第八十六話 何事もなく季節は巡る
激動の日々は流れるが、何事もなく季節は巡る。
春を迎えて、今日は日差しが温かい日だ。
ライナーは郊外にある芝生の上に寝ころび、一人で昼寝をしていた。
「あら、こんなところに居ましたのね」
読んでいた本で顔を挟み、日光を遮っていたのだが。
何でもない調子で近づいてきたリリーアが、本を手に取った瞬間。ライナーの視界が太陽の光で、真っ白に染まった。
「……リリーア」
「ほらほら、早く起きてくださいな。そろそろ移動の時間ですわよ」
真っ暗だった視界が急激に色を取り戻して――ふと、ライナーは考える。
今日は何の日か。
確かこの日はセリアとアーヴィンの結婚式を予定していたなと。
「……ふむ」
セリアの領地の郊外にある教会で式を挙げるというから、蒼い薔薇のメンバーと共に馬車で移動してきたのが昨日のことだ。
式場の近くで時間を潰しがてら、本を読んでいたことを思い出したのだが。
「何を寝ぼけて――あら? ライナーさん、泣いてますの?」
「ん? ああ、何だろうな」
あくびと言うには涙が流れ過ぎだ。
普段の彼は寝起きから意識がハッキリしている日が多いので、リリーアも怪訝そうな顔をしていたのだが。
山の方を見てから、彼女は納得顔になる。
「ああ、花粉のせいですわね。……今からこれでは先が思いやられますわ。植林した木が育てば、こんなものでは済みませんもの」
リリーアは花粉症なので、仲間が増えたと嬉しそうな顔をしていたが。
その様子を見たライナーは、軽く笑いながら答える。
「どうかな。案外花粉は関係が無くて、怖い夢を見て泣いていたのかもしれない」
「ライナーさんが泣くほど怖がる夢……なんでしょうね?」
リリーアは顎に人差し指を当てて、考え込むような素振りを見せているが。近頃ではライナーをからかうためのネタ探しに余念がない彼女のことだ。
素直に怖がるものを話せば、夫婦喧嘩の時やお仕置きの際に嬉々として持ち出してくるだろう。
だからという訳ではないが、ライナーもとぼけた風に返した。
「そうだなぁ。何億年も、時空の狭間を彷徨う夢かな」
「ライナーさんが無駄な時間を何億年も過ごせば、発狂しそうですわね」
「……俺でなくとも相当辛いと思うが」
なるほど。彼に罰を与えたければ、何もさせないというのもアリかもしれない。
そんな考えが顔に出ているリリーアの横に立ち、ライナーは伸びをした。
「しかしよく寝た。……長い夢を見ていたような気分になるのも、当たり前か」
「誰よりも先に会場入りしようとして、逆に寝過ごすだなんて。ライナーさんらしくもないですわねぇ」
式は午後からの予定だが、既に時刻は昼時だ。
昼寝は午後の作業効率を高めるとかで、ライナーはたまに午睡を取るのだが。
午前中いっぱい草の上で寝ころんでいたなら、寝過ぎと言われても仕方がないだろう。
そう思いつつ、彼は西の空を見上げた。
「式が終わり次第、皆を見送ることになるからな。これで俺も、少し緊張していたらしい」
「最近はどこも物騒ですからね。今日くらいは明るい気持ちで……というのも、難しいでしょうか?」
戦場跡に出現したアンデッドの大群は、今もなお西国との国境付近に留まっているようなのだが。
ようやく雪が解けたので。セリア達の結婚式を区切りにして、前線に派兵する約束をしていたところだった。
そしてリリーアの言う物騒とは、アンデッドの出現範囲が広がっていることを指している。
西側の大発生に釣られたのか。王国でも南の共和国でも、北の帝国でも。アンデッド系の魔物が増えてきていると報告が入っていた。
街道を歩く商人が襲われたりもしているので、冒険者にとっては護衛依頼で稼ぎ時だし。
街の衛兵にしてみれば、仕事がかなり増えているご時世でもある。
「まあ、今回はノーウェル師匠が行ってくれるんだ。心配は無いと思うが、自分の手が届かないところで話が進むとなると、どうにもな」
「仕方がありませんわ。アンデットが相手では、テイムも毒も通じないのですから」
「……そうだな」
ライナーは風の精霊の技を覚えて、超広範囲に劇薬をバラ撒けるようにはなっているが。
歩く骨を相手に毒は通じないし、通わせる心を失っているのでテイムもできない。
後継ぎのいない国王が前線で戦うのはリスクが大きすぎるし、今までに使ってきた必勝パターンが使えない。
そんな話になり。今回は素直に、正攻法で兵を派遣することにした。
――表向きにはそうなっていても。実際には精霊術を習得し終わり、戦闘の用意は既に完了している。
リリーアは知る由も無いが。風の大精霊が付きっ切りで指導をして、ライナーの体感では三年間という月日が流れていた。
ライナーが大精霊と同格の。神懸かり的な力を手にしたと知らないリリーアは、彼を励ますように言う。
「まあまあ、心配無用ですわ。自警団の皆さんはお強いのですし」
「もう自警団じゃない。国軍だよ」
「畑に刺さった巻き藁で修行をする団体のことを、国軍というのはどうも……」
兵士にまともな戦いをさせるのは、これが初めてだったりもするが。
元々、ライナーたちが治めている地域の人間は武闘派だ。
自警団が前身となって国軍を立ち上げたものの。実際には老若男女を問わず戦えるので、国民皆兵のような形になっている。
個人の力なら周辺国家の中でも最強クラスだろうが、田舎特有の空気が抜けきっていないというか。
軍事行動には向いていない性格をしている者が多いのも事実だ。
「今はまとめ役にノーウェル師匠がいるけど。そろそろ後進を育てないと、将来のためにならないな」
「私たちまで引退するような口ぶりですわね」
「……俺はまだ二十歳だ」
「……たまに、ライナーさんが年下ということを忘れそうになりますわ」
三年という修行期間を経て、精神年齢はライナーが一番高くなったはずなのだが。見た目には特に変化が無いし、内面も変わらない。
ライナーが年下に見えないという感想は、リリーアが以前から思っていたことだ。
ライナーから見るとリリーアの歳は一つ上で、ララは二つ上になる。
ベアトリーゼに至ってはライナーよりも五つ下なので。引退どころか、これから活躍し始める年齢でもあった。
「確かに少し年寄りくさい発言だったが、言っていることは間違ってないだろ?」
「それは……ええ、そうですわね」
「気心が知れていて、戦闘経験が豊富な相手なんてエドガーさんたちくらいなんだが。士官の話は断られたからな」
彼は割りのいい仕事を見抜く目があるというか、冒険者なのに
普通ならもっと早くB級に上がってもいいところを、リスクを取らずにほどほどで満足をしていた人間だ。
安定志向なら士官の方がとライナーも勧めてみたものの。
自由を愛しているところは冒険者らしく、あっさりと士官を断られていた。
「冒険者を務め人にしようとする方が無理ですわ」
「そうだな。こればかりは好き好きだ」
ともあれ。仕方がないから今いる人材を育てていくしかないだろう。
そう結んで、ライナーとリリーアは歩き始めた。
春の陽気の中でのんびりと会話をしていたが、明日には出兵だ。
ドラゴンスレイヤーが率いる軍が、アンデット如きに遅れは取らないだろうと思いつつも。ライナーは念のための準備を怠らない。
「国境沿いとか、墓地の周りに狼煙台も増やしたし。発見から撃滅までの準備は万全だ。あとは皆に任せよう」
「引退と言えば。そろそろ私たちも……冒険者は引退でしょうか?」
ライナーたちが王族になってからというもの、一度も冒険には出ていない。
セリアは領地で頑張っているし、ルーシェも実務に励んでいる。
王族になったメンバーとて政務が主な仕事になっているので、一線は既に退いたと言えるだろう。
だが、これにはライナーも首を横に振った。
「鍛錬は各自で続けているだろうし、まだ現役でいけるんじゃないか?」
「そうですわね。まあ、まだまだ時間はありますから。引退は十年後くらいで見ておきましょうか」
「気の長い話だな。……それよりも祝辞の復習だ。本番で噛んだら恥ずかしいぞ」
そんなことを話しながら、結婚式の会場に歩いて行ったのだが。
「あっ、ライナー! 遅いよ!」
「……もう、着替えの時間」
「珍しいですね、ライナーさんが遅刻だなんて」
遠くに仲間たちの姿を見つけた二人は、少しだけ歩みを速めた。
「願わくば――」
「ん? どうしました?」
こんな日々がいつまでも続いてほしい。
その言葉を呑み込んで、ライナーは前を向く。
「いや、何でもない。今日も明日も、やることは山積みだからな。
どんな困難が待ち受けているかは分からない。
だが、それらを覆す準備は万全に期したはずだ。
胸中に不安を抱えながらも、彼は一人。来たるべき時に備えていた。
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修行を終えて現世に戻ってきたライナーが、色々な準備をしながら数か月が経過した。という状況でした。
次回、主人公不在の派兵回です。
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