
人が弱ったこの時代、街から外れてしまえばそこにあるのは剥き出しの自然だ。
だから僕の視界に入るのは人を拒絶する白銀、冬だった。
重く、鉛の様に広がる雪国ならではの冬雲は、自身が生み出した雪を守る様に日の光を遮り、地面を白に染め上げる。
左右にツリークリスタルが並ぶ山道。
そこに刻まれた轍と足跡。それはここを通って人が動いた証であり、それを刻んだ彼等を守ることこそが僕の部隊に与えられた任務だった。
弱者の味方。
ただ、そうである。
自身をそう定めたショウリは一切の計算をしない。
強いモノを未来の為に残す。そう言う大局的な視点を敢えて持たない様にしている。それ故に今の弱者を生き残らせる為だけに、最善の一手を打つことが出来る。
未来で多くの人を救う。その為に戦力を残す。今負けても、最後に勝つ為の一手。それを
未来と言う定まらないモノに希望を託すことなく下される一手は後の歴史では悪手と呼ばれ、ショウリを暗愚と呼ばせるモノなのだろう。
それでも今を生きる人々には救いであるし――
「……さむい」
「……」
あたまいたい。
基本的にアイリは弱い。
只一点、他の追随を一切許さない才能があるだけであり、兵士と言う目で評価を下した場合、新兵としてみても落第クラスだ。
足が遅い。体力が無い。だから行軍は思う様に進まない。
だが突出したその一点のみで僕の部隊を支えてくれていると言うのもまた事実だ。
足手纏いの最高戦力。
それがアイリに対する僕の評価だ。
疲労の色が隠せていない顔を見ると休ませてあげたい気もするが、現状、そこまでの贅沢は出来ない。時は金也。そんな言葉があるが、戦地での時は更に高くつく。金で時間が買えると言うのならば破産する兵士はいくらでもいるだろう。
どうしたものか? そんなことを考えるが答えは出ない。
「――殿、隊長殿?」
何時の間にか下士官の様に振る舞う様になったP。
彼から掛けられた言葉で僕は思考を打ち切った。
アルを失い、一人火を囲み震えるアイリから少し離れたテント。火鉢代わりのモノズを囲んでいた僕はそれでpに視線を移す。
瞬きを三回。吐き出す息が白く曇るのを見ながら、その空気に乗って体温が漏れるのを嫌い、師走が造ってくれたフェイスガードを引き上げて口を覆う。そうしてから再度、はぁ、と肺を広く広げる様にして暖気を吐き出し、フェイスガードの内側に暖を送った。
「すまない。もう一度」
「……お疲れですかな?」
片眉歪めながらのPの言葉に「人並程度には」と言葉を返す。そうすると冗談でも聞いたかの様に声も無く笑われるのだから止めて欲しい。
撤退戦以来、僕を上に置くことにしたらしいP。
その理由の大半は僕の兵士としての性能に置かれている。
それ故に、笑いの中に孕んだ言葉は『お前がこの程度で疲れるわけがないだろ?』だ。
――勘弁して欲しい。
確かに僕の身体能力は優秀かもしれない。
それでも疲労はするのだ。
休みたい。楽になりたい。もうゴールしたい。
それがここ二日ばかりの僕の本音だ。だが、今、ソレを表に、口に出してダレることは許されていない。
「……」
無言で頬を張る。良い音がしたので、足元のアルが、なにごとか! と見上げてくる。舌が出ていた。心配していると言うよりも、たのしいことですか? とでも言いたげだ。好奇心が詰まったコッペパンを疲労させるには四日に渡る雪中殿軍程度では足りないらしい。
戦う為に施された遺伝子改造は、アルから戦場とドッグランの区別を奪ってしまった様だ。毎日毎日、一日に何回も遊びに連れて行って貰えている程度の認識なのだろう。銃の鳴き声に怯えることなく毎日好きなだけ走って、好きなだけ食べて、好きなだけ寝る仔犬様は今日も今日とてブーステッド種の癖にご先祖様のお古である雷マークの付いた黒いドッグアーマーを着込み、ご機嫌であらせられた。
何となく両足で挟んで逃げられない様にしてからしゃがんで、にー、とアルの頬を引っ張る。そんな乱雑な扱いでも構って貰えたのが嬉しいのか、放してやればそこには、にぱ、と笑顔。
僕が怠けることが出来ない様に、と姉に掛けられた呪いは今日も健在だ。
「それで?」
だから僕は立ち上がり、Pに向き直り、そう言う。
「敵です。犬が見つけました」
おい、と言うPの呼びかけにシベリアンハスキーを連れた同年代位のトゥースの男が一歩前に出る。「……」。顔は覚えていない。名前も当然覚えていない。つまりは覚えなくても良いと判断した人物。その程度の相手だ。
だが、連れている犬はウチのきな粉おはぎよりも優秀なようで、じゃれつこうとするアルを無視して、しゃん、とお座りをしていた。
凛々しい三白眼。それを持つ彼がキリッとした表情で座る様は歴戦の軍人を思わせた。
――人の方は兎も角、犬の方は優秀そうだな。
「道なりに追って来ておるようです。接敵まで一時間ほどかと」
失礼なことを考える僕の前で、少し硬い声で彼はそんなことを言う。
「……一応、確認を。犬種は?」
目くばせを受け、Pが机と地図を引っ張り出すのを横目に見ながら問いかける。「サーチャーです」そんな答え。
「経験も積んでおりますので読み違えは無いかと」
「……経験ね」
「一番嗅ぎ慣れているのは軍の連中のモンですが、虫と泡もしっかり嗅ぎ分けられます」
「……」
得意気に相棒を自慢する彼は案の定、元賊らしい。微妙に使い慣れて居なさそうな敬語はその辺りが原因なのだろう。
そんな彼に紹介された相棒を見る。アル然り、この時代の犬は完全に人の言葉を理解できる。それでも発声が出来ないので会話は出来ない。それ故のボディランゲージ。表情を変えないシベリアンハスキーは彼の相棒の翻訳が間違っていないことを態度で表しているのだろう。
歴戦のシベリアンハスキー・サーチャー。
ブーステッドのアルが全体的に能力を底上げできるのに対し、五感にしかブーストが掛けられない彼等は、それ故、アルよりも鼻が効く。
「……」
信じるには十分だ。
僕はアル用のジャーキーをハスキーに手渡し、彼の相棒に「索敵を継続してくれ」の指示を出す。
貰えると思っていたジャーキーが貰えなかった驚愕からだろうか?
僕を見つめるアルのどんぐりの様な円らな瞳がいつもよりも丸くなっていた。
一匹と一人を見送り、地図に視線を移す。
武器を思い浮かべる。最高の狙撃手の存在がまず浮かんだ。だからソレを起点に考える。ソレが生きる様に考える。
「敵の、足を止める」
カバーに隠れての撃ち合いに持って行く。そうして止まった戦場で顔を出した敵をアイリに撃って貰う。
敵の駒と、自軍の駒、それとアイリを示すコーギーの駒を置いた。
「姫君の疲労を減らした方が良いかと」
言いながらPが地図に駒を置く。それは敵の駒の背後に置かれていた。挟撃。成程。確かに良い手だ。だがそれ位は僕でも思いつく。思いつくが提案しなかった。何故なら――
「この駒の役割を果たせる奴が居ない」
防衛ラインで精一杯だ。槌と金床の戦術をとろうにも槌が弱過ぎる。
「金床の方であれば数でこなせます。槌の方を私と、隊長殿、それと戦闘向きのモノズを加えた何人かであれば……」
「そこまでの信頼は――」
「先程の貴方が名前も覚えていなかった部下はどうでしたか?」
「――、」
出来ません。言おうとした言葉に被せられ、むぅ、となる。
正直に言わせて貰えるのならば――意外にも使える兵だった。犬が優秀なだけ。そう言う見方も出来るが、その優秀な犬を育て、その犬に信頼されていると言うのは彼の能力だ。
「悪い癖が、付いておりますな」
嗜める様にPは言う。人材の見切りが早過ぎるとPは言う。
そうだろうか? そう考えて、自身の経歴とPの経歴を比べて、あ、となる。経験の浅い若僧。それが僕である。
そんな自分が他人を測ると言うのは中々に傲慢だ。「……」少し、反省する。深呼吸をして、地図を見て、戦力を思い浮かべる。
「分かりました。ただし、……アルと、アイリのモノズの半数をアイリの護衛に付けます」
それとあなたは金床側に。
「それでは槌が弱くなりませんか?」
「大丈夫だ。君は知らないかもしれないが、将としては未熟かもしれないが……実は兵としての僕は中々のものなんだよ、P」
「ほほぅ?」
つまり? と面白そうにPの眉が持ち上がる。
「デカい口を叩いた分くらいの仕事はするよ」
そう言うことだ。
あとがき
お正月はどうでしたか?
自分は寝正月……を過ごされるお犬さまの布団としての役割を全うしました。
撫でるの止めると前足でカリカリやられるのです。
そんな訳で明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
え? 俺が遅い? 俺がスロウry
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