ひとへに風の前の塵に同じ・起

佐竹健

第1話 二人の父親─真実─



   1



 暦の上では春の始め、ということにはなっているが、まだまだ冷たい風が吹く大治4(1129)年の1月。


 数え年12歳(現代の感覚では11歳)の高平太と呼ばれていた少年は、元服して「平清盛たいらのきよもり」と名乗った。


 春の除目じもくで最初にもらった官位は、従五位下左兵衛佐じゅごいげさひょうえのすけ。皇族や摂関家の子弟並みの待遇だ。


 伊勢平氏というただの武士団の跡取り息子が、皇子や摂関家せっかんけの子弟と同じ待遇を受けた。


 この事実は、歌を詠み、蹴鞠に興じていた平安京の貴族たちを大いに驚かせた。同時に、清盛の元服前から貴族社会で流れていた、「平忠盛の息子清盛は院(ここでは白河法皇)のご落胤ではないか?」という噂の信憑性も増した。


 忙しなく動き回る都の空には、重たい藍鼠色の雲が広がっている。


 春の除目が終わった清盛は内裏を出た。


 朱雀大路には、水干を着た男性から、辻話をしている市女笠を被った女性の集団。黒い衣の上に袈裟を首にかけ、右手に鐘、左手に茶碗を持って托鉢をするお坊さん。ボロボロの着物を着、道端で遊んでいる子供たちまで、様々な年齢や階層の人たちが広い通りを行き交う。


 九条通りまで来たころ。


 漆塗りの車輪で、簾に下がり藤の紋が描かれ、金色の装飾や金具がきらびやかな牛車が、清盛の目の前に止まった。周りには、鎧を着、薙刀を持った供回りもたくさんいる。


 牛車の窓にあるすだれが開いた。


 冠を被り、赤色の着物の上に黒い直衣のうし(貴族の礼服)を上にまとった、清盛と同じぐらいか、二歳ほど年下の少年貴族が顔を出して、聞いてくる。


「お前が平清盛か?」


「うん」


「仙院のご落胤(らくいん)だからって、調子に乗るんじゃねーぞ!」


 少年貴族は指を指すように、尺を清盛の目の前に突き出す。


「院の、ご落胤?」


 清盛はとぼけた表情で、同い年ぐらいの少年に訊(たず)ねる。


「お前、そんなことも知らないのか? さすがは田舎平氏の息子」


 同い年の少年貴族は、牛車が傾きそうなくらいに笑い転げた。


「おい頼長、謝れ!」


 先頭にいた牛車から、直衣を着、冠を被った20代ぐらいの青年が降りてきて、生意気な少年貴族を叱りつけた。


「なんで下賎の者に頭を下げなければいけないんだ」


「悪いことをしたら、謝るのが常識だろ」


 頼長は青年貴族の袖をつかみ、反抗する。


「やだね! 絶対謝るもんか!」


「おう、じゃあ、父ちゃんに叱られても知らんからな」


 そう言って、青年貴族は先頭に停めていた牛車へと戻った。


「わかったよ。おい、院のご落胤」


「ん?」


「今回は兄貴に免じて、特別に謝ってやる。ありがたいと思え!」


 尺を清盛の前に向けた頼長は、そう吐き捨てて、牛車に乗った。



   2



「ただいま帰りました」


 清盛は、びしょ濡れの状態のまま、屋敷の中へ入った。


 濡れた重たい着物からは、雫が音を立てて、床の下へとしたたり落ちる。


「おかえり。清盛、どうしたの、そんなに濡れて」


 清盛の母 藤原宗子(ふじわらのむねこ)は、ずぶ濡れになって帰ってきた息子を見て、慌てて言った。


「兄上おかえり!」


「おかえり!」


 まだ幼い平次郎(後の家盛)と平三郎(後の経盛)は、清盛がずぶ濡れになっているのも気にせず、元気いっぱいの笑顔と声で出迎える。


 弟二人の無邪気な笑顔を見て、清盛はうらやましいと思った。あの2人には、本当の両親がしっかりいる。だから、自分の両親が誰なのか? という繊細な問題とは無縁だ。


「──」


「ちょっと清盛、平次郎や平三郎にもしっかり、おかえり、と言いなさい!」 清盛は母親の注意を振り切り、どこかへ行ってしまう。


 ──俺の本当の親って、誰なんだろうな。


 子供のころから、ずっと考えていた疑問。


 おれは、誰にも似ていない。父上にも、母上にも。平次郎や平三郎なんて、論外だ。


 能力は? というと、特別武芸に優れているわけでもなく、平三郎のように特別勉強ができるわけでもない。平次郎とは正反対で、叔父上に比べられてばかり。せめて似ているところと言えば、父上と同じで、舞が得意だと言われることしかない。


 だから、今日会った頼長とかいう子どもに、院のご落胤だ、と言われたときは、納得できたと同時に、悲しくなった。生まれてから今まで、何の取り柄もないおれのことを育ててくれたことを考える。この温かい人たちのたくさんいる家にいていいのかな? という思いが頭の中をよぎってしまって、胸が痛くなる。




「もし、若」


 中庭で一人、寂しそうに雨に打たれている清盛に、浅葱(あさぎ)色の鎧(よろい)直垂(ひたたれ)を着、ねずみ色の袴を履いた中年男が声をかけた。平家の子守役 平家貞(たいらのいえさだ)だ。


「そんなところで、何をしているのです?」


「家貞」


 清盛は家貞の方を向く。


「どうしました?」


「おれの親は、本当に院なのでしょうか?」


 真剣な顔で清盛は、家貞に問いただした。


(とうとう若のところに、この噂(はなし)が耳に入りましたか……)


 家貞は頭を抱えた。


 主君忠盛に言われた通り、家貞は、清盛を、「武士の子」、「平家一門の子」として育て、平次郎や平三郎と同じように弓矢や剣術の稽古もさせ、学問も学ばせた。同時に、このことは、絶対清盛の耳に入れるな、という命令もしっかり守っている。全ては、清盛が、平次郎や平三郎が、みんなが傷つかないために。


「そうですか。まあ、とりあえず、湯殿ゆどのに入って暖まりましょう。風邪を引きますからね」


「うん」


 清盛は濡れた体を拭いて、屋敷の中へと入る。



   3



 湯殿。


 焼け石にかけた水の湯気で熱せられた、湿度と温度が高く、狭い密閉空間の中で、家貞は何があったのかを聞く。


「どこで、誰が、そんなことを話したのです?」


 清盛は帰り道で起きた、頼長との騒動について話す。


摂関家あいつらか。皇室の外戚という威光を振りかざして、代々好き勝手やってやがる」


「うん。なぐり返したかった。でも、そうしたら、みんなに迷惑がかかるから、やらなかった」


 家貞は清盛の頭をクシャクシャになでて、


「若、あなたは賢い子です。きっと大物になりますよ」


 となぐさめた。


「そう? 平次郎みたいに強くないし、平三郎のように頭もよくない、おれが?」 


「はい」


 家貞はうなずく。


「もし、そうだとしたら、叶えたい願いがあるんだ」


「どんなことかな?」


 父のように慕う家貞の耳元で、清盛は自分の願いをささやく。


「なるほど──」


 この言葉を聞いたとき、家貞は驚いた。同時に主(あるじ)忠盛から聞いた昔話を思い出した。


 自ら「新皇しんのう」と名乗り、腐敗と混沌を極めていた朝廷に憤って立ち上がった、遠い先祖の話を。



   4



 次の日の朝、清盛は、自分の本当の父親は白河院なのか? ということについて、朝食時に父忠盛と母藤原宗子に聞いた。


 上座に座った、色黒で右目が寄っている男が忠盛、そして、その近くにいる黒髪の大和美人が宗子だ。貧弱なうえに、器量もそれほど良くない清盛とは、全然似ていない。


「本当の父親、か」


 清盛の切実な問いを投げかけられ、しばらく黙り込む忠盛。


「清盛、そのようなことは、冗談でも聞くものではありませんよ」


 お汁を飲みながら、宗子は清盛を諭す。


「でも、本当におれの両親が、白河院だ、ということを聞いたんだって」


「そう。清盛、貴方の両親は殿と私よ。馬鹿なことをいうものじゃありません」


「母上の言う通りだぞ、清盛。お前はかけがえのない平家一門の子だ。余計なことは考えなくてもいい。さあ、早く食べないと遅れるぞ」


「だけど──」


 本当に自分の両親が誰なのか知りたい、と清盛は答えようとした。だが、この場で言ったら、絶対に怒られるだろうと思ったので、やめた。たとえ喧嘩したとしても、武芸もろくにできない自分には勝ち目がないから。


 お通夜のように静まり返っているところへ、


「忠盛殿、忠盛殿」


 白い狩衣を着た、地味な顔つきの青年が、顔を真っ赤にして、小庭に滑り込んできた。藤原通憲ふじわらのみちのり(後の信西)だ。


「おお、通憲ではないか。朝からこんなに慌ててどうした?」


 朝食を食べ終えた忠盛が聞くと、通憲は、「おはようございます。忠盛殿。実は、今年の石清水八幡宮の臨時祭で、清盛が舞人をやることに決まりました。それも、院の意向で」


 懐から白河院からの書状を取り出し、見せた。


 書状にはしっかり、白河院の花押と清盛の名前が書かれている。


「えっ!?」


 先ほどの気まずさから一転、今度は驚きで黙り込む忠盛一家。


「うちの清盛が、ですか?」


 忠盛は目を点にしながら、書状を見る。


「えぇ。書いてありますよ。ここにしっかりと」


「よかったな、清盛!」


 浅黒い顔に爽やかな白い歯を浮かべながら、喜ぶ忠盛。


「はい」


 笑顔で清盛はうなずいた。


 石清水八幡宮臨時祭の舞人に、清盛が選ばれたことにより、不穏な空気から、お祝いムードに変わってしまった忠盛一家の朝。

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