第七十一話 レパードはまだ知らない



 ここで場面は、決戦の二週間前に戻る。

 時刻は夜更け、場所はとある貴族の屋敷だ。


「うふふ……ねぇおじさん。私のお願い、聞いてくれるかなぁ?」

「な、何だお前は。どこから入った! ……おい! お前たち、何故止めない!」


 フードを被った怪しい女が乗り込んできたというのに。

 屋敷を守るために配備した兵士たちは、一切動こうとしなかった。


「な、何故だ。私は圧政を敷いていなければ、お前たちに不当な扱いをしたわけでもないはずだ!」


 それどころか、全員が領主であるボルド子爵と敵対する位置――フードの女の背後に立ち。

 部下が全員、寝返ったとでも言わんばかりの構図になっていた。


「な、何故、どうして私を裏切る!」

「旦那様にはお世話になりましたが。我々はご主人様について行くと決めました」


 列の後ろから割って入った警備隊長がそう言えば。

 部下たちは揃って頷いている。


「お、お前まで……」


 彼は戦になれば、領民を率いて戦う将軍のような役目も持っているのだが。

 軍部のトップまで掌握されているのかと、領主は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。


 自分の身辺を守るはずの兵士が全員敵になったと知り、彼は愕然としたのだが。

 もちろんこれでは終わらない。


「申し訳ありません。ですが、旦那様にもすぐに分かるはずです。ご主人様の素晴らしさが……」

「そうだね、パパにもこっち・・・側に来てほしいな」


 ボルド子爵が、ガバっと振り返って背後を見れば。


 己が生まれる前から家に尽くしてくれた、最も信頼している執事と。

 そろそろ跡目を譲ろうかと思っていた優秀な息子までもが、目に怪しい光を宿していた。


 彼らを守るために前に出たはずが。

 いつの間にか挟み撃ちだ。


「ど、どういうことだ。アンネマリー! 君はあの女のことを、ご主人様だなんて言わないよな!?」


 一縷いちるの望みをかけて。彼は政略結婚で結ばれた、十歳年下の妻に向けてそう聞く。


 最初は歳の差を気にしていたものの、今では円満な家庭を築き、子どもまで産まれた。

 最後の砦とばかりに最愛の妻へすがれば、彼女の反応だけは違った。


「当たり前です。ご主人様などと……」

「よ、よかった。君だけでも――」

「お姉さまとお呼びしています」


 もう開いた口が塞がらない。


 何だこれは。悪い夢か。

 それとも、俗に言うドッキリという奴か。


 しかし何のサプライズだ。私の誕生日は半年後だぞ――


 などと、領主が引きった笑いをしていれば。

 フードを被った女はゆっくりと歩みを進めて、領主のアゴを右手で掴んだ。


「この程度で心が折れかけるとか、メンタル弱いにもほどがあるよね。使えるのかなぁ……」

「あ、あにを……」


 何をするんだ。と言いたかったらしいが。

 彼が余計なことを口走る前に、女がアゴを支点にして、領主を投げ飛ばした。


「口答えをする駄犬は嫌いなの。せいぜい、従順なところを見せてね?」

「あ、あ、あっ――」


 にっこりと笑う女が調教を始めれば、屋敷中に領主の断末魔が響き渡った。





    ◇






「え? もう三つ目? 俺でも、まだ四つ目なんだけど」

「レパード様のお役に立ちたくて、頑張りました!」

「よ、よーしよしよし、頑張ったなー」


 ふんす! という効果音でも出そうなくらいに前のめりになっている女性の頭を、レパードはわしわしと撫でた。

 少し粗い撫で方だが、撫でられている方は大層幸せそうである。


「ああん、幸せぇ……。ねえねえレパード様ぁ。そろそろ私のことをお傍に置いてくれないかしら? あのトカゲよりも、よっぽど役に立って見せますから」

「何だと小娘が」


 額に青筋を立てた青龍が横にいるというのに。

 彼女はそんなことはお構いなしだと言わんばかりの態度で、レパードにじゃれついている。


 この場にルーシェが居たなら、振り返らず、全力で逃走し始めていることだろう。


 山の一つや二つ越えたところまで逃げても、まだ安全圏ではない。

 そう確信できるほどの修羅場と化していた。


 辺り一帯が滅びの危機を迎えたのだが。


「じゃあ青龍さん、料理できます?」

「……ぬ」

「掃除は? 洗濯は? 子育ては?」


 唐突に青龍の苦手分野が出てきたので、彼女の動きが止まった。

 ただの町娘のような女性は、その隙を見逃さずに畳みかける。


「龍に子育ては関係あるまい。獲物を狩り、食らえば育つ」

「子どもが人間の姿で生まれるなら、人間の子育てもできなきゃですよねぇ」

「……ぬぬぬ」


 独特の唸り声を出す青龍だが、彼女は家事などできない。

 まるでできない。

 壊滅的にできない。


 掃除をするエリアをブレスで焼き尽くしてから。

 尻尾で適当に灰を散らし、「掃除は終わったぞ」などといい笑顔で言うのだ。

 育児能力にも、当然不安がある。


「……育児放棄するなら、親権貰っちゃいますよ?」

「……貴様の子ではあるまい」


 レパードも結構ズボラなところがあるので、気が付けばズルズルと甘えてしまい。

 今や彼女・・無しでは生活できないレベルになっていたのだが。


「半分レパード様の血が流れているなら、それはもうレパード様のようなものです。完璧に愛せる自信があります」


 バリバリバチバチと火花を散らす修羅場の横に立っている男。

 レパードは遠い目をしながら、「どうしてこうなった」と考えていた。


 この女性を野放しにすれば、ライナーの身が危険だとか。

 蒼い薔薇の友情にヒビが入るかもしれないだとか。


 彼女を連れてきたエドガーからは散々に脅された。

 だから全力でテイムした。


 百人単位で調教した囚人たちとは違い。

 一対一で。

 丹念に。

 に入りさい穿うがつほどの細やかさで、念入りに。


 かなりの時間をかけてテイムした。



 レパード流のテイムとは、相手と心を通わせて仲良くなることだ。


 結果として尊敬の念が生まれるわけだが。

 そこに恩義を載せることで、崇拝に近い形に持っていく方法を使い囚人たちをテイムしていた。


 彼女にもそれをやった結果が、これだ。


「……なぁ、ライナーに未練とかねぇの?」

「ありません。レパード様一筋です。さあ、結婚しましょう」


 きっぱりと即答する彼女を見て、もう溜息しか出てこない。


 捨てた男に捨てられ返されて。

 故郷を捨ててまで追ってきて。


 復縁できそうなところで謎の勝負を吹っ掛けられ。

 ボッコボコにされた挙句。

 領主に夜這いをしかけて緊急逮捕だ。


 最後のは自業自得としか言えないが。

 そんな方法を選択した時点で、相当精神的にきて・・いるものがあったのだろう。


 失恋のショック。

 色々な悔しさ。

 不敬罪で処刑される可能性。


 あらゆる要素が詰まってメンタルが崩壊した相手に対し、全力でテイムしたらどうなるか。


 結果はご覧の通り、ミーシャはレパードにベタ惚れしていた。


 一番辛い時にずっと寄り添ってくれて、親身になって励ましてくれた男に惚れた。という状況だ。

 弱みに付け込む遊び人のナンパ男と言われても、仕方がない状況なのだが。


 ミーシャはレパードの役に立とうと、いつの間にかテイムを習得していたらしい。


 今では立派に代役が務まるくらいなので、確かに彼も助かってはいる。


 めきめきと実力を伸ばした上に。

 相手を徹底的に調教して下僕にするという、自分ともライナーとも違う「ミーシャ流テイム術」にまで開眼してしまったのだ。


 しかも料理で胃袋を掴まれて。

 家に帰れば家事も完璧に終わっている状況だった。


 ライナーですら捕まりそうになったのだから。ミーシャが本気を出せば、レパードをどうこうするくらい朝飯前だ。

 どうすれば彼が逃げられなくなるかのシミュレートは完璧だし、実際に策の効果も出始めている。


「はぁ……これから、どうすっかな」


 公国を建国すれば。

 重要ポジションを歴任しているレパードにも、大臣級のポストが用意されることになっていた。


 だから彼も、そのうち貴族になる。

 仕事の重要度と貢献度を考えれば、階級は伯爵か、侯爵か。


 ただの旅芸人が、よくもまあここまで出世したものだと。

 彼自身も呆れるほど出世した。


 そんなこんなで、重婚自体は法的に許されるのだが。

 しかし肝心の、当事者二人の関係が問題になっていた。


 略奪愛まであと一歩。


 ダーリンは絶対に渡さん。


 そんな考えで、全力の敵対関係だ。

 固い友情で結ばれた蒼い薔薇の面々とは大違いである。


 舌戦はミーシャが完全に優位だったが。

 しかし彼女は、ここであっさりと引いた。


「ま、今日はこの辺でいいかな。ご飯にしましょ」

「チッ、飯だけは認めてやる」

「そうだな。飯にしよう……」


 適度に挑発はしても、最後の一線は絶対に越えない。

 そして青龍の胃袋も掴みつつ、ミーシャの作戦は水面下でぐんぐん進んでいた。


「あ、そうだ。そろそろレパード様をテイムして……うん、いけるかも」


 などと、禁断の手段が普通に選択肢え上がるような有様でもある。

 元々彼女は、あの・・ライナーと、結婚を前提に付き合えていたくらいの猛者だ。


 彼と同レベルの発想など、少し頭を回せばいくらでも出てくるのだが。


 そんなことを、レパードはまだ知らない。


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