第6話 忠正の試練①─忠盛の願い─



   1



 鳥羽院の御代になってから、海賊による殺人や略奪が西国、特に瀬戸内海で横行していた。そのため、庶民はもちろん、現地を治めている受領ずりょうたちや、海岸沿いに荘園しょうえんを持つ貴族たちは、凶悪な海賊たちによる略奪行為に恐れをなしていた。


 貴族や皇族、寺社の荘園が荒らされては困る、と判断した朝廷は、西国へ追討使ついとうしの派遣を決めたのだ。



 内裏では、西国に派遣する追討使を誰にするかの議論が進められていた。


「院、我が藤原摂関家に仕えている源氏の武者、源為義はいかがでございましょうか?」


 忠実は、摂関家に仕えている為義を推挙した。


「関白殿下。あれに任せてもらっては困ります。為義が受領をした国は、ほとんどの確率で治安が悪化し、民力が衰退しておりまする」


 為義を推した後にドヤ顔を浮かべている忠実に、院近臣 藤原通憲ふじわらのみちのりは噛みついた。


「南家の分際で、この摂関家の忠実に意見するとは、何様のつもりだ!」


 忠実は尺を通憲に向け、唾を飛ばしながら言う。


「関白殿下。では、お聞きします。あなたの大切な荘園が賊に襲われ、実入りが減ってもよろしいということで?」


 通憲は笑顔で忠実に訊ねる。


「構わぬ。下賎の者の命など、いくらでもくれてやれ! 荘園は海だけではない。陸にもある」


「ほうほう。それはそれでよいでしょう。では、その賊が貴方の海側の荘園を奪い取り、陸側の荘園まで奪い取ったなら、どうするおつもりですか?」


「ううっ・・・・・・」


 忠実は顔を真っ赤にし、歯を食いしばりながら黒い直衣の袖を強くつかむ。


「まあ、二人ともカッカなさらず」


 通憲と同じ院近臣 藤原家成ふじわらのいえなりは続ける。


「ここは、院の信頼が厚く、長い間西国を拠点としている、忠盛殿はいかがでございましょうか?」


 家成の提案を聞いた貴族たちからは、


「忠盛ならば安心だ」


「きっと、うまくやってくれるはず」


 安堵の声が上がった。さすがは武家で初めて殿上人となった実績の人物だ。


「では、忠盛。山陰の海賊退治は、そなたに任せたぞ」


「はい。喜んで」


 忠盛は頭を下げた。



   2



 六波羅。平家の屋敷。


 弓道場にいた清盛は、家盛いえもり(平次郎)と一緒に、弓矢の練習をしていた。


 清盛は矢をつがえ、的に狙いを定める。


 矢を放った。


 矢は空気を切る音を立てて的に当たったと思いきや、思いっきり安土に刺さる。


「当たらないなぁ。家盛、どうやったら、お前のように当たるんだ?」


「兄上。弓は心を落ち着けた状態で射るものですよ」


「そんなこと言われても、イマイチよくわからん」


「若様に家盛殿。皆精が出ておりますな」


 家貞がやってきた。


「おう、家貞か。どうやったら、弓をうまく当てることができるんだ?」


 家貞は賢そうな顔をして言う。


「若。それは、心を落ち着け、雑念を払い、心を無にして射るのです」


「家貞、お前も同じことを言うのか」


 清盛はため息をつく。


「おう、みんな武芸に精を出ているな」


 与太話をしているところへ、忠盛がやってきた。隣には、額に刀傷があり、紺の直垂を着た目つきの鋭い男がいた。忠盛の弟で、清盛にとっては叔父にあたる平忠正たいらのただまさだ。


「おう、家盛、家貞、久しぶりだな」


「お久しぶりです、叔父上」


「元気でなによりだ。で」


 忠正は汚物を見るような表情で、


「おう坊主。まだいたのか。いつになったら皇籍に戻って出家するつもりだ?」


 清盛の方を見る。 


「出家なんてするもんか! 経ばかり読んで、ろくに民のことも考えないで、神仏の威光を盾に好き勝手暴れ回ってるやつに、俺はなりたくない!」


「ほーう」


「二人とも喧嘩は辞めろ」


 忠盛は止めに入る。


「忠正、清盛と喧嘩をしにここへ来たのではない」


「そうだったな」


「院から海賊退治を任せられたことと、これからのことについて話に来たのだ。清盛、そして家盛」


 忠盛は二人の方を向く。


「お前ら二人は、私と一緒に西国へ赴き、海賊退治をしてもらう」


(おいおい父上、正気かよ)


 清盛は心の中でつぶやいた。顔が、真っ青になっている。


「兄上、顔色が悪いですよ。まさか、海賊が怖いんじゃ?」


 家盛はからかうような口調で聞いてくる。


「こ、怖くなんかない! 海賊なんて、この俺さまが、ひねりつぶしてやる!」


 清盛は袖をめくり、細い腕を曲げて力こぶを作る。


「若様、ご無理をなさらず。困ったときには私がお助け致しますぞ」


 家貞が言おうとしたところを、


「家貞、お前は過保護すぎる。この坊主がこうなったのは、お前に責任がある」


 忠正は遮る。 


「なぜなのです?」


「面倒なこと、困難なことは、みんなお前がやる。お前はそれで一人満足しているのだろうが、それでは人は育たない。そうだろう? 兄上」


 忠盛はうなずいて言う。


「ごもっとも。家貞、いくら清盛を我が子のように思っていても、所詮は一人の人間。助けてもらってばかりでは、何もできなくなる」


「・・・・・・」


 家貞は何も言い返せなかった。今思い返してみると、清盛を可愛がっていたのは、我が子を可愛がる純粋な愛情に似た感情が大半を占めていたが、わずかに自己満足が含まれていたからだ。


「というわけで、お前ら」


 忠正は再び清盛兄弟の方を向いて言う。


「今月15日の辰の刻に、六波羅の鳥辺野でお前らどれだけ強くなったかを見ることにする」



   3



 六波羅平家屋敷の釣殿。目の前にある池には、薄紅色の大きな蓮の花が咲いている。


 忠盛は忠正と一緒に雑談をしていた。


「こんな弱いやつに、将来の平家の棟梁は任せられない」


 忠正はため息をつく。


 だが、忠盛は首を横に振って言う。


「清盛は強くはない。だが、これからの平家には、必要な人間だ」


「ほう。清盛あいつが、亡き白河院の皇子ごらくいんだからか?」


 忠正は怪訝な顔で、忠盛に聞いた。


「違う。忠正もいつかは気づくだろう。あいつのいいところに。そして、私の考えていることに」


「それでも俺は認めん。あんなひ弱な奴が、平家の未来を背負っていくと考えると、寒気がする。だから、文武両道の家盛を棟梁に据えることが、一門のこれからにとって最善の道だと思う」


「そうか。お前がそう思うのなら、そう思うといい。俺は清盛の可能性に賭ける。そして、実子家盛も損をしないように取り計らうつもりだ」


「兄上もわがままよのう。源氏のマネをしたとして、そう上手くゆくはずがない」


 忠正は皮肉な笑みを浮かべて言った。


「これが、俺の願いだからだよ。絶対に叶えて見せる」


 忠盛は意味深な笑みを浮かべる。

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