第七十六話 ライナーを超えるレベルの速攻
「さて、それじゃあ私たちは……」
「あの。ご注文、よろしいですか?」
「え?」
監視を再開しようとしたベアトリーゼだが、申し訳なさそうな顔をした店主から声をかけられた。
今がどういう状況かと言えば。セリアが居るカフェの向かいにある、別なカフェ。――その店の植え込みから顔を出して、彼女たちを見つめているという場面だ。
店の敷地内にいるのだから、オーダーを取りに来るのは当たり前かと思った直後。自分たちの体勢に気づけば不審者丸出しだった。
しかしそこは、取り繕うのが仕事のお貴族様だ。
二人は何事もなかったかのように立ち上がると、気を取り直して椅子に座る。
「じゃあ、オレンジジュース一つ」
「私は紅茶とケーキを。茶葉はお任せしますので、ケーキに合うものをお願いしますわ」
「畏まりました」
一等地で店を構えているだけあって、店のマスターはライナーたちの顔を知っている。
この二人が王族というのも知っているし、先ほどまでは女王と王までもが店の植え込みから生えていたのだから、マスターは度肝を抜かれていたのだが。
二人が去って、幾らか話しかけやすくなったので。
この機会に王族御用達の看板を手に入れようと決心したのが二十秒前のことだ。
「さて、二人はどんな話をしているのでしょうね? これ以上は近づけないので、想像して楽しむことしかできませんが」
首尾よくオーダーが取れたので、彼はさっさと厨房へ引っ込み。二人は椅子の位置を調整して、セリアの顔が見える位置に陣取った。
距離があることを残念そうにしているリリーアだが、これ以上は近づけない。
そう思っていれば、ベアトリーゼはニヤリと笑った。
「……聞いてみる?」
「何か手が?」
「うん。精霊さーん」
ベアトリーゼが空に向けて呼びかければ。ふよふよとした頼りない動きで、薄緑色の精霊が姿を見せる。
これにはリリーアもビックリだ。
精霊と話せるのはライナーくらいだと思っていたのだから、思わず精霊に会釈をしていた。
そして隣の席に居た老人が、「せ、精霊様じゃあ!?」と言って跪き始めたので、そこを中心として店が騒然としかけたが。
何でもない顔をして、ベアトリーゼは続ける。
「風の下級精霊らしいんだけどね、この子に遠くの音を拾ってもらったりできるの」
「へえ、便利ですわね。この距離でも拾えますの?」
「私の寝室からライナーの寝室までは射程距離だったから、これくらい楽勝よ」
宮殿はまだまだ建築の途中で、ライナーの屋敷を行政府にしているが。先んじて王族の部屋と、謁見の間だけは完成していた。
ライナーの部屋からベアトリーゼの部屋までは、歩いて二分ほどかかる。
そこいくと、セリアとアーヴィンが居るのは通りの向かい側だ。遮るものは無いし歩いて一分もかからない位置なので、確かに射程内だろう。
そう考えたリリーアではあるが、ふと気になった。
「どうしてライナーさんの寝室が、射程範囲だと知っているのでしょう?」
「試しにやってみたら、意外と聞き取れてさぁ」
「ふーん。……あっ! まさかベアト!」
レパードと青龍の
ライナーとの営みについて、盗聴されていたのか。
その可能性に行き当たったリリーアの顔が、一瞬で真っ赤になったのだが。
「ん? リリーアには使ってないよ?」
「う、嘘おっしゃい! 私たちの、その、あの!」
「使う必要ないよ。だってリリーアの声、大きいんだもん」
「うわぁぁあああん!」
更に赤面して机に突っ伏したリリーアを放っておき。ベアトリーゼはによによと笑みを浮かべて、風の下級精霊をリリースした。
「それは置いておき。セリアは何を話しているのかなぁっと。いってらっしゃーい」
ベアトリーゼから離れると同時に、精霊の姿は見えなくなった。
隣の席の老人が切なそうな顔をした一方で、少しだけ回復したリリーアは態勢を立て直そうとしているのだが。
「そ、そう言えば、何故、ベアトは精霊様を呼べるのでしょうね?」
「私が
「うわぁあああん!」
あっさりと撃沈したリリーアを横目に見つつ。
もちろん違うけど。
と、ベアトリーゼは内心で笑う。
彼女はライナーの領地に来る度に、精霊の社へお菓子を持っていき。
下級の精霊たちに対して餌付けをしていた。
最初は野良猫にエサをやる感覚だったが。
そのうち好かれて、時々向こうから姿を見せるようになったというわけだ。
今では労働後に対価のお菓子を与える条件で、自由自在に動いてもらえるようにまでなっている。
だが、リリーアをからかうのは面白いし、これはこれで楽しい展開だ。
などと思っているベアトリーゼであった。
「オレンジジュースと、ケーキセットをお持ち致しました」
「ありがとねー」
「……あの、リリーア様はご気分が優れないのですか?」
「ああ、気にしない気にしない」
リリーアのことを、もう少しからかえそうかなー。などと悪いことを考えながら、オレンジジュースを口に含んだベアトリーゼは。
『あ、アタシと結婚してくれ!』
という音声が急に聞こえてきたので、吹き出しそうになった。
「うえっ!? げほっ、げほっ!」
リリーアはノックアウト寸前で、ベアトリーゼもむせ返っている。
しかし彼女たちの音声は向こうに届いていないので、何事もなく話は進んだ。
『あの、セリア様。何故、私を?』
『い、いや、一目見た時から、いいなって』
『それは光栄ですが。それにしても、もう少し段階というものがあるかと存じますが……』
話を聞く限り、唐突なプロポーズだったことは想像に難くないし。
そもそもこれが初デートだ。
食事に誘った名目も、ライナーの知り合いをどの程度のポジションで扱えばいいかという、相談話だったはず。
段階も名目も何もかも放り捨てて、捨て身の特攻だ。
セリアは初手から全身全霊で挑んでいる。
最速具合はライナーといい勝負どころか、勝負を仕掛けた初日で勝負を決めようとしているではないか。
ライナーを超えるレベルの速攻に、ベアトリーゼはもう驚くしかなかった。
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