第九十六話 生き様と使命
ノーウェルの戦い方は徒手空拳。
素手で殴り、素足で蹴る。
ただそれだけだ。
拳を引いて、前に突き出す。
それだけでドラゴンの巨体が、わずかに浮き上がる。
「ふんッ! オォオオオオ!!!」
金属製の鎧に拳の跡や足型を残す、人外の攻撃だ。
並みの生物なら爆散するほどの威力を込めて、彼は怒涛の連打を見せた。
『グ、ア、ギゴ、ガガ!』
ドラゴンは苦悶の声を上げるのだが。もちろん表情筋など既に失われているため、顔色からダメージを計ることはできない。
殴った感触はぶよぶよとしており。
実際に効いているのか効いていないのか、それはノーウェルにも分からなかった。
「ま、やるしかあるまい」
一気に攻撃を仕掛けたあと、飛び下がって息を吸う。
それを繰り返す。
派手な技はいらないし、スキルなども使わない。
磨き上げた拳で、彼はただ龍を殴るだけだ。
『グ、ルァ』
「甘いわッ! ――チッ!」
当然、ドラゴンも反撃する。
攻撃の合間を縫って尻尾を横薙ぎに振るうが、威力が高ければ攻撃範囲も広い。
鋼鉄すら砕く威力のある打撃を、上手回しで受け流したはいいが。
周囲に毒の粉が舞い散るため、すぐに反撃できないのが悩みどころだ。
結局、一歩下がった位置から、もう一歩距離を取らざるを得なかった。
互いに致命傷を与えられなければ、牽制にしかならない。時間が経てば経つほど毒が回るので、ノーウェルには短期決戦しか手が無いのが現状だ。
「いいだろう、力比べといこうか!」
『ゴ、ア、ア』
だから彼はドラゴンの爪も、尻尾も、噛みつきも。
全ての攻撃を、正面から迎え撃つことにした。
敵の攻撃を回避するでもなく、防御するでもなく。
攻撃に対して攻撃をぶつけて、強引に押していく。
数トンはありそうな尻尾を蹴りで跳ね返し、大戦斧のような爪は肘で砕く。
このドラゴンも、生前なら再生能力が高かったのだろうが。
細胞という細胞が死滅しているせいか、治りはごく遅い。
もちろんノーウェルも手傷を負うが、そんなものはお構いなしの我慢比べだ。
痛覚が死んでいるゾンビを相手に、どちらが先に音を上げるかの根競べを仕掛けるなど気が狂っている。
見物人がいればそう言うだろう。
彼もまた、思考回路が常識から外れていた。
「せあっ! はぁっ! ふんッ!」
『ゴ、アア、ガ』
十数分の間、身体の削り合いが続き。
やがて、ドラゴンの両手と尻尾が砕けた。
ノーウェルも左手を痛めて拳は握れなくなったし、両足の流血が激しくなった。
傷口から毒が回ることを考えれば、もう猶予は無いだろう。
「ふ、はは、楽しいな。久々の強敵よ」
『ウ、ムウ』
「……だが、そろそろ決めるとしよう」
もう互いにかなりの手傷を負った。
もうじき決着だ。
それならばとノーウェルは、ここで一気に仕留めにかかった。
「持っていけ。これで死ななければ、貴様の勝ちだ」
両足を負傷していても、ノーウェルの速度は一向に落ちない。
仕切り直しとばかりに数歩後退してから。彼は中腰になってタメを作る。
「これで、終いだッ!」
飛び込みながら、中段の正拳突き。
ただ真っ直ぐに拳で打ち抜くことを決めて
彼は、一気に距離を詰めた。
『グォォオオアアアア!!!』
対してドラゴンは、ここで初めてブレスを放つ。
毒の塊としか形容できない、漆黒でドロついた物体だ。
少し触れただけでも、肌が
今さら避けることはできない。たった数歩の距離を駆けるだけだ。
このブレスに耐え抜き、致命傷を与えることはできるだろうか。
一秒にも満たない時間の中で、彼は走馬灯を見た。
旅の始まりは、スキルという存在の不気味さを感じた日からだ。
――経験を積むと、ある日急にスキルを授かり。その日から技能が上昇する。
本来なら五年、十年かけて習得する技を、一日で。
ある日突然、できるようになる。
なんだそれは。
誰から授けられた力だ。
分不相応な力を前借りして、それで一体何になる。
何者かの操り人形になる感覚にすら陥った彼は、スキルに頼らず強くなる方法を模索した。
そして出てきた答えが、死線を潜り続けるという選択だった。
前人未到の秘境に引きこもり。
四六時中戦い続け。
飯は襲ってくる敵のみ。
相手の等級など関係ない。
E級の魔物だろうがA級の魔物だろうが、見敵必殺で討ち果たしてきた。
魔物を殺して魔物を食らい、武器など使わず武を極める。
それで強くなれるのかと言えば――確かに強くなった。
骨も肉も、全盛期を超えて進化が止まらなかった。
戦に狂ったまま、彼は十年以上も森で戦い続ける。
そしていつしか。辺り一帯に棲む生物が、少なくなっていることに気づいた。
日に数十、数百と繰り返してきた戦いにも終わりが見えて。
日に数回、数日に一回と、敵に出会う頻度が落ちていく。
数を望めぬならばと、彼は大物を求めて
王国の開拓民がやってきたのは、そんな時だ。
開拓地を探している移民たちと、偶然の出会いを果たした時。
移民団を率いていた男は、文明からかけ離れた姿のノーウェルを見て尋ねる。
『強くなって、どうするんですか?』
人の言葉すら忘れそうになっていたノーウェルは、この言葉にふと考える。
そう言えば、どうして強くなりたいのだろう?
考えてみたが、特に理由はない。
強いて言えば、弱い生物であるのが嫌だった。
考えてみれば、不条理だ。
魔物や動物は生まれながらにして強いのに。人類は鍛えた上で、スキルという
そんな理由だろうか。
彼は素直に答えたものの、男は呆れたように溜息を吐く。
『どう見ても弱くありませんよ、貴方は』
その時ノーウェルは半死半生で、その足元にはドラゴンが沈んでいた。
人間は素手だとスキル込みで、C級の魔物を倒せるかも怪しい。
そして今、己の足元に転がっているのは。
若い個体だと言っても地上最強の存在、ドラゴンだ。
状況を確認して、ノーウェルは納得する。
最強の存在を討ち果たした己は、確かに弱くないと自覚した。
そんな彼に、男はもう一つ聞く。
『強くなること自体が目的だったんですよね? それなら、強くなった後はどうするんですか?』
とうの昔に、強くはなっていた。
しかし、今さらそんな事実を知っても遅い。
帰る家が無ければ、家族もいない。
職がなければ、もちろん金は持っていない。
まともな服もなければ、言葉すら忘れかけている。
今さら森を出て、どこへ行けばいいのか。
言葉に詰まったノーウェルを見て、男は人好きのする笑みを浮かべながら言った。
『もしアテが無いなら開拓を手伝ってくださいよ。それなら修行も無駄にならない』
『……開拓?』
『ええ。今はただの森ですが、ここに大きな街を作りたいんです。皆幸せで、
修羅の世界で生きてきたノーウェルには、想像もできない光景だ。
しかしどうしてか、断る気にならず。
気が付けば握手を交わしていた。
その後はいつの間にか、集落に居つくことになり。
開拓団の戦士長というか、責任者にまで祭り上げられたのだが。
最初の宣言通りに、領主は呆れるほど暢気な男だった。
開拓団長をノーウェルに任せて、釣りに出かけて。
領民と共に畑を耕して。
暇なら歌を歌い。
雨の日には一日眠りこけて。
自由に人生を謳歌していた。
開拓地は緩やかに発展して、そこそこの村が増えて。
『やあ、すみません。あとは……お任せしますね』
やがて流行り病で領主が逝くと、彼は相談役として跡を任されることになった。
「――ふっ」
国全体で内乱だ何だとやっているうちに、領主不在の期間が長くなり。
やがて、あの騒がしい一行がやってきた。
人が増え。
新しい文化が生まれ。
街には笑顔が溢れた。
あの男が夢見た光景は、こんな景色だったのかもしれない。
この場所を切り開いた者として。
後に続く者の未来を守り抜くのが、使命――命の使い道、か。
そう悟ると同時に、生き様と使命を
武人としての生き様を貫いて散るか。
生き様を曲げて勝ちにいくか。
「――どうせ老い先短い命だ」
武人の
何となくそう思い。
彼は生涯を懸けて築いた武を捨て、
「《全身全霊》」
使い慣れているわけでもなく、熟練しているわけでもない、得体の知れない技。
それはどうやら、この老人を見捨てなかったようだ。
スキルを発動した瞬間。
元から怪物じみた身体能力が、更に一段階引き上げられた。
骨まで溶かし尽くすようなブレスが直撃しても、彼は歩みを止めない。
「《遠当て》」
四十年以上前に習得して以来、一度も使わなかった技だ。
しかし使うと決めた瞬間。
それは一秒のロスもなく発動して、彼の身体を導いていく。
「《コークスクリュー》」
何千、何万と繰り返した型を捨てて。
最適化された武の動きからも外れて。
遠くを殴れるだけの、曲芸と。
ただぶん殴るだけの、無様な技。
それらを平行して発動する。
「悪いが、邪道に頼らせてもらうぞ」
そして、遠距離用の技を構えながら。
彼は至近距離にまで肉薄して――ドラゴンの胸に、拳を叩き込んだ。
「《
遠くまで飛んでいくはずの力は、ノーウェルの拳の前に滞留して。
一瞬の空白を迎えたあと。
最大の威力を持った拳が、彼自身をも巻き込んだ衝撃波を轟かせた。
朽ち果てた、龍の身体が崩壊していく。
互いに死力を尽くして戦い。最後まで立っていたのは、老人の方だった。
「……頼らぬと、決めていたのにな」
そして。
彼はその勝利と引き換えに、武人としての誇りを捨てた。
それは今までの人生。その全てだ。
「この傷では、生きるか死ぬかも分からんが。……武人としては死んだ、か」
自らの信念も、矜持も、誇りも、人生も、魂も。
大切にしてきたものの全部を放り捨てたのだ。
一撃に全てを懸け、何もかも投げ出した彼は――
「ああ……最高だな。いい、幕引きだった」
自らの志と引き換えに、何かを為しえたこと。
それに満足して、笑っていた。
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